【アメフト】「なぜアメフトをやるのか」勝敗を背負い過程にこだわり抜く強さ/4年生卒業企画「光るとき」 No.59 山岡葵竜

アメフト

25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第59回となる今回は、アメリカンフットボール部のQB・山岡葵竜(政4・佼成学園)。ラストイヤーは、唯一の4年生QBとして、オフェンスリーダーとして慶大を牽引してきた。勝敗の重責を担う司令塔として山岡は何を想い、戦ってきたのか-。

アメフトに導かれて慶大へ

山岡がアメフトに出会ったのは中学生の時。学生王者・立命館大の付属校である立命館宇治中に通っていたこと、身近にアメフト部の知り合いがいたことが入部を後押しした。体験練習を経て、山岡は身長や足の速さを活かせるQBとなった。その後は大学進学等も考慮し、東京の高校への進学を検討。学業にも注力しながらアメフトでも日本一を目指せる環境があることから、強豪・佼成学園高への進学を決めた。佼成学園高では、法大WR・高津佐隼世(キ4・佼成学園)や中大DL・佐々木敬尊(法4・佼成学園)といったアメフト界のスター選手と共に2年間を過ごした。高校2年時に日本一を獲得すると、山岡の中で一つの区切りがついたという。受験勉強に集中すべく、アメフト部を2年生で離れる決断をした。慶大への進学が決まった山岡がアメフト部への入部を決めるのに、時間はかからなかった。「中高でずっとやってきたし、慶應はずっとTOP8にいたから高校で同期だった人たちと同じ舞台で戦うこともできる。入部の理由に、何かすごい強いきっかけはなかったかな」と振り返る。

高校同期のOL・大坪英泰のスナップを受ける山岡

もどかしさと向き合い続けた2年半

山岡が1年生の頃は、慶大ユニコーンズに圧倒的な実力を誇るQB・相馬大輝(令6商卒・麻布)が在籍。「自分が試合に出たいというよりかは試合をサイドラインから見られるのが楽しくて、他の大学にも知ってる強い先輩がいるし楽しかった」と話していた。

しかし、大学2年生になって間も無く。ユニコーンズは活動自粛となり、8月まで部活ができない状態が続いた。活動再開後も、試合経験のある選手を起用して試合を乗り切ることで精一杯だった。苦しいチーム状況の中で「その年はまともな評価ができない状況というか…正直なんで自分が出られないんだろうって不貞腐れていた感じでした」と振り返る。それでも、横浜スタジアムで行われたTOP8最終節の東大戦。慶大が大きくリードした場面で出場機会を得た山岡は、2シリーズという限られた時間の中で結果を出して見せた。1シリーズ目は山岡の独走TD、2シリーズ目もパスを繋いでフレッシュを獲得すると、最後までリードを守り抜いて勝利に貢献。「俺はそんな使われ方のはずじゃないという気持ちと、素直に嬉しい気持ちがあった」と複雑な胸の内を明かしてくれた。

東大戦での山岡のTD

悔しさと、少しの期待を胸に迎えた3年生。春シーズンで試合に出るために、評価軸となるトレーニングにも力を入れた。無事に1枚目QBとなった山岡は、春シーズンの大事な試合である早慶戦と関学戦に出場。先輩QBの松本和樹(令7経卒・慶應)や水嶋魁(令7商卒・海陽学園)と3枚ローテで戦った。中でも山岡は栄えある早慶戦スターターと関学戦の後半という大役を任された。WR・水野覚太(令7政卒・慶應湘南藤沢)の独走TDに繋がった山岡のロングパスは、今でもその軌道を鮮明に覚えているという。「歓声のデシベルが違った。泣きかけたし、冒頭ですでに靭帯をやっちゃってたけど、アドレナリンでプレーしてた。痛くて怖くて走れなくて、かろうじて投げたパスが得点に繋がったのは嬉しかった」と語る。それなりに手応えを感じていたからこそ、今年こそは自分が1枚目のQBとして戦えるのではないか。そう思った矢先に、春の早慶戦で膝の靱帯を負傷。大事な時期に3、4ヶ月チームを離脱することを余儀なくされた。その間に、先輩QB2人がチームの中心に定着していた。「復帰した8月頃はシーズン直前だったから、今更俺が1本目としてQBを務めるっていう構想はなかったかな。当時は結構落ち込んだ。4年生は自分一人で回すことはわかっていたから、いかに先輩がいる状況から頭角を現して、試合に出て結果を残すのかを大事にしていたから、正直かなり落ち込んだ」と話してくれた。

