9月13日の青学大戦で、白星発進を果たした慶大蹴球部。関東大学対抗戦、チームはここまで開幕から3勝2敗と、掲げる目標「日本一」へ向けて歩みを進めている。この先には、名だたる強豪校が立ちはだかる。そして11月23日、聖地・秩父宮ラグビー場で迎えるのは、第102回を数える伝統の早慶戦だ。慶大が2010年以降勝利から遠ざかっている宿敵・ワセダを前に、蹴球部員たちは今、何を思うのか。
今回はケイスポラグビー班が、裏方としてチームを支える中井優主務(政4・慶應)にお話を伺いました(取材は10月23日)。ぜひ最後までご覧ください!
――5歳からラグビーを始められましたが、競技人生の中で印象的だった出来事は?
小学校6年生のときの全国大会の話なんですけど、僕は世田谷ラグビースクールでラグビーを始めて、ずっとそこでプレーしてきました。小学生の全国大会で「ヒーローズカップ」っていう大会があるんですけど、その決勝戦が花園ラグビー場で行われたんです。それが一番印象に残っています。
その大会には僕も出場していたんですが、決勝戦には出られず、ずっとベンチでした。前半は20点か30点くらい差がついて負けていたと思います。でも、そのとき世田谷のエースだったのが、今4年の江頭駿(経4・慶應)で、彼が本当に強くて、足も速くて、ステップもキレキレで。その彼を中心に、どんなに点差がついても諦めずに1本1本返していって、最後は逆転して全国優勝したんです。
その試合を見て、「本当に諦めなければ逆転って起こるんだ」と実感できたのが大きかったです。そして、自分はその試合に出られなかった悔しさもありました。正直、小学生の頃はラグビーが好きではあったんですけど、「もういいかな」と思っていた時期もあって。でもその悔しさがあったからこそ、「続けよう」と思えた。自分の原点はまさにそこにあると思います。

――大学では、ケガなどもあり選手としては苦しい時期が続いたと思います。ご自身の大学での選手生活を振り返って
大学時代は、実は最初から蹴球部に入るつもりはなかったんです。高校の頃は医者を目指していて、医学部に進もうと思っていました。でも成績の関係でその道が難しくなってしまって、いわば“消極的に”ではないですけど、「(医学部に)行けなかったからラグビーを続けよう」と思って入部した、というのが正直なところです。
入ってみると、当時の監督・栗原徹さんという方が本当にラグビーIQの高い方で、ラグビーをすごく深く考えて指導される方でした。僕自身、高校のときから体格的には大きくなかったので、どうやって頭を使って勝負するかを常に考えていたんですけど、栗原さんの指導を受けてから、ラグビーの考え方が一気に変わりました。練習で意識したことが試合でそのまま出たり、自分の考えた通りに展開が進んだりして、「ラグビーってこんなに面白いんだ」と思えるようになりました。
最初のうちは試合にも出させてもらって、シニアチームにも上がらせていただいたりと、すごく刺激的な時間でした。ただ、1年生の10月か11月ごろ、早大戦で膝の靭帯をケガしてしまって。そこから長いリハビリ生活が始まりました。2年生の春に一度復帰したんですが、1か月後に再発して再び手術。そこからはほとんどプレーできないまま、学年ミーティングを経て主務になることを決め、選手を退きました。
大学で実際にプレーできたのは、半年から1年ほどだったと思います。でも、その短い期間でも本当にラグビーが楽しくて、だからこそ「もっとやりたかったな」という悔しさもあります。今は同期がグラウンドで活躍している姿を見て、正直うらやましい気持ちもあります。でも今は主務として運営面に全力を注いでいて、それもまた大事な役割としてやりがいを感じています。
――大学での選手生活を一言で表すと?
「本当のラグビーを知った時間」だと思います。高校までは、タックルに強く入るとか、目の前のことに必死で取り組むだけだったんですが、大学に入って初めてラグビーという競技の奥深さに気づきました。10年以上続けてきて、ようやく“本当の意味でのラグビー”を理解できたのが、この大学での4年間だったと思います。
――3年生からは、裏方としてチームを支える側に回ることを決意されました。それまでの経緯は?
大1の冬からずっとリハビリ生活が続いていて、大2の夏から秋頃にかけて、同期の間で次期幹部についての話し合いが始まりました。その中で、主務に求められる資質などをみんなで話し合った結果、自分がその役割を担うことになりました。簡単に言えば、自然な流れの中で主務に選ばれた、という形です。
――“する側”から“支える側”に回ったことで、ラグビーに対する見方は変わったか
大きく変わりましたね。選手の時は、自分のプレーや試合の勝敗ばかりに意識が向いていました。でも、裏方に回ってみて、練習や試合がどれだけ多くの人の支えによって成り立っているかを実感しました。自分がラグビーを続けてこられたのも、見えないところで動いてくれていた人たちのおかげだったんだなと強く感じました。

