【アメフト】得られたものは“今の自分” 度重なる怪我と苦境を乗り越えたUNICORNSでの16年/4年生卒業企画「光るとき」 No.63 作田太一

アメフト

25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第64回となる今回は、アメリカンフットボール部のDL・作田太一(法4・慶應)。UNICORNS一筋16年の彼は、度重なる怪我に苦しみながらも、副将として最後の1秒までアメフトと向き合い続けてきた。苦境を乗り越え続けた彼は、どんな思いでフィールドに立っていたのか。そして、UNICORNSでの16年を振り返り何を思うのか。

UNICORNS一筋16年の歩み

アメフト好きの父親の影響で、慶應義塾幼稚舎1年生から中学3年生までの間フラッグフットボールをしていた作田。高校で本格的にアメフトを始めた当初は、ボールキャッチやマッチアップが得意だったことからTE(OLとWRの両役を兼ねる)や LBを想定していたが、身体の大きさやスタートの速さなど作田の適性を活かせるDLにポジションが決まった。

高校では、1年時から上級生に混ざって練習していた作田。フィジカルの違いを感じながらも、改めてアメフトを知ることができたという。新型コロナウイルスの感染拡大も経て、2年時の神奈川県大会では2度のMVPを獲得。着実に結果を残し、3年時には主将を務めた。当時を振り返り「堕落した主将だった」と語る作田。「覚悟が足りてなかった。ウエイトノートを忘れて、主将なのに一人だけ長い時間練習を外されたことがあった。その時にようやく気づけたかな。人生で一番変わった瞬間だった」と振り返る。新型コロナウイルスの再流行で練習ができず、焦りを抱えたまま臨んだ早慶戦では右肩を脱臼。シーズン離脱を余儀なくされた。チームは県大会で優勝を果たすも、関東大会の2回戦でタイブレークの末に敗退した。それでも、高校3年の秋シーズンは「誰よりも声を出して、言葉でチームをまとめていけた。本気でチームが一つになっていくのを体験できたし、自分の出した本気が本気で返ってきた。熱く楽しく全力でという瞬間があったから、勝敗以上にあの期間を仲間と共に戦えたことを誇りに思えた」と満足げな表情を見せた。

アメフトとDLの魅力

作田はアメフトの面白さについて、一つの競技でありながら様々な要素が楽しめるところにあると語っていた。特にDLは「相手との距離感が違う。ラインズは格闘技的な面白さ。すごく近い間合いで緻密な駆け引き、動きが求められる。QBサックとかロスタックルとかディフェンスのビッグプレーを起こせるポジションでありながら、フィジカル的な魅力、テクニックの魅力が詰まったポジション」だと教えてくれた。だからこそ、試合中は「考えたら負け」だという。「頭の中でチャートが出来上がっている。相手の動き方が大体4パターンあって、その上でプレーのタイプとかいろんなことを考慮して瞬時に判断する」必要があるというのだ。練習では、その判断速度と精度をいかに上げていくかが重要な鍵を握る。

DLを務める作田

 

怪我と苦境を乗り越え続けた4年間

幼稚舎時代からユニコーンズの作田にとって、大学でアメフトを続けることに迷いはなかった。高校の引退後は大学のための準備期間として使い、肩を手術。満を持して慶大アメフト部に入部するはずが、活動休止により2ヶ月ほど入部が遅れた。そしてアメフト部はシーズン開幕を前に活動を再開するも、初戦の2週間前にくるぶしを捻挫。さらに1ヶ月遅れて戦線に復帰した。そして、今でも鮮明に覚えていると語るのが3連敗で迎えた10月4日の日大戦。作田は1年生ながらスタメンで出場すると、強豪・日大相手にQBへのナイスタックルや技術力で打ち勝つ活躍を見せた。さらに、4年間で唯一のQBサックが炸裂した試合でもあった。シーソーゲームの末に、残り1分で玉川雄基(令和7卒)のキックで勝ち越しに成功すると、最後はディフェンスが守り切って劇的勝利を上げた。作田にとって4年間で最も活躍できた、忘れられない試合だという。

