25年度に引退を迎えた4年生を特集する特別企画「光るとき」。第17回となる今回は、蹴球部の安田雄翔(法4・甲南)。ラグビーワールドカップ日本大会に圧倒されてラグビーを始め、早慶戦観戦をきっかけに慶大進学を決めた安田だったが、3年時に選手からBKコーチに転向。ラグビーをプレーすることが好きだった安田にとって、二度とピッチに立てない役職に就くことは受け入れがたかった。それでも、安田は「同期が自分に学生コーチを託した理由」と向き合い、光の当たらない場所からその情熱をチームに注ぎ続けた。
楕円球との出会い
小学校時代から野球に打ち込んできた安田が楕円球と出会ったきっかけは、2015年、日本が南アフリカを倒す大番狂わせを演じ、列島中を熱狂の渦に巻き込んだラグビーワールドカップ・イングランド大会だった。「ラグビーの迫力に圧倒された」という安田は、ラグビー部の顧問や、当時の担任からの強い薦めもあり、中学校3年時にラグビーを始めた。そして、甲南高校の先輩である井植魁利(令4政卒)と連絡を取るうちに、慶大蹴球部に魅力を感じるようになった。慶大進学の決定打となったのは高校2年時に秩父宮で早慶戦を観戦したことだった。「十何年も早慶戦で勝てていない慶應に入って、泥臭いラグビーをして早稲田に勝ちたい」。そう感じた安田は、打倒早稲田を掲げて慶大蹴球部へ入部した。
安田はこの蹴球部での生活を「しんどくもあり、楽しくて充実した日々でもあった」と振り返る。入部当初はまだコロナ禍の名残りが残っており、外出などのルールも厳しく設定されていた。1か月という長期間、集団生活を行いながらハードな練習をこなした夏合宿も「しんどい」時間だった。それでも、苦しいときは仲間たちと共に乗り越え、楽しいときはその喜びを分かち合った時間はかけがえのないものだった。

「しんどい」以上の苦しみ
そんな安田は、4年間で1度だけ「しんどい」を通り越えた、受け入れがたい瞬間に直面した。大学3年生になるタイミングで、同期の仲間たちからの投票で学生コーチに選ばれたのだ。「自分はラグビーをプレーすることが好きだった。どんなに努力しても試合には出られない立場に変わることは辛かった」。「なんで自分がコーチに」と自分を追い込み、自暴自棄になりかけたという安田。そんな彼を、蹴球部に関わる多くの人が支えた。「恵まれたことに、頼れる方がとても多かった。先輩方にご飯に連れて行ってもらったり、朝練の前に電話させていただいたり、色んな方々に助けてもらった」と安田は当時を振り返る。徐々にラグビーへの情熱を取り戻した安田は、自分に求められた役割に正面から向き合った。
126代の選手たちが安田を学生コーチに選んだ理由、それは、安田が持つ圧倒的な情熱にあった。蹴球部126代の誰よりも勝気で、誰よりも高い熱量を持ってラグビーに取り組んでいた安田が学生コーチという立場に就けば、その熱をチーム全体に伝播させやすくなる。ピッチに立てなくてもチームの勝利に貢献できる。そう考えた安田は、消えかけていた情熱に再び火を灯した。126代副将を務めた山本大悟(環4・常翔学園)は「準備、練習、試合中、どの瞬間を切り取っても誰よりも勝ちにこだわってグラウンド内に働きかけ、チーム全体に良い影響を与えてくれた」と、安田がチームにもたらしたエネルギーを賞賛し、安田自身も「グラウンドに出たら、誰よりも1番パッションを持ってコーチングすることは常に意識していた」と振り返る。

注いだ情熱、表現した「魂」
安田が注入した情熱によって、25年度の慶大蹴球部相手にパスを回されても食らいつく「魂のタックル」、そしてリスクを恐れずアグレッシブに攻めるアタックをピッチで表現した。関東大学ラグビー対抗戦では、春に敗れた青学大にリベンジを果たし、日体大、立教大を圧倒した。強豪の筑波大、明大に対しても接戦を演じた。近年掲げてきた大学選手権ベスト4という目標を上方修正し「日本一」を目指したチームは、徐々に理想とする姿に近づきつつあった。
関東大学ラグビー対抗戦を5位で終え、大学選手権への出場権を掴んだ慶大は、3回戦で京産大と対戦した。試合会場となった花園ラグビー場は地元・京産大を応援する観衆に埋め尽くされ、アウェイの雰囲気が漂った。それでも慶大は「魂のタックル」で京産大のアタックを食い止め、風上に回った後半にはアグレッシブなアタックで4トライを挙げるなど、一進一退の攻防を繰り広げた。しかしラストプレーで逆転トライを許し、日本一という夢を叶えることはできなかった。安田は「京産大戦では1年間の集大成、今まで慶應とは一味違う、BK陣のアグレッシブな展開を出せた」と手応えを口にした一方で「結果だけ見ると、日本一を掲げる中でベスト16止まりという、とても情けない終わり方をしてしまった」と悔しさも滲ませた。

誰よりも勝利を追い求めた安田は、その情熱をプレーで表現できない苦しみを乗り越え、グラウンドの外からチームにエネルギーをもたらし続けた。安田の代わりにピッチに立った23人も、安田が注いだ情熱を存分にピッチで表現した。インゴールに迫られても決して諦めずにタックルを続け、リスクを承知でアグレッシブに攻めた。そんな25年度の慶大蹴球部は「日本一」勇敢なチームだったと、私は思う。
(取材:神谷直樹、髙木謙 記事:髙木謙)

