【慶早戦支援委員会×ケイスポ】学生スポーツの頂点 ‟魂の戦い” 慶早戦の歴史を紐解く/野球慶早戦コラボ企画第1弾

コラボ企画

11月9日と10日に開催される東京六大学野球秋季リーグ戦、慶應義塾大学対早稲田大学のいわゆる「慶早戦」にはよく「伝統の」という言葉が使われる。2024年春の慶早戦では、明治神宮球場に約26000人が観戦に訪れるほどの人気を誇るものであった。そんな慶早戦が恒例行事になるまでには、長い歴史が積み重なっている。本記事ではそんな慶早戦の始まり、そして中止と復活について紹介する。

 

まずは慶早戦の歴史の前に、慶應の体育会野球部の歴史も重要である。今の野球部の前身となったのは、1888年創設の三田ベースボールクラブだ。その後1892年に慶應義塾内で体育会が創設されたことにより、三田ベースボールクラブは体育会野球部になったのである。そしてそれから9年後の1901年、早稲田大学において野球部が創設された。そこで1903年に早稲田が先輩格である慶應に挑戦状を送ったことで、11月21日に初の慶早戦が行われた。この対戦では11対9で慶應が勝利したが、格下であると見られていた早稲田が善戦したことから慶應も早稲田をライバルと認め、翌年から定期戦を行うことになったのである。

 

 1904年の慶早戦では、すでに早慶両校とも当時学生最強と謳われていた第一高等学校(現東京大学教養学部)野球部に勝利していたことで、当時の野球界においての頂上決戦として日本中から注目を浴びるものとなっていた。早稲田が日本初のアメリカ遠征を終えた1905年の慶早戦では1回戦で慶應が勝利し、その後2回戦では早稲田が勝利した。両校の優勝がかかった続く3回戦では、会場の戸塚運動場に約10000人が観戦に訪れたという。両校とも応援団を組み、必死の応援の末、3回戦は早稲田が延長11回、3対2で勝利を手にした。

 

翌年1906年の慶早戦ではこの応援合戦はさらに苛烈さを増した。1回戦に勝利した慶應の学生は大隈重信邸にて万歳三唱を行い、2回戦に勝利した早稲田の学生は福沢諭吉邸にて万歳三唱を行った。これらの両校の応援による学生同士の衝突を危惧した当時の慶應義塾・鎌田塾長が早稲田側に慶早戦の中止を求めたことから、3回戦の開催を取りやめることになった。そして、慶早戦の開催が再開されたのは19年後の1925年のことであった。

 

慶早戦の復活を目指し、数々の団体が慶應の説得を試みたが、慶應は依然再開を認めず膠着状態が続いていた。そんな中、1914年には現在の東京六大学野球連盟の原型となる早稲田・慶應・明治大学の三大学連盟が明治大学により結成された。この連盟は後に法政大学・立教大学が加入することで、五大学野球連盟となった。しかし、三大学の時期も五大学の時期も慶應と早稲田が直接対決を避けるために、リーグ戦で不規則な組み合わせを組む必要があったため、明治と法政は慶應に対し慶早戦の再度復活を申し入れた。それでも回答は翌年に持ち越しになり、痺れを切らした連盟はリーグを解散して慶應以外の四大学で新リーグを結成する案を出したのである。ここで慶應もついに慶早戦の復活を認めることとなった。

 

1925年秋に連盟会議で慶早戦が正式に復活することを決定し、その同時期に五大学連盟に東京大学が加入。現在の東京六大学野球連盟が発足した。その後はリーグ戦を通して毎年の定期戦を行うようになった。1933年にはリンゴ事件と呼ばれる球場内の大乱闘事件が発生。慶早戦二度目の中止の危機かと危ぶまれたが、応援席を慶應が三塁側、早稲田が一塁側に固定することで免れた。1943年には学徒出陣前に東京六大学野球連盟が解散した中、出陣学徒壮行早慶戦「最後の早慶戦」が行われた。試合後には戦地に赴く仲間たちの健闘を祈り合い、互いの校歌、応援歌、そして「海ゆかば」という当時の軍歌を合唱した。

出陣学徒壮行早慶戦、別名「最後の早慶戦」

終戦後すぐの1945年秋には慶早戦が復活し、今でも慶早戦は東京六大学野球のリーグ戦として毎年行われている。2024年春を含め、リーグ戦においての慶早野球戦は454戦行われており、200勝243敗11分という成績である。そんな慶早戦も今年で123周年となった。このような歴史を持つ野球慶早戦は、11月9日(土)と10日(日)に開催予定である。皆さんも神宮球場を訪れ、熱く応援をし、100年以上続く歴史の一部になってはどうだろうか?

 

〈記事:慶早戦支援委員会 担当:工藤佑太(慶應スポーツ新聞会)〉

 

出典:【慶應義塾體育會】早慶戦の由来 | 慶應義塾大学理工学部同窓会Webサイト

   「早慶戦」復活と六大学野球の始まり – 早稲田ウィークリー

   早慶戦勝敗一覧|慶應義塾体育会

   野球部の歴史 – 慶應義塾体育会野球部

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