2年時の春シーズンでは関大相手に確かな手応えを感じるも、再び活動中止で早慶戦が中止に。「駒沢での早慶戦に憧れはあったけど、高校1年時は出れず、その後はコロナもあって無観客で違う会場。すごい憧れていたのに1、2年ともに早慶戦ができず。主力がいなくなった。チームがどん底に落ち込んでいた」と当時の状況を振り返る。作田は、当時の主将であり憧れのDL・鎌田泰成(令和6卒)が「俺らはもう日本一を諦めている。お前らが日本一を取れる環境を整えるのを頑張るからついて来てくれ」という言葉に胸が締め付けられる思いがしたという。それでも、作田にとって鎌田と一緒にアメフトをするのがモチベーションだったからこそ、部活がなくてもアメフトのために努力を惜しまなかった。シーズン開幕を前に足首を捻挫しながらも、秋の早慶戦に出場。しかし、第1Qに脱臼で戦線離脱。怪我から復帰を果たすも、今度は早慶戦前に痛めた足首の怪我が再発。「チームは勝っても自分は出られていないし、尊敬できる先輩にも、チームにも貢献できず。4年間で一番苦しくて、目の前で希望がついえるという出来事が繰り返されるシーズンだった」と振り返る。

3年時は作田にとって一番成長できた1年間だった。「ウエイトも増やせたし、自信を持って春シーズンに臨めた」という。明学大戦、関学戦を経て、ようやく駒沢陸上競技場で開催される早慶戦に出場できる。喜びも束の間、早慶戦の序盤で左膝の靱帯を損傷し3ヶ月の離脱を余儀なくされた。「また怪我に阻まれてプレーできなくなってしまった。歓声とか雰囲気は味わえたけど、早稲田とのバチバチ感を楽しめないまま終わっちゃった」ともどかしさが残っていた。秋シーズン開幕戦の早慶戦は悪天候によりファンブルが相次ぎ、なかなか試合が進まなかった。作田も全身が攣ってしまい、途中退場。チームとして、夏の暑い練習を乗り切ることで精一杯になっていたと当時を振り返る。その後は、しっかりと対策を講じて明大に勝利し、立大にも東京ドームで逆転勝ち。「すごいビッグプレーではないけど、満足のいくプレーはできたし、東京ドームでサイドラインから見ているのが一番楽しかった」と話していた。その後の法大戦で、今度は全十字靭帯を断裂。最短でも全治8ヶ月。全日本選手権(甲子園ボウル)はもちろん、早くも最後の春の早慶戦にも出場できないことが確定してしまった。

大勢の観客が見守る駒沢での早慶戦

そして、副将として迎えたラストシーズン。早慶戦では、試合に敗れていくチームをサイドラインから見つめることしかできなかった。それでも自分にできることを模索していた中で、再び活動休止。それでも、休止期間中はMTGを通して部員同士の理解をより深めるために時間を使うなど、チームビルディングという点では収穫もあった。また作田をはじめ、怪我明けの選手にとっては十分な調整を経てシーズンに臨むこともできたという。作田自身も8月初週から練習に復帰したが、試合2週間前という焦りから練習で脹脛を肉離れして全治1ヶ月。「小学生時代から思い描いていたはずの大学4年生がどんどん違う方向に進んでいた。不甲斐ない副将だった」と、悶々としたまま松葉杖で嵐が丘に通っていた日々を振り返る。

初戦の明大戦は雰囲気もよく、課題であった立ち上がりで早々にTDを獲得。このまま勝ち切れるかという期待も高まる中、第2Qの途中で副将/絶対的エースのWR・久保宙(経4・慶應)が負傷によりフィールドを後にする。UNICORNSのゲームチェンジャーであり、練習から圧倒的存在感を放つ久保の離脱にチームは動揺を隠せなかった。あと一歩のところでチームの精神的な未熟さや詰めの甘さが露呈したと語る作田。東大戦と中大戦にも敗れ、TOP8残留をかけた入替戦への出場が頭をよぎる。それでもなんとか桜美林大に勝利し、秋の早慶戦でも勝利こそならなかったが早大相手に前半をリードで折り返すなど、収穫の多い試合となった。作田自身も法大戦でなんとか復帰を果たしたが、チームは敗戦。煮え切らないまま立大戦に臨んでしまった。攻守の入れ替わりが激しく、ディフェンス目線ではすごい苦しい試合だったという立大戦。「酷い負け方をして、みんながハドルしているところにもいけないくらい泣いてた。それでも、チームも自分もなんとか前に進まなければいけないと感じた」と当時の胸の内を明かしてくれた。

