慶應スポーツ新聞会

【バスケ(男子)】4年生コメント集④――山﨑純・髙田淳貴

昨年11月、最終節の江戸川大戦で勝利を収め、2カ月以上にわたる全22試合のリーグ戦を終えた慶大。「挑越」をスローガンに掲げたこの1年は、早慶戦での優勝からリーグ戦での3部降格と山あり谷ありだった。苦しい場面も多かったからこそ、収穫したものも多かったはずだ。今回は卒業を控えた4年生の、最後のインタビューの模様をお届けしていく。

最後にお届けするのは、山﨑純(総4・土浦日大)と髙田淳貴(環4・城東)のインタビュー。1年次からコートにたち、この1年は主将・副将としてチームを牽引してきたお二人にお話を伺った。

山﨑純(総4・土浦日大)

――バスケットボール生活を振り返って

本当に色々あったなというのが正直な感想です。8歳からバスケットボールを始めて、中学校は片道1時間半かけて通っていたし、高校は初めて寮生活をしたし、中学高校では日本一になることができて、バスケとしては本当にきつかったけど充実していて、大学に入ってからは勝てない時期が続いて、でも大学は大学で充実感があって、大変なこともいっぱいあったけど、バスケやっていてよかったなというのが正直な感想です。

――慶大での4年間はこれまでを振り返ってどのようなものでしたか

もともと高校生の時はプロに行くか迷っていて、でもバスケ以外にもやりたいことができたので、慶應に行くって決めて受かることができてからは、正直最初は中学高校でのやりきった感があって、満足感が大きかったんですけど、大学でやっていくうちに勝ちたいと思うようになったし、同期だったり先輩だったりが熱く真剣に取り組んでいる姿を見て、このチームで勝ちたいと思うようになって、やってきて、やっぱり結果だけ見たら日本一だったりそういうところには全然届かなかったんですけど、今年の早慶戦で勝ったときに本当にすごいあんなに勝った試合で泣いたのって日本一になったときよりも泣いていたので、本当に、結果で見ると中学高校の方が華々しいかもしれないですけど、そんなの全く関係ないくらい、頑張れたのでよかったかなと思います。

早慶戦では涙を見せた

――リーグ戦を振り返って

本当になんか例年通りなんですけど、身長も高くないし、今年に限って言えば、去年よりも戦力が落ちていたので、泥臭いプレーをコツコツと頑張らないと勝てないなと思っていて、ただやっぱりリーグ戦後半はみんな疲れだったり怪我だったりを抱えていて、自分そうだったんですけど、そこでやっぱりあたりとかが弱くなってしまったのが、競った試合で勝ちきれなかった要因なのかなと思います。

――リーグ戦期間、勝てない時期が続きましたがどのようなことを考えながら過ごしていましたか?

どうすれば勝てるんだろうというのが1番思っていたことで、やっぱり負けてもすぐに次の週に試合がまわってくるし、なかなか本当に試合に出られる人が限られている中で、戦い方を変えるというよりは、と言ってもやっぱり選手が限られている分戦い方も限られているので、どうしたら勝てるんだろうというのは本当に考えながらやっていたのと、やっぱり勝っても負けても大学でバスケを終えると決めていたので、後悔がないように終わりたいなと思っていました。

飛び抜けた跳躍力で得点へ

――主将としてどんなチームを目指し、どんなことをしてきましたか

泥臭く頑張るしか勝つ道はなかったのでそういうチームを目指していました。練習内容も中学高校と比べたら基礎的なことが多くて、本当にもう基礎的なこと、リバウンド・ディフェンス、ディフェンスの練習が大半だったので、1年間やってきてオフ期間にはトレーニングだったりランメニューとかもずっとやってきて、それを春シーズンは本当にいい形で出せたんですけど、やっぱりリーグ戦で試合が続いたときに、ひとつは層の薄さっていうのが響いたのかなっていうのと、でもそれは言い訳なので、やってきたと言いつつもまだ足りなかったのかなと思います。

――ご自身のプレーを振り返って

やっぱりリーグ戦始まってみて、去年の4年生の存在が大きかったなというのはやっぱり一番感じました。やっぱりマークが22試合きつかったし、その中で途中で全然シュートが入らなくなったので、よかったとは言い難いです。

