オリンピック特集第2弾は、フェンシング界期待の新星・三宅諒(文4)だ。今春のアジア選手権では個人で銅メダルを獲得するなど、着実にその実力を伸ばしている三宅。今回の取材では、フェンシングに対する想いから、オリンピックに臨む胸中などを伺った。若き日本の騎士は世界でその名をとどろかすことができるか。
(この取材は5月9日に行いました)
―フェンシングを始めたきっかけは
幼稚園生のころにフェンシングスクールに通っていました。親にタイタニックの映画を見させられて、こういう風になりなさいと言われていた。平泳ぎをやりたかったのですが、背泳ぎが苦手で、やめたくなったのですが、普通に辞めたいといっても辞められないので、違うことを始めようと。近くにカルチャースクールがあっていろんな写真があった中で、フェンシングの写真を見てこれをやりたいと思ったのがきっかけです。
―直感的なものか
そうですね。今見たらしょぼい写真なんですけど僕は小さい頃公園に行っては木の棒を振り回していたらしいので、剣を持ってるというところに惹かれたのだと思います。
―フェンシングを始めたのはいつか
水泳を始めたのが、幼稚園生のときで、辞められたのが小学1年生のとき。ですから小学校1年生になると同時にフェンシングを始めたという感じですね。
―フェンシングの面白さは
安全な対人競技なんです。一種の格闘技なんですが、防具をつけてダメージを与えるわけではなく、何とかして自分の剣を相手に触れさせるということに特化したスポーツなんです。チェスの格闘技版だと思っていただければ。当たり前ですが、攻守があって、攻撃をしたら防御をしなければならない。そこでフェイントというものがあって、決してボクシングのように殴ったりするものではなくて、いかに自分が突かれないようにして突くか、という駆け引きが面白いかなと思います。
―三宅選手の持ち味は
有名なのが、太田選手で剣をしならせて突くというやり方とかがありますけど、僕の場合はまっすぐ突くというあまり派手さはない。よくインタビューに答えているのが、「ヒーローになれないようなフェンシング」なんです。大技ができるとかそういうのではなく、基本的なことを淡々とやっていく感じです。どんなことをしても同じ1点なので、自分ができることを淡々とやっていくということが僕のフェンシングです。
―外国人選手との違いは
大きな違いは身長です。大体向こうの人だと180センチとかは当たり前で高い人だと190センチを超えていて、かなり高いところから剣が降ってくるんです。フェンシングには階級もないのでそういう選手と対等に戦うにはどうすればいいか考えると、駆け引き、つまり相手に攻撃をさせといてそれをよけたりとか、そうやって相手の身長差を覆すためには足を使ってしっかり距離を保ったりしなければならない。
―先ほど直観的にフェンシングを始めたとおっしゃっていたが、ここまでフェンシングを続けられたのはそういうかけひきに魅力を感じたからか
そうですね。そもそも小さい時に駆け引きというものはないので、まあ性に合っていたんですね。そもそもフェンシングというスポーツでは剣を振り回せるというのが楽しかったんだと思います。そういったところで常に勝ってステップアップして行けたというのはずっと続けられた秘訣かなと思います。
―理想の選手像は
今課題にしていることが、格闘技でもロジカルな考えができる選手になるということ。勝つためにはどうしたらいいかということを段階的に考えていって、「こうしたら相手がこうしてくるから、こうしよう」とか。こういうロジカルな考えができる、クレバーな選手になりたい。
―それが一番できている選手は
それは日本の太田選手だと思います。太田先輩はフェンシングを体系化していて、だからこそメダルもとれたし、外国人選手にも対等に戦えているのではないかと思います。
―太田選手とはどのくらいの頻度で会うのか
練習場で毎日会います。国立スポーツ科学センターというところで、毎日顔を合わせていて、アドバイスを聞きたいことがあればたまにですが聞いたりしています。
―いつからオリンピックを意識していたか
オリンピックという言葉はすごく魅力的だったのですが、小さい時から常に勝っていたので、オリンピックという言葉には慣れ親しんでいて、最終的にはオリンピックに出るだろうなとは思っていたんです。本当にオリンピックを意識したのは今年に入ってから。大会が近くなってようやくオリンピックの大切さとを実感してきた。漠然とあったものが、一気に現実的になった感じです。
―小さいころからの目標ではあったか
ありましたね。大変だなとは思っていました。
―今まで「節目で勝ってきた」とおっしゃっていたが
そうですね。小学校6年、中学、高校、今回は大学でも優勝したんですけど、節目で勝つというのが大事だなと。唯一心残りなのが、世界ジュニアのてアンダー20の部で優勝できなかったことです。17で世界を取ってるので、20で逃したというのが今でも悔しいです。
―慶應高に入った理由は
慶應のコーチが熱心な方だったこと。あと、フェンシング界には「フェンシングだけしてればいいよ」という人が多いんですよ。それが嫌だったんです。セカンドキャリアの話になるのですが、フェンシングはプロもないので、この先どうなるか考えたときに、意識が高い人がたくさんいるところに行って方が面白いなと思ったのがあって、慶應を選びました。
―慶應に対する憧れは
まったくなかったです。最初言われて、行っていいのという感じだったので、それでふらっと入った感じなので。最初から慶應にすごく入りたいと思っていたわけではなくて、入ってからよかったなと思いました。
―人生で一番思い出深い試合は
世界ジュニアのアンダー17で優勝した後に、全部ドーピング検査やら、表彰式やら終わった後に、寝ようとした時が一番記憶に残っています。
―逆に一番悔しかったのは
世界ジュニアのアンダー20です。アンダー17の選手が強いから上に上がってきたんです。本来は格下の相手なのに負けてしまった。ベスト8を懸けた試合だったんですが、一番調子のピークを持ってきたのに負けてしまったのですごく悔しかったです。
―相手の選手は
イタリアのルペリという選手です。今でも僕の一個下の代ではトップクラスです。今のところまだ僕の方が上だと思うんですが、どんどん追い付かれている感じです。
―その選手はオリンピックに出られるか
出られないです。イタリアは選手層がとんでもなく熱いので。
―今年のアジア選手権で個人3位。その結果については
素直にうれしい。自分の中で結果を出したいと思っていたところで、3位という結果ではありますが出せたというのは良かったです。
―当初の目標は
まずはメダル獲得だったので、目標は達成できました。一昨年に個人でメダル取っているので、前回と同じような感じなので悔しい部分もあるんですが、試合内容が一昨年よりもよかったので着実に実力がついたんだと思いました。結果よりもパフォーマンスに満足しているということです。
―団体戦でも3位。こちらについては
太田選手が最後の1試合以外不在で、エースがいないという状況でも本来なら勝てるはずの韓国に負けた。本当なら勝って太田先輩に僕たちでもやれますよというのを見せらければ行けなかったのに、負けてしまったということが悔しかった。反面、もう一度、一からやり直したいと思うようになってきっかけでした。
―個人戦と団体戦の違いは
個人戦は全部自分の責任で15点まで。団体戦は3人の選手が力を合わせて45点までやります。3人の力でやっていくので、責任感はあります。
―2010年の世界選手権で日本の団体は銅メダルを獲得するなど、力をつけてきているが
僕は初めはリザーブという形だったが、年数を重ねていくごとに正メンバーとして使っていただける機会が増えたので、仕事を任せてもらえるんだなっていう実感がわいてきています。
―オリンピックでの個人での目標は
メダル獲得ですね。それに突きます。初めてのオリンピックになるので、様子も分からないので、僕が全力で臨むのはもちろんなのですが、オリンピック独特の雰囲気を楽しんでやりたいです。
―団体の目標は
僕たちのチーム力は優勝してもおかしくないレベルにあると思うので、金メダルを目指してやっていきたいと思います。
―オリンピックに向けて具体的にやっていきたいこと
先ほど言ったように、ロジカルに考えること。全部パターンに当てはめていけば試合中に困ることはなく、主導権を取れると思うので。フィジカルの強化ももちろんなのですが、試合の経験値であったり、場数を踏むことによるいろんな情報を集めて使えるようにするという作業をしています。
―専攻の哲学がフェンシングに役立つことはあるか
フェンシングも哲学も決まった型がないという点で同じ。哲学を通じて、人それぞれの考え方があるというのは身にしみて感じているので、そこは強みだと思います。
―座右の銘は
「練習ハ不可能ヲ可能ニス」というのはいい言葉だと思います。また、「勝利の道も一歩から」という言葉の意味も最近実感しています。フェンシングをするときに、ロジカルに考えようとしているのは僕だけなので、一種のチャレンジだと考えています。すごく漠然としている中で一歩踏み出さなければならないので。
―オリンピックに向けて意気込みを
個人と団体のメダル獲得を目指したいと思います。
三宅選手、お忙しい中ありがとうございました!
(取材・茂藤 竜太郎、並松 康弘)
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