苦しい中でも好プレーが光った立大戦

無事にTOP8残留で引退

泣いても笑ってもチーム2025で戦う最後の試合。命運を分かつ入替戦を前に「4年生のみんなも一生懸命やってくれて、後輩たちも想定よりも頑張ってくれた。没頭して、苦しみながらも進んでいった」という。しかし、試合2週間前に作田はぎっくり腰に。なんとか復帰を果たすも今度は試合直前に頚椎捻挫で首が動かなくなってしまった。当日も強行出場を試みたが、当日のヒットチェックで再び首が動かなくなった。その瞬間に、作田の16年間のアメフト人生がサイドラインで幕を下ろすことが確定した。「副将としての振る舞いが求められるから表にも出せないけど、満足のいく終わり方はできなかった。とにかくBIG8に落とせないという思いで祈るような思いで見守っていた」と当時を振り返る。

作田にとって、入替戦は同期の頼もしさを実感する試合でもあった。怪我で離脱していたエースで副将のWR・久保宙がなんとか復帰。主将の横手謙太朗(医4・慶應)と久保と作田の3人で試合挨拶にも参加できた。この試合の横手と久保のハドルが忘れられないという。横手の口から出た「俺を信じろ」という言葉。そして、苦しい時間帯に久保が「自分を信じろ」と仲間を鼓舞する姿。作田は「久保がボロボロの膝を抱えながら戻ってきてくれたのが大きかった。あの2人のハドルが試合を決めたものかなと思っている」と語っていた。

怪我で3人が揃わないこともあった

試合も、QB・山岡葵竜(政4・佼成学園)を走らせるプレーで徐々に反撃を開始。しかし、大一番で反則からTDを奪われピンチに追い込まれる。そして作田の印象に残っているのが、ゴール前4th&goで山岡が自らフレッシュを勝ち取った場面。「ヤード数が結構残っている中で4thダウン、しかも残りは1分を切っていた。諦めかけていた勝利を、もう一度信じさせてくれた」と振り返る。さらに、終盤で勝利を大きく手繰り寄せたロングパス。「葵竜のパスをとったのが猪ノ原(=浩臣/経4・慶應)なのがらしいな。なんでお前がそこにいるのって感じだけど、普段からずっと一緒にいる相棒にパスを通してタイムアウトをとって、本当に葵竜らしいプレーだった。あの瞬間にいろんな感情が溢れ出して、サイドラインでは最後のキックの時に全員がほぼ土下座みたいにひざまずいて祈ってたな」と試合中の様子を懐かしそうに話してくれた。最後は、K・北村朔也(商2・宇都宮短大附)がフィールドゴールを決め切り、ラスト1分から劇的勝利を飾った。また、試合後の横手の涙が忘れられないという作田。「感情をあまり表にする人じゃないから、主将として抱えてきてたもの、苦しさを初めてみられて、頑張ってくれてたんだなっていう感謝が強く出てきたかな。個人としては、出られなくて、出しきれなくて、嬉しい悲しいっていう感情が渦巻いている自分と、それを俯瞰している自分。苦しいラストシーズンだったけど、とりあえず勝てて良かった」と安堵の表情を見せた。

TOP残留を決めた直後の4年生

UNICORNSは精神的な故郷

「UNICORNSは自分の全て」だと語る作田。小学1年生の頃からアメフトのための16年間を過ごしてきた。そんなUNICORNSについて「苦しいこと、悲しいことも多かったけど、それでも成長させてくれた精神的な故郷。怪我で動けない中で、彼を突き動かしていたのは副将としての責任感。一選手としては「アメフトをするのが好きだし、アメフトをしている時の自分が一番好きだから。そこを諦めきれなかった」と率直な思いを明かしてくれた。今離れてみると、あの毎日はかけがえのない日々だったかなと思う」と話していた。作田がアメフトを通じて得られたものは、他でもない「今の自分」だ。「人として胸を張れる、誇れる人間になれた気がしている。楽な方に逃げずに、苦しい中でも最後の最後までやり切れた経験はUNICORNSに鍛えられた」という。

左から久保、横手、作田

やり切ることに一番の意味があるー。

怪我や苦しい経験を何度も乗り越えたからこそ見えた景色があった。UNICORNSでの16年間を糧に、新たなステージでも全力で挑み続けろ。

(取材・記事:長掛真依)

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