――サポートスタッフだからこそ感じる大変さや、やりがいはあるか
やっぱり一番大変なのは、細かいところまで徹底しなければならない点ですね。試合を“行う”って本当に簡単じゃなくて、準備の一つひとつが積み重なってようやく成り立つものなんだと実感しました。だからこそ、チームが勝った時には本当に嬉しいです。
やりがいで言うと、僕の場合は試合に勝つ瞬間ももちろんですが、どちらかというとキックオフの笛が鳴った瞬間に一番達成感を感じます。主務という立場は、選手がピッチでプレーできる環境を整えることが仕事なので、そこまで無事にたどり着けた瞬間にホッとするというか、「やってきてよかったな」と思えるんです。観客の方々がそれを見て喜んだり、元気になってくれたりするのも、大きなやりがいですね。
――今振り返って、3年次の決断に悔いは
悔いはないですね。もちろん、「もし1年生の時に膝の怪我をしていなかったら…」と考えることはありますが、その事実は変えられませんし、大事なのは、今自分が置かれた環境でどれだけ最大限チームのために尽くせるか、そしてこの立場で自分自身がどれだけ成長できるかにフォーカスすることだと思っています。その方が、チームのためにも、自分のためにも、より成長していけると感じています。
――中井さんにとって126代の同期とは
欠かせない存在だと思います。正直、同期に悩まされたり、「なんだよ」と思うこともありましたが、彼らがいなければ大学までラグビーを続けられなかったですし、この慶應蹴球部の主務という名誉ある立場にも立てなかったと思います。なので、自分の人生の一部を作り出してくれた、大切な存在ですね。

――同期との思い出のエピソードは
今寮で僕の相部屋だった4年の小山経太(経4・慶應)とは、幼稚園からずっと一緒にラグビーをやってきて、性格や考え方もお互いによく分かった仲なんですけど、僕が主務に選ばれて選手を辞めなければならなかった時も、彼はミーティングの帰りにずっと一緒に歩いてくれて、特別な言葉はなかったけれど、ただそばにいて見守ってくれる存在がすごくありがたかったです。常に横にいてくれる、僕にとって本当に心強い同期でしたね。
――引退後、小山さんを含め同期に何か言葉をかけるとしたら?
やっぱり一番は、この126代で良かったし、その一員になれて本当に良かったことだと思います。もちろん色々思うことはあったんですけど、そうした経験を通して自分も成長できました。ずっと順調に仲良くやってきたからといって、強い組織や絆が生まれるわけじゃないと思うので、大変なことも含めて今振り返るとすごく糧になっているなと感じます。引退したら「ありがとう」と伝えたいですし、主務として色々キツイことを言ってきましたが、もう言わなくてもいい立場になるので(笑)、「これからも仲良くやろうね」とそういう気持ちを伝えたいですね。
――主務目線から、今シーズンを振り返って
そうですね。春季大会は、正直結果としては昨年よりあまり良くなかったかなと思っています。春の早慶戦でも大敗したりして、チームの士気が落ちるかと思ったんですが、みんな常に明るくラグビーを楽しんでいて、その明るさがあるからこそ、負けても落ち込まず、一戦一戦で成長を実感しています。そこは今年の代の良さというか、このチームの強みだなと感じました。BKは昨年から残っているメンバーが多いですが、FWはかなり入れ替わっていて、謙虚さや危機感も持ちつつやれていると思います。今は日本一レベルのチーム、例えば早稲田や帝京には勝てないかもしれません。でも、それも今ではなく、あと1〜2か月後に勝てばいい話です。一戦一戦を大事に、焦らず成長を積み重ねていくことが、最終的に日本一につながると思っています。

