5月26日に行われた入替戦にて閉幕した春季リーグ戦の全試合にスターティングメンバーとして出場し多大な活躍を遂げた内田克弥選手(環4・松江高専)。得点が決まるたびに見せる笑顔や熱く喜ぶ姿が印象的な内田選手だが、勝利に懸ける強い思いや膨大な量の自主練習の末に休部を迫られた時期も。一人の選手としてこれまで歩んできたバレーボール人生は。そして最高学年として最後の早慶戦に懸ける思いとは――
1部リーグ昇格めざし猛練習
バレー―ボールを始めたのは小学校4年生のころ。地元で両親が立ち上げに関わったチームに入ることでバレーボール人生が始まった。そこからずっと競技を続け、高校まではアウトサイドヒッター(レフト)として活躍。大学入学後はピンチサーバーなど複数のポジション・役割を経験し2年生の秋ごろから本格的にリベロを務めることになる。
そして迎えた22年の秋季リーグ戦ではスターティングメンバーとして出場。このリーグ戦中、内田の1部リーグ昇格に懸ける思いは誰よりも強かった。第4戦・大東文化大戦の試合後には反省点を挙げつつ「それを突き詰めて入替戦とかに臨みたい」と語り、リーグ戦前半でありながら強くリーグ戦最後の入替戦を意識していたことが分かる。内田はリーグ戦開幕前の夏から徹底的に準備を積んでおり、全体練習の後に自主練習を行い1日の練習時間が10時間に及ぶ日も。この努力の末に内田はリーグ戦で大活躍を見せ、チームも見事1部リーグに返り咲いた。
昇格を達成し「やり切った」
チームの目標であり、かつ個人としても強く望んでいた1部リーグへの昇格を達成すると内田はプレーとパフォーマンスの低下に悩まされる。練習にも身が入らなくなり、そうした自身の姿にも嫌悪を覚えるようになったという。そして内田は休部を決意した。退部も頭によぎったが、ビーチバレーでの経験がチームに戻るきっかけとなった。当時の主将でもあった島田航希(令6経卒)とペアを組みビーチバレーをすると、バレーボールに再び楽しさを覚え復帰を決める。島田から部の様子をたびたび聞けていたことも内田の背中を押した。
悔しさで磨いた技術と残る課題
復帰後は再び練習と向き合う日々。その結果、今年の春季リーグ戦では前述のような大活躍を果たす。リーグ戦を通して自身の成長を感じたのは、スパイクとサーブレシーブであると語る。3年生以下までには任されることのなかったスパイクに、リーグ初期には不安を感じていたものの、打つべきコースを意識しスパイクの成長を果たした。リーグ初期には連携不足が見られたサーブレシーブについても、最上級生としてのリーダーシップを発揮し、入替戦ではより良いサーブレシーブが提供できたという。一方、チームとしての強みであるブロックに対してその後のワンタッチボールの処理を今後の課題として語るなど、向上することをやめない姿勢は一貫している。
早慶戦を目前にして
大学入学当初は馴染みのなかった早慶戦に、最も思い入れを感じたのは2年生の早慶戦だった。チームが2部に落ち、個人としてはリベロを初めて1週間という状況の中で、1つディグを上げるだけで巻き起こる、早慶戦特別の超満員の歓声を身をもって体感し、他の試合とは別格の早慶戦のパワーを感じたという。今年の早慶戦の舞台は、最も思い入れの残る2年生の早慶戦と同じ早稲田アリーナ。「またあの歓声が聞けるいい試合ができるように、また早稲田に勝てるように、(早稲田に)一泡吹かせてやりたい」と最後の早慶戦に懸ける思いは遥かに大きい。早慶戦特別の歓声の中、注目してほしい点は「泥臭く粘り強く繋げていくレシーブ」だという。「早稲田に勝ってみんなで笑いたい」と最後に語った内田選手の笑顔には、早慶戦への熱い思いと選手としての真の強さが感じられた。
(記事:堀江祢音、五関優太)