【Last message】刻んだ歴史と挑戦の日々/4年生特集「Last message~4年間の軌跡~」 No.13・下村亮太朗(庭球部男子)

庭球男子

24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡」。第13回となる今回は男子庭球部の下村亮太朗(法4・慶應)。1年間、男子庭球部の主将を務め、リーダーとして、選手としての存在感を見せつけた。引退を迎えて半年の現在の下村を取材した。

下村は慶應義塾高校庭球部を経てそのまま大学でも慣れ親しんだ蝮谷テニスコートで7年間という長い時間を過ごした。そんな、学生生活のすべてであったテニスと慶應について下村は「自分を作ってくれた存在」と述べ、自分自身を形作るアイデンティティとなっている。

下村は2年次から関東大学テニスリーグ戦と全日本大学対抗テニス王座決定試合(王座)で無敗を記録し、将来のチームの大黒柱としての活躍が期待される注目選手であった。しかし、無敗であった王座では、当時大会17連覇をし、独走状態であった早大をあと一歩まで追い詰めるも惜しくも及ばなかった。それでも16戦16勝という結果とチームの王座準優勝は、下村のチームを引っ張っていくキャプテンシーと技術的な面での成長を実感させるものとなった。

チームの大黒柱としての活躍

続く3年次には当時、主将であった藤原智也(令6環卒)とダブルスで1年間を通しペアを組み、キャプテンとしての背中を一番近い距離で学び取った。成績では個人戦で常に上位に食い込む活躍を見せゆるぎない絶対的な地位を部内で確立させた。

歴史、テニス人生、仲間たちの想いのすべてを背負い、迎えた王座では46年ぶりの悲願の優勝を果たす。歴史に名を刻んだ下村は王座奪還を目指し、既に戦績や、経験においても部内で右に出る者のいなく、前主将であった藤原から強い信頼を得ていた下村は主将として4年目を迎えた。

主将となり迎えた最初の早慶戦。慶大は王座の時と同じく接戦を演じるも、最終ゲームであった下村のシングルスで自ら慶大の勝利を決めた。26年ぶりに勝利した昨年に続く早慶戦での勝利だった。

出だしは順調に見えた主将としての1年であったが、前回王者としての威厳を持った慶大を率いる責任は重く、難しいものであった。王座進出をかけた関東大学リーグ初戦の筑波大学戦との試合ではシングルスでの敗北に合わせ、チームは3-6で黒星発進となる。続く明治戦でも敗北し、調子の上がらない日が続いた。昨年度の王座準優勝チームである日大との一戦では王座進出最後の希望を秘めて、試合に臨むも王座進出は叶わなかった。しかし、思い切ったプレーと諦めずボールに必死に手を伸ばす姿勢は王者らしさはなく、挑戦を絶やさない下村の姿があった。

ボールに食らいつく下村

試合直後のインタビューでは「正直、 自分たちが1年生の頃から見てきた主将像と自分は遠かったなと。今まで圧倒的なエースの存在がいて、自分はそこにはなりきれなかったんですけど、チーム慶應の選手として、主将として戦えたことは誇りに思っている」と4年間を回顧する。

日大戦直後サポーターに声をかける

現在の彼に今後の新天地を迎えるにあたり、庭球部の経験がどのようにいかされるかについて質問した。「当たり前のことを当たり前にやる大切さ。正しい努力は裏切らないという確信を持って生きていける」と明言する。慶大で成し遂げた数々の栄光とその一つ一つの裏にある下村がささげたすべてが言葉の節々から感じられる。

彼が慶大庭球部で見せた、頂への執念やそれに対しもがき、あがくも挑戦し続けた姿勢はこれから続く壮大な慶大庭球部の歴史に受け継がれていく。46年ぶり王座優勝という歴史の立役者である下村を慶大庭球部125年の歴史の先代の方々がきっと見守っていた。今度は下村が「挑戦」に臨む庭球部を見守る。

 

 (取材・記事:吹山航生)

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