――今シーズン一番印象的な試合は?
対抗戦の青学大戦が印象に残っています。対抗戦の初戦で、僕自身もかなり緊張していました。昨年の経験はあっても、やはり初戦は準備段階で何が起こるか分からない不安があって、そわそわしていたんです。ただ、あの試合は細かい準備が効いたなと感じています。今年からトレーナーが中心になって取り入れたハーフタイム中のアイスバスなど、できることを一つひとつ徹底したことが大きくて。戦術面の準備も含め、そうした積み重ねがあったからこそ、春に負けた青学大相手にしっかり勝てたことが、本当に嬉しかったですし、チームにとっても大きな一勝になったと思います。
――主務という職務をこなす上で感じるご自身の強み/適正は?
まず言えることは、去年の主務である山際さんとはタイプが全然違いますね。山際さんは熱量が高く、ぱっと前に立ってチームを引っ張るリーダーシップが印象的でした。一方、僕はどちらかというと淡々と冷静に状況を俯瞰し、細かい部分まで手が届くのが強みだと思っています。その違いがうまくかみ合って、去年の運営はスムーズに回ったのかなと感じます。
今年は坊碧人(環3・慶應)が副務として加わってくれて、彼は性格は僕や山際さんとは異なりますが、トレーナー経験から独自の視点を持っており、お互いの特性が補完し合っています。去年の経験を経て、主務として自分の作業だけでなく、チーム全体を見渡して行動できるようになったのも成長の実感です。マネージャーとの1対1の対話や、チームの状況に応じたアクションなど、ただ指示するだけでなく、チーム全体を動かす視点が少しずつ身についてきたと思います。

――高校時代も含めて、今までの早慶戦で印象的だった試合は
僕は今野勇久(令5卒)さんの代の早慶戦が記憶に残ってますね。特に前半、PRの松岡勇樹(令5卒)さんがトライした場面が印象的でした。PRの選手がトライすることはあまりなくて、しかも松岡さんはチームからとても愛されている選手だったので、その瞬間は僕自身もすごく嬉しかったです。前半はリードしていましたし、この時「勝てる」と強く感じられた試合でした。結果的には最後に逆転されて敗戦しましたが、この試合の経験は代への憧れやチームの雰囲気を鮮明に印象づけてくれた試合となりました。
――憧れの先輩は?
選手としては、鬼木崇さん(令5卒)が印象的で憧れです。僕もかつて13番をやっていて、鬼木さんも同じポジションでした。僕がBチームだったとき、鬼木さんはAチームで対抗戦に出場し、副将としてチームを引っ張っていました。鬼木さんは自分と同じで、身長が低くても、体の小ささをどう活かすか、タックルや加速の工夫など、プレー面でも学ぶことが多く、「こうなりたい」と強く思えた存在です。一方、主務として憧れるのは今は部のリクルートをして下さっている岡部雅之さんです。部の運営やリクルート全般を把握され、困ったときには必ず相談できる心強い存在です。僕も将来的には、岡部さんのように信頼され、周りに「この人がいれば大丈夫」と思ってもらえる存在になりたいと思っています。
――早慶戦での慶大キーマンは?
僕は主将の今野椋平(環4・桐蔭学園)がキーマンだと思っています。ワセダは試合巧者で、序盤はこちらがリードしていても、最後に追いつかれ逆転されることが多く、やはり強いなと感じる場面が多かったです。
そういう苦しい状況でもチームを引っ張れるかどうかは、キャプテンの力量が問われるところだと思います。今野は高校時代に桐蔭学園で日本一を経験しており、勝者としてのメンタリティをチームにもたらしてくれるはずです。慶應がワセダに勝つには、まさにその力が必要になるので、今野に大きく期待しています。
――中井さんにとって早慶戦とは?
僕にとって早慶戦は、子どもの頃からずっと憧れてきた舞台です。小学校から慶應ラグビーでプレーしてきて、「いつかこの早慶戦のピッチに立ち、ここでプレーする」というのが一番の目標でした。大学入部の時もその目標が原動力になっていたので、やはり特別な試合だと思います。また、早慶戦は観客も多く、応援に来てくれる方がたくさんいる試合です。10年前の自分のように、将来この舞台を目指す子どもたちも多いと思うので、慶應ラグビーの魅力や憧れを感じてもらえるような試合にできればと考えています。
――早慶戦に向けて主務としてチームに貢献していきたいことは?
僕が一番大事にしているのは、やっぱりチームを引き締めることです。今は毎週青貫監督とミーティングをしてチームの状況を確認していて、今などは立大戦で大勝してチームが上り調子の時こそ、油断や慢心で足元をすくわれる危険がある。だからこそ、僕の役割として、寮やグラウンドを見回りながらチームの細かな状況に目を配り、トラブルや油断を未然に防ぐよう努めています。
早慶戦に向けては、マネージャーや他団体とも連携しながら観客動員やイベントの盛り上げにも力を入れていきたいです。選手としてピッチには立てませんが、観客を巻き込み、早慶戦を最大限盛り上げることも僕の重要な仕事だと思っているので、そのために自分の力をフルに発揮していきたいです。

貴重なお話をありがとうございました!
(取材:島森沙奈美、月井遥香 記事:竹腰環)


