「#KeioOneTeam」を先導する慶大少林寺拳法部。昨今、體育會の中でもその存在感は高まりつつある。今回はそんな慶大少林寺拳法部の主将を務める坂井康太郎(文4・東京都市大付属)のコラム記事をお届けする。「他人のため、チームのため」戦う主将の人生に迫った。
東急日吉駅の改札口を出て右手に折れると、長く緩やかな坂道が目に映る。その坂道の先にあるのが、日吉記念館だ。今年3月に竣工された新しい日吉のシンボルは「四季の変化に映える白を基調とし」た壮大な作りになっている。銀杏並木の色付きと共に、新たなシンボルも四季折々の美しさを見せてくれるだろう。
話はさかのぼり、昨年12月。建設中の日吉記念館を横目に目的の場所へと向かう。
この日の舞台は慶應義塾高校地下体育館。少林寺拳法部の早慶戦が行われることとなっていた。開会式の1時間前、既に緊張感が漂う。そんな中、道着に身を包んだ拳士の何人かが一人の男と言葉を交わしていた。
その男はチームで最も忙しい男だった。仲間の得点に喜ぶ、いや跳ねる。突き上げた拳と一緒に、ふわっ、と身体も跳ねていた。1分間の休憩時間では誰よりも早く駆け寄り、誰よりも長く言葉をかける。そしてまた、ふわっ、と跳ねる。これを9人分繰り返したのち、自身は10人目の拳士つまり「大将」として決戦に挑んだ。
先制を許し、足首を痛め、なおも食い下がり、敗れた。2年ぶりの早慶戦勝利ならず。部員の中には涙する者もいた。
ただ、不思議と部員の笑顔が印象的だった。言葉を選ばずに書くとすれば、「無邪気」。仲間の一本、勝利をとことん喜ぶ。顔をくしゃくしゃにして笑う。まるで子供のように無邪気でありながら、そこには確かな団結があった。
無邪気な団結感。仕掛け人は、早慶戦大将にして部の主将、坂井康太郎だった。この団結感を解き明かすには、昔話から始める必要がありそうだ。
「35人中35番目」からのスタート
「見習い」。それが入部当初、坂井の序列だった。本人は「冗談ではなく」と前置きしたうえで、「実力は部員35人中35番目」だったと語る。同期入部者は男子5名女子2名。坂井はその中で唯一の武道未経験者だった。なぜそんな見知らぬ世界に飛び込んだのか。理由を尋ねると、一言。「強くなりたかったから」。
坂井は根っからの野球小僧だ。小中高あわせて10年間、白球を追い続けてきた。一方の坂井家は武道一家。父は合気道、母は剣道、弟は空手をそれぞれ修める。その一家にあって坂井が「自分も強くなりたい」と感じるのは必然だったのかもしれない。
さて、ここからが苦しかった。同期入部者が全国規模の大会で賞を獲得する一方、坂井は1年半「入賞ゼロ」。1年次に出場した早慶戦新人の部でも、自分だけが黒星を喫した。坂井はこの日々を「負けては泣いて負けては泣いて」と振り返る。
ただ、坂井にとって、こうした日々は初めてのことではなかった。本人曰く「部内で一番小さくて、一番下手だった」中学の野球部時代。「学校一厳しい」と言われた練習に耐えかね、一度退部届をもらいにいったことがある。届を持ち帰ると、武道派父母にこう言われた。「それ、かっこ悪くない?」坂井は退部の意志を引っ込めた。
ここからはひたむきに頑張った。指導者や先輩、ときには同期や後輩の助言も「素直に取り込み」、研鑽を積んでいく。そして迎えた高3の夏、坂井康太郎の名はスターティングオーダーに刻まれた。
坂井にとって、少林寺拳法という世界はたしかに未知のそれだったかもしれない。しかし、「35人中35番目」という世界はおなじみの逆境。乗り越える術も知っていた。そしてやはり、ひたむきに頑張った。
坂井の努力は2つの面で報われる。まずは2年秋の関東新人大会。運用法と演舞の二部門で準優勝、晴れて初受賞を飾る。そして3年の夏合宿最終日、坂井は慶大少林寺拳法部の主将に就任。かつて「見習い」だった男は、部を率いる「リーダー」となった。
早慶戦は「団体競技」
主将として最初の大仕事は「早慶戦」だった。少林寺拳法は通常、個人競技だとされる。坂井も「個人が頑張って成果を出す競技」と少林寺拳法のもつ個人競技の性質を肯う。
しかし、早慶戦は違う。早慶戦は団体競技だ。新人の部、本戦の部ともに5対5で行われるこの一戦。「僕一人が勝っても他の9人が負けたらチームとしては負け」。坂井の言葉が早慶戦の団体競技性を表している。ワセダに勝つためには、他の部員の協力が不可欠だった。坂井新主将は「いかにして他の部員を勝たせるか」と向き合い、考え抜くことになる。
坂井はまず、練習を変えた。新チーム発足から12月の早慶戦まで、与えられた時間はたったの1か月。課された使命は日本一のワセダ撃破。地力に劣る慶大は、部全体の底上げが求められていた。(少林寺拳法部では、12月の早慶戦が新チーム発足後の最初の大会であることに留意されたい)
