【バスケ(男子)】4年生コメント集③――小川翔平・宇野晋一郎

最終節の順大戦で劇的勝利を収め、2カ月以上にわたる全22試合のリーグ戦を12勝10敗で終えた慶大。最終的に順位は5位となり惜しくも入れ替え戦への出場は逃したが、それでも最後まで好ゲームを見せ続けてくれた慶大の輝きが色褪せることはないだろう。今回はそのリーグ戦をもって引退することになった4年生の、最後のインタビューの模様をお届けしていく。

最後にお届けするのは、学生コーチの小川翔平(総4・大宮開成)と宇野晋一郎(商4・慶應義塾志木)のインタビュー。選手として入部し、途中でスタッフに転向した小川と、4年間スタッフを務めてきた宇野。同期のスタッフが少ない中、陰からずっとチームを支え続けてきた二人にお話を伺った。(取材日:11月21日)

 

 

スタッフとしてチームを支えてきた小川(右)と宇野(左)

 

 

小川翔平・学生コーチ(総4・大宮開成)

 

 

――引退が決まった時の気持ちは

気を紛らわせようと思って買い物をしていたんですけど、結果が出てきて頭が真っ白になってしまって、引退したと思ったら色々な思いが湧き出てきてしまって、締め付けられる感じがして、買い物ができずに帰ってしまうくらい喪失感がありました。

――2週間経って変化は

もうバスケットボール部ではバスケができないんだという実感はないし、そう思うと辛い部分はあるんですけど、後輩がこれからまた(チームを)作っていくと思うので、今も4年生でミーティングをしていて、どういう風に継承していくかということは考えていて、学生のうちにできることはやって行きたいなと思います。

――最終戦を振り返って

順大戦はその前のクールで負けていたし、入れ替え戦に行けるかどうかもかかっている試合だったのですごく緊張して入っていたんですけれど、練習とかもここまでやったらちゃんと勝てるというところまでやっていたし、1年の集大成としてかなり良い試合にできたと思います。

――4年間様々な立場でバスケットボール部と向き合ってきたが

1年生の時はこのチームで1番のプレーヤーになってやろうと思っていて、誰よりも努力してというのはやっていて、それは先輩とか同期も認めてくれてはいたんですけれど、実力が伴ってこなかったというのでスタッフになることを突きつけられました。本当に葛藤があって辞めようかとも思ったんですけど、同期が押し付けることをしなくて、寄り添いながら一緒になんでスタッフが大事なのかということを考えてくれて、僕はスタッフになるという一歩を踏み出せていて、トレーナーになってからはたくさんトレーニングのことを学んだし、マネージャーになった時もSNSとか広報の部分にすごく面白さを感じました。学生コーチになれと言われた時が一番辛くて、バスケができなくてスタッフになったのにコーチをやるっていうのはどういうことだと思って、どうしようかと思っていたんですけど、色々な人の助けを借りながらどうにかできたかなと思っています。挫折の連続のような4年間でした。

――バスケ部への愛が人一倍あるように感じるが

本当に愛があって、スタッフに転向することになったときに、本来の予定よりも早くスタッフになることになってしまって、僕自身も苦しかったんですけど、鳥羽が泣きながら「お前のやってきたことは無駄にはしないし、俺らも頑張るから是非スタッフをやってほしい」と言ってくれたことがあって、それが僕の全てのモチベーションの源泉になりました。原・吉敷・小原・澤近もチームを愛していましたし、どんなに辛いことがあってもこいつらとだったら越えて行けるという思いがあって、すごく好きだったなと思います。

――どんな気持ちでスカウティングをしていたか

僕たちの代は3部降格もするんじゃないかという話もあって、僕たちとしては何としても1部昇格という目標があったので、口で言っているだけならなんでも言えるけど、それを実現するところまでやりたいという話をしていました。僕が学生コーチとしてできる部分で妥協したりせずに、論理的にゲームプランを組み立てていった時に絶対に勝てると言えるものを作りあげないと、自分の体と頭を酷使してあんなに頑張っている選手たちが、間違った戦術とかゲームプランによって負けてしまって、自分の責任だと思って落ち込む姿を見るのはきついと思っていたので、妥協せずに鈴木と一緒に毎日スカウティングをしていました。自分のできることをやるっていうのと、仲間の苦しんでいる姿はできる限り見たくないっていうのがモチベーションでした。

――SNSの開設など新しい取り組みをしてきたが

大学スポーツって競技力の面で力を入れるし、選手も自分の限界に挑戦するし、スタッフも勝利のために挑戦するしっていうのがあると思うんですけど、僕はそれも大事だけど、見てくれる人にどれだけ自分たちの魅力を発信して応援してもらえるかっていうのが大事だと思っていました。選手のモチベーションに繋がって、それが勝利に繋がって、見に来る人が増えて、とどんどん繋がっている部分だと思っていて、間接的ではあるんですけど広報とかがチームの強化につながると思っていました。チームの中でもそこまで気付けている人はなかなかいなかったので、気付いたからには形にしていきたいっていうのは宇野と話していました。5ヶ月でフォロワーも1000人ぐらいに増えて、それなりには頑張れたと思います。

――同期にかけたい言葉は

僕が言い方を考えずにバーっと言ってしまったりして、きつい部分とかもあったと思うんですけど、悪いと思うところにはちゃんと悪いと伝えてくれて、全員人間的に尊敬できる人たちばかりでした。鳥羽とか澤近がいなかったらこのチームはこんなに強くならなかったし、Aチームでスタートとして出ている人たちがこれだけ泥臭い部分を徹底してくれたからチームにそれが伝染したし、吉敷とか小原っていうBチームで光が当たらなかった人たちが、1年生から4年生まで変わらず努力を続けてきてチャンスをもらった時に開花したからBチームの人たちも希望が持てたし、宇野がいたから僕は好き勝手やっても回せるようにしてくれていたし、本当に助けられた4年間でした。

――後輩にメッセージを

鈴木は僕と一緒にずっとスカウティングをしてきて、賢いし熱い部分もあっていいと思うんですけど、そこは通してもらって周りに頼るっていうのは潰れないためにもいいと思います。彼はすごい能力を持っているので、自分だけで背負わないで周りに助けを求めたらもっと良くなると思います。小祝は頑張れって感じです(笑)。野田はこれからマネージャーとして引っ張ってくれると思うので、楽しい部活を作るのはやっぱりマネージャーだと思うし、そこは頑張ってほしいです。今年は1年生から4年生まで役割に優劣をつけずにやっていたつもりなので、2年生は津野地も杉田も1年生の大西も経験してきたことは来年もアップデートしてできると思うので、限りなく成長していくチームになってほしいと思います。

 

 

 

宇野晋一郎・学生コーチ(商4・慶應義塾志木)

 

 

――引退が決まったときの気持ちは

引退が決まったとき、僕自身は一人家の中で魚を捌いていたんですけど(笑)。魚を捌いてたら「あれ、負けちゃったよ」みたいな感じで、正直本当に実感がなくて、明日から本当に何もないのかなとか、これで自分終わっちゃったのかなとか・・・。みんなで引退を分かち合うとかが無くて結構辛い環境ではあったんですけど、率直な感想は「本当に引退したの?」って感じですね。同期に電話して「俺引退したんだよね?」みたいな話をずっとしていました。

――日が経って実感も湧いてきたか

一番引退を実感したなって思ったのが、自分たちが出られなかった入れ替え戦が終わった時で、試合も観に行ったんですけど、もしかしたら自分たちもこの舞台でやってたのかなと思って、実際に試合が終わって、学生生活が終わっちゃったんだなっていう実感がこみ上げてきました。今でもホームページをリニューアルしたいからその手伝いとかはしてるんですけど、毎日バスケットのことを考える大学生活がなくなって、自分が今まで運営していたSNSとかも、今日どんな投稿をしようっていうのもなくなったし、これが引退したってことかっていう実感がやっと2週間後くらいに芽生えてきた感じでした。自然と集まっていた同期と集まらなくなったりとか、後輩とふざけあってた時間が無くなったのが寂しいですね。

――今季のリーグ戦を振り返って

大変だったのはやっぱり3年生の頃だったので、それに比べたら大変じゃなかったわけではないですけど、ミーティングとかを毎日したり、SNSを開設してみたりとか、どんどん新しいことにチャレンジできたかなっていうことは感じています。そういう意味では4年目の最後は全然違う1年間だったかなと思うんですけど、やっぱり早慶戦で負けたり、リーグ戦で連敗してしまって入れ替え戦に出られなかったり、苦しいことも多いシーズンではあったんですけど、その分12勝の中の1勝1勝に達成感がありましたし、早慶戦の負けが繋がったと思いましたし、3年間でもやもやしていたものが4年目に繋がったかなっていう感じがありました。辛いこともたくさんありましたけど、その倍以上に嬉しいことがあった良いシーズンだったと思います。

――スタッフとしてバスケ部に関わろうと思った理由は

もともと1年の秋から入部していて、それまではバスケは高校でおしまいかなという風に思っていたんですけど、実は新人戦とかも入部する前に彼らが戦っているのを観に行ってて、すごい良いチームだなと感じていましたし、一番大きかったのは志木高の同期の小原・吉敷に「バスケ部に入ってくれないか」と誘われたことで、彼らが選手として頑張れる可能性があるんだったら、それを支えてあげたいっていう強い気持ちがありました。

――その同期2人の今季の活躍は嬉しかったのでは

こんなこと本人たちには全然言わないんですけど、早慶戦の時も二人が最後試合に出て、吉敷がリバウンドを取って小原が決めてとかのプレーを見て、僕はあんまり泣かない性格なんですけど、思わず涙がこみ上げてきました。リーグ戦も2人の活躍があってここまで来たというのは、正直多分どこの誰よりも僕が嬉しいかなっていうのが率直な感想です。

――スタッフとして苦労したことは

僕自身4年間でいろんな役職をやらせて頂いて、1年目はマネージャーやって、2年目は一貫校のコーチやって、3年目は大学の学生コーチやって、4年目の最後の方は広報をやるって感じで、その中で一貫してどのようにチームに貢献するかっていうのを常に考えていたんですけど、やっぱり難しい時期はありました。1年目は全然ノウハウがわからず、2年目はずっと一貫校にいて同期と関わることもなく、3年目もいろいろギクシャクがあってという感じで、スタッフだから苦労したのかなっていうのは結構あります。でもその分選手が結果を残してくれたり、チームが一つにまとまったりっていうのが大きかったので、思い返したら辛いこともたくさんあったんですけど、今引退して考えると辛いことより楽しいことが大きかったなと。引退して楽しいことがなくなっちゃったので(笑)。

――やりがいを感じた瞬間は

僕がめちゃくちゃ嬉しかったのは、昨年・一昨年でホームゲームがあって、運営とか用意とか頑張って、結果として試合には負けてしまったんですけど、同期の原とかが「こういう環境でバスケットができるのは幸せだし、それを作ってくれたスタッフとかに感謝したい」って言っていて、もちろん感謝されることが目的ではないんですけど、そういうことをポロって言ってくれたことですね。あとは試合に勝った時に選手が「ありがとう」とか言ってくれるのが、自分の中でも一番やってて良かったと思います。もちろんバスケットで体力は使わない分、自分たちが頑張らないといけないところを、選手たちも一緒に支えてくれる環境があったので、辛いことでも楽しく思えたかなと感じます。

――これから卒業までどのように過ごしたいか

今までやれなかったことを全部やりたいなと思っています。僕は今まで生きてきた人生のテーマが“愛と笑い”っていうので、就活の時とかも言ってたんですけど真面目にそう思っていて、この4年間というか22年間、自分がやってきたことには愛情を注いできたし、愛する同期がいて愛するチームがあってっていう幸せな環境の中で笑顔にできたと思うので、これから引退後も“愛と笑い”をテーマに何かを愛せて、そして死ぬまで笑顔でいたいと思います(笑)。

――同じスタッフの小川はどんな存在だったか

難しいな・・・。あんまり普段そういう話をすることはないので・・・。でも人一倍責任感があって、チームが勝ちたいっていう気持ちが強い男で、本当に頼りになるというか、僕も頼りっぱなしな部分がありました。頼りになって行動力もあって、熱くチームを引っ張ってくれて、その分好き勝手やっていた部分もアイツにはあったと思うんですけど(笑)。それほどチームを愛せて、チームのために尽くせる人はいないと思うので、率直に尊敬しているっていう思いと、そういう人が同期にいて良かったなと。自分が結構しっかりしてないというか、楽観的な人間なので(笑)。何でも楽しい方に持っていきそうな時も小川がチームをまとめてくれたりとか、進む道を示してくれたりしたので、一緒にやれて良かったかなというのと、ありがとうという感謝の気持ちでいっぱいです。

――同期の選手たちにかけたい言葉は

いろいろ怪我とかトラブルとかもあったけど、一番最初に思い浮かぶのは「四年間お疲れさま」っていう言葉だけです。プレーしてない自分に対しても対等な目線でいてくれたし、僕は中学校から目立ちたがり屋の人間で、スタッフっていう日の当たらないところで目立ちたがり屋の自分がここまで人のために頑張れたのは、この同期だったからなのかなっていうのは一番感じています。自分が目立たなくてもチームが勝ってほしい、こいつらに頑張ってほしいと思えたので、選手には本当に「ありがとう」と「お疲れさま」の二言で十分かなと。

――後輩たちにメッセージを

僕らは結構良い代って言われ続けていたんですけど、それに引けを取らないほどみんなしっかりしていると思いますし、スタッフ陣もこれから大変になるっていう話をしているんですけど、自分たちも危機感を持って動いていると思います。僕は正直心配ではあるんですけど、絶対何とかしてくれる、また良いチームを作ってくれるっていうのは思いますし、頑張ってほしいです。あと匠もよく言っているんですけど、バスケットって楽しめなくなったらおしまいだなって思うので、辛い後輩の顔はあんまり見たくないですし、3年生には笑顔で最後の1年間を楽しんでほしいです。個人的にはいろんな人とご飯食べに行ってメッセージを残してきたので(笑)。本当に楽しんでほしいなっていう思いです。

 

二人の想いは後輩のスタッフにも受け継がれていくはずだ

 

(取材:徳吉勇斗・船田千紗)

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