激しいマークにも強気の姿勢を見せた

――怪我に苦しんだ4年間でした

本当に怪我は多かったですね。去年もリーグ戦前半出ていないし、今年は22試合全部出られたんですけど、万全な状態で全部出られたわけでもないので、本当に申し訳ないなと思います。

――主将をやって得たものは

今年1年が14年間のバスケ人生の中で最後の1年だったので、早慶戦で勝ったときに、今までバスケやっていて本当によかったなというのが嬉しさと感謝の気持ちがこみ上げて、本当に今までの人生で一番泣いたくらいの試合だったんですけど、そういう時間を同期だったり後輩と共有できることは、人生でも数回あるかないかだと思うので、4年間慶應の体育会でバスケやって幸せだったなというのと、慶應大学は本当ではバスケ以外のことも学べたことがすごく良かったと思うので、現役が被っているOBもそれ以外のOBもいい人が多くて、同期や後輩もやっぱりチームのことを1番に考えてくれるような人たちばっかりだったので、自分もバスケは辞めるけど、そうやってバスケから学んだことをこれから活かしていきたいなと思いますし、そういうことが学べた4年間だったので良かったなと思います。

諦めない姿勢を見せ続けた

――4年間持ち続けていた思いは

負けたくないって気持ちがやっぱり強くて、試合ってある意味喧嘩のようなものだと思うので、勝ちたいという気持ちの部分で負けたら勝負にならないので、どんなに負けが込んでいっても、そこだけはなくしちゃいけないと思っていました。

――実際に現役生活が終わって

バスケはもういいかなというのが正直な印象で、ただやっぱり8歳から14年間バスケをやってきて本当に唯一心残りがあるとしたら、やっぱり今年後輩を3部に落としてしまったことなので、後悔がないと言ったら嘘になるかもしれないですけど、最後の試合が終わって今自分があの頃に戻ってバスケしたいと思うこともそんなにないので、14年間のバスケ生活を考えたら本当にやりきったなというのがあると思います。

アクシデントに見舞われながらもコートに立ち続けた

――土浦日大時代のチームメイトである松脇圭志(日大4年・富山グラウジーズ)や杉本天昇(日大3年・レバンガ北海道)の存在は大きかったですか?

めちゃめちゃ大きかったですね。特に松脇は地元も一緒だし、中高6年間やってきて、どっちとも日本一を達成して、本当にプライベートでも仲がよかったので頼りにしていたし、(同じチームの時は)松脇がシュート外して負けるなら何も後悔ないなと思ってました。

――2人の活躍を見ていていかがでしたか

羨ましいというよりは、また一緒にバスケしたかったなという思いが強かったです。

――高校時代も戦った相手とトーナメントなどで再び試合をしていかがでしたか

強い大学に行って、高いレベルでやっている分、みんな上手になっているなというのを感じていました。チームの状況も違うので、大学に入ってからはこいつには負けたくないという相手とかライバル意識とかは無かったですね。

――シーズンが終盤、インタビューで「感謝」について話す場面が多くみられました

本当に正直な気持ちです。自分にバスケがなかったらと思うと、本当に今頃何していたのかなと思っていて、関東にも出てきていなかっただろうし、入試で筆記試験を受けたこともないし、慶應に来させてもらって将来やりたいことも見つかって、そう繋がったのも中学高校と100%バスケのことしか考えずに過ごしてきて、そんな自分を本当に真剣に指導してくれた人たちであったり、今まで全ての人に支えられていまに繋がっていると思うので本当に感謝しています。

――尊敬している先輩を下級生に尋ねると「純さん」と答える人が多いです。その後輩たちに伝えたいことは

本当にそんなことはないよというのを伝えてほしいのと、自分が尊敬しないといけないくらい選手・スタッフ含めてチームのことを第一に考えてくれる後輩で、後輩たちが今年の早慶戦を勝たせてくれたなというのが1番の印象なのでありがとうと伝えたいです。3部に落としてしまってごめんという気持ちと、来年からはOBになるので、後輩たちが早慶戦優勝も2部昇格も達成してくれると思うので、応援しているから頑張ってと伝えたいです。

――共に戦ってきた同期へメッセージをお願いします

4年間同期でいてくれていてありがとうというのが1番の気持ちです。今思い返しても、自分はすごくわがままなことをさせてもらった4年間だったなと思っていて、そういう自分をいつも支えてくