全日本インカレまであと2日。明日には開会式が行わ、今年最後の大会のはじまりが宣言される。2日後の大阪体育大との初戦がいよいよ迫ってきた。特集企画第6弾の本日は、富澤太凱副将(経4・慶應)に迫る。1年次の春季リーグ戦からスタメンOPとして活躍してきた富澤。この1年間を「ある意味、自分が嫌いになった1年間だった」と話した。その真意とは?ぜひご覧ください。
まさに彗星の如く現れたニュースターだった。1年次の春季リーグ戦でいきなりスタメン出場を果たした富澤。「圧倒的すぎるスパイク」(マルキナシム主将=総4・川越東)を武器に、即戦力として活躍した。2年次にはマルキと2人で慶大の2枚看板として定着。先輩に「お前が決めればチームが勝てる」と声を掛けられるなど、チームを引っ張るエースとしての自覚を胸に、チームの勝利を引き寄せてきた。
富澤のポジションは、OP(オポジット)。サーブレシーブには参加せず、攻撃に特化したポイントゲッターだ。チームが劣勢のとき、決めてほしいときにトスが集まることも多いが、富澤は、2年次の取材(早慶オポジット対談)で「プレッシャーはあるけど、そこを打ち切るポジション」と語っていた。そう断言する背景には、恩師・慶應義塾高の渡辺大地監督の存在がある。渡辺監督が大学生のころの試合を観戦したとき、「苦しいときは先生が打って決めて誰よりも喜ぶという姿が印象的だった」という。「先生のようなプレイヤーになることは、自分の1つの最終目標かな」と話し、エースとしての自覚を覗かせる。
新体制になり、かねてから『ライバル』だと語っていたマルキとともに、主将・副将としてチームの中心に立つことになった富澤。集大成としてその力をいかんなく発揮するかと思われたが、「自分が嫌いになる1年間」だったという。
春、チーム内の不和と自身の不調から、マルキがコートを離れた。マルキに「声を掛けられなかった」という富澤は、コート上唯一の4年としての意識を強めるあまり、空回りすることもあった。結局、慶大は2部降格を経験。4年として、その責任を痛感した。1季での1部復帰を目指し、「一枚岩」となって再出発した慶大。だがそんな矢先、富澤は負傷。チームを外から見つめることになった。エースとしての自覚が強い彼だからこそ、一際大きな悔しさを感じていただろう。入替戦から本格復帰した富澤だが、あと一歩で昇格を逃した。「自分を嫌いに」なってしまうほど、悔しさの溢れる1年間だった。
全日本インカレを最後にバレーボールから離れる富澤。過去のインタビューで「大学バレーを通じてどんな選手になりたいか」と聞いたとき、少し悩んだあと、「慶應の顔になる」と答えた。「『勝負どころで決め切る』っていう意味もあるけど、『常にチームの攻撃の中心にいることでチームを回していく』、そのことによってチームの勝利に一番貢献したい」--慶大の顔が最後に見せるのは、一体どんな表情なのだろうか?この1年間の悔しさをエネルギーに換え、最後の舞台で最高の活躍を見せてみせる。
(記事:藤澤薫)
◇プロフィール◇
富澤太凱(とみざわ・たいが)
1997年9月1日生まれ/経済学部4年/慶應義塾高出身/身長191センチ/最高到達点335センチ/副将・OP/背番号21