そこで坂井が導入したのが「5段階練習法」。部員一人一人の習熟度を考慮した効率重視の練習法だ。同期部員と共に、内容の考案から実践までを請け負ったという。さらなるレベルアップのため、「日本武道館」にも師を求めた。
「ついていきたいと思われるリーダー」
次に坂井は、自分を変えた。目標は「ついていきたいと思われるリーダー」。己の成果を追求する一部員を脱し、部員全員のために動くリーダーを目指した。
坂井は「少林寺拳法部主将」以外にも多くの顔を持つ。文学部人間科学専攻のゼミ代表、自宅でショパンを奏でるピアニスト、2年半で300冊以上の本から学ぶ読書家。その中の一つとして、「LEAP学生講師」というものがある。LEAPとはLeadership Education Athlete Programの略称で、「リーダーたる知的体育会」の育成を目指すプログラムだ。ここで坂井は学生講師に選出され、リーダーとしての在り方を学んでいる。
「半学半教」の体現者として、坂井は学びを実践に移す。
秘策の一つが「直筆手紙」。早慶戦前日、18人の部員全員に直筆の手紙を手渡した。「これは大成功でしたね」。わずかに口角が上がった。おそらく、会心の一手だったのだろう。いや、会心の一手だった。
翌日、坂井宛に「2つの返信」が届く。一つは、後輩からの直筆手紙。主将のサプライズに後輩数名が筆を執って応じた。そしてもう一つは、早慶戦の団結感。主将の想いに部員は笑顔と歓声で応えた。いずれも「ついていきたい」というメッセージが込められていた。
「もう一枚」の手紙
「歴代で最も熱い男」。主将に対する後輩評だ。なるほどな、と思わせるエピソードがある。
インタビュー終了後、一通のWordファイルが届いた。送り主は坂井康太郎その人。
実は取材中、坂井が言葉に詰まる瞬間があった。質問は「そこまで他人について考えることができる原動力はどこにあるのですか」。回答は…たしかに歯切れが悪かった。おそらく、放っておけなかったのだろう。熟考の末、考えをまとめてくれた。
ここは本稿筆者の出る幕ではない。以下、坂井の筆をそのまま。(一部略)
8月中旬に七泊八日、1~4年生の全部員で山中湖に行きます。
僕は「自分がこの合宿で後輩たちや同期を引っ張り、少林寺拳法部を引っ張るんだ」という気持ちで臨みました。
そして最終日、(多分人生で体力的に)一番「きつかった」メニューが前主将とのミットラッシュです。(ミットラッシュとは、前主将の持つミットをひたすら全力で殴る、蹴るということを永遠にやり続ける練習)
この目的は、ミットラッシュが終わってからわかったのですが、「チームを率いる主将としての覚悟」を植え付ける事だったのではないかと思います。辛すぎて立てなくなって倒れても、まだ全力で殴り続けなければならない。
とっくに自分の体力の限界はきています。それでも続けなければならない。
この究極の窮地に立った時人間はどう考えれば、折れずに、持てる力全てを出し続けられるか分かりますか?
「他人のため、チームのために」と思うことです。(部員たちが周りで必死に応援してくれました)自分のためだけでは、とっくに気を失います。
このミットラッシュを通して「自分がチームと部員のことを世界で一番考えよう」と思えました。僕が「部のことや、部員のことを一番に考えられる根底」にはこの体験があったからだと思います。
なるほど、こりゃたしかに「熱い」や。練習方法、直筆手紙、そして「もう一枚の手紙」。かくして坂井康太郎の情熱は、少林寺を知らぬ記者に有形物として示された。
「部に入ってよかったな」
最後に、ありふれた質問を。「今年の目標は?」
選手としての目標。「全日本学生大会の運用法部門で一位になりたい。これは僕の入部の動機でもある『強くなりたい』の体現ですね」。
単純明快。必要最低限の防具を身につける。そして、殴る、蹴る。より多く相手を殴り、蹴った者が勝つ、つまり「強い」。運用法部門で日本一に輝くことは、夢の実現にほかならない。
では、主将としての目標は?「部員に『部に入ってよかったな』という想いをいつも抱いていてほしい。そのために一対一でコミュニケーションをとって、モチベーションをアップさせてあげたいです」。
「部に入ってよかったな」。目標の達成度を測るのは、たやすいことではない。
しかし、部員の中に、こんな笑顔が毎日生まれるような集団ならば、どうか。
きっとこういう集団こそ「入ってよかったな」の体現だといえるのではないだろうか。
坂井康太郎は二つの大きな目標にむけ、これからも熱く戦い続ける。
(記事:野田 快)