春の早慶戦での山岡

 「葵竜のゾロリ」誕生が一つの転機に

山岡が復帰した直後のTOP8開幕戦は、悪天候の中行われた秋の早慶戦だった。ベンチで見守っていた山岡は、うまく機能しきらないオフェンスを前に何もできないもどかしさから、オフェンスコーディネーターやHCに直談判。「一番伝えたかった思いは俺を使ってほしいということ。あとはQBや選手の特性を活かしきれてない」という山岡の考えを真っ直ぐにぶつけた。その日をきっかけに生まれたのが、通称「ゾロリ」と呼ばれる攻撃パターンだ。QBの山岡の横にRBに猪ノ原浩臣(経4・慶應)と黒木哲平(経4・大宮開成)を置くファーストフォーメーションと、それを軸に展開される山岡のQBランという作戦だ。同年の明大戦から適用され、山岡のQBランも発揮できる機会が増えた。試合終盤に山岡のQBランでフレッシュを獲得したことも、明大戦勝利を大きく手繰り寄せた。

「ゾロリ」という作戦の由来は、『かいけつゾロリ』。「猪ノ原がイシシみたいで、俺がゾロリで、もう一人の黒木がノシシみたいだから(笑)」と教えてくれた。今では慶大オフェンスにとって、重要な一つの攻撃パターンとなっており、3rdダウンショートや4thダウンショートの場面では「葵竜のゾロリ」が定着しているという。その後は、東大戦で悔しいエンドゾーン前ファンブルなどもありながら、甲子園ボウル(全日本選手権大会)関学戦でもシリーズを一つ任せてもらった。「慶應の全日本選手権進出を支えた3枚QBの1枚として貢献できたことはすごく良い経験になったし、俺が思い描いていた3年生から1本目として出ることからはかけ離れていたけど、価値とかバリューをチームに還元できて嬉しかった」と語る。

ラストシーズンは「苦しいシーズンだった」と振り返る。TOP8の舞台を、QB1枚で投げ続けるのはかなり久しぶりのこと。当初は期待と自信に駆り立てられ、オフェンスリーダーとして作戦を決定できることに喜びを感じていた。2025チームの特徴は山岡がQBであることと、慶大が誇る絶対的エースの副将/WR・久保宙(経4・慶應)がいることだった。2025年度のユニコーンズは、この2人を軸に攻撃パターンを組んでいた。春は結果こそ振るわなかったが、試合の感覚をつかめたという意味で決して悪い期間ではなかった。

しかし、シーズン開幕を前に再び活動自粛という不測の事態に直面し、不安もあったという。初戦の明大戦では、なんとか第1シリーズからTDを獲得。山岡と久保がうまく強みを発揮して試合を展開していくはずだったが、前半途中で久保がまさかの負傷。副将であり絶対的エース・久保の負傷にチームは動揺を隠せなかった。前半は順調に進んでいたはずの試合は、10-45で明大に敗れた。続く東大戦は、山岡にとって思い入れのある相手。個人としてはそれなりに手応えはあったものの、チームに勝利をもたらせなかったことにかなり落ち込んだという。

悔しくも勝利を逃した東大戦

当時を振り返り「そのままズルズル中大戦に臨んでしまった。今思えばいちばん大事な試合だったはずなのに、チームとしては気づけば試合を迎えて、気づけば負けていた。3連敗でチーム状況は良くなかった」と語る。その後は、なんとか桜美林大に勝利するも、1部残留をかけた入替戦への出場が決定。勝っても入替戦を回避できない中で、モチベーションを維持することは難しかった。

それでも、入替戦を前に改めて危機感を抱いた山岡。「俺と久保を中心とした作戦だったはずなのに、気づけば強みをあまり活かせてなかった。違和感を感じながらも、誰も警鐘を鳴らす感じもなかった。でも流石に青学戦前にオフェンスコーディネーターの人と話し合って、自分に裁量のあるプレーをファーストダウンから採用してほしいと伝えた」と教えてくれた。その裏には、今年は「自分がやらなければ」という山岡なりの強い覚悟があった。「今年のシーズンの全ての責任を俺に還元したい。負けても勝っても俺のせいにしたいという気持ちがあって、1ヶ月前に大人のスタッフが提案してくれたスキームだと、自分を責めたくても責めきれないと思ったから。その思いが青学戦ではいちばん強かった。納得できる終わり方にしたかった」と当時の心境を明かしてくれた。試合は、ビハインドから山岡の執念のTDを契機に20-17で劇的勝利。「最後に勝てて本当によかった。負けてたら後輩に合わせる顔もないし、これからもOBとして見守ることができるのはすごいありがたいことだなって思います」と安堵の表情を見せた。

入替戦ラスト1分でTDを決めた山岡

スペシャルプレーは“阿吽の呼吸”

2025シーズンでも何度か見られたスペシャルプレーについて尋ねると、「もちろん型は準備していたけど、あれは全部アドリブです」と答えた。特に印象深いのが、春の早慶戦での独走と、入替戦・青学大戦でのトリッキーなパスプレーと超ロングパスだ。「あれは全部アドリブ。俺にパスが渡った瞬間に奥の空いてるレシーバーに投げるのが普通なんだけど、早慶戦は(投げる先が)空いてないから走ったら独走になって、青学戦も投げるところなくて探していたら久保宙が良い動きをしてくれてたから阿吽の呼吸だったね。超ロングパスは、スナップをもらってから3秒後くらいにライナーで投げるという型があったんだけど、なぜか良いところに猪ノ原がフリーでいた。あれはもう絆だよね。部活中はずっと猪ノ原といたから、阿吽の呼吸でしたね」と裏話を語ってくれた。

プレー中の山岡

過程にこだわり続けた10年間

山岡は、10年間のアメフト人生において「過程」を大事にしていた。「日本ではNFLみたいにアメフトで数十億を稼げるわけでもないのに、なぜアメフトをやるのか」を考えたという。アメフトが上手いから偉い訳でもなければ、礼儀や身だしなみを疎かにして良い訳でもない。「自分にはアメフトで生きていく道はないから。相手を決して煽らないし、相手を侮辱するような喜び方はしない。人間として大事な部分を失ってしまったら、アメフトを辞めた時に自分に何も残らないんじゃないかなという考え方が根本にある」と教えてくれた。日本一や全日本選手権出場が叶わなかったという意味では、確かに結果は振るわなかったかもしれない。それでも「自分なりには努力したし、過程の部分に拘ってトレーニングとか日頃の練習に力を注いできたから、絶対この経験というのは必ず将来にも生きてくると思う」と胸を張っていた。

アメフトとは「持ちつ持たれつの関係かな」と振り返った山岡。「アメフトのせいで寿命も身体も多分削られたけど、その分得られたものも大きい。大学もそうだし、高校もそうだし、友達もいっぱいできた。ウィンウィンだね(笑)」と語った。

結果という重圧を背負いながらも、過程にこだわり抜く強さ。10年間のアメフト人生を糧に、新たなステージでも自分らしく走り続けろ。

(取材、記事:長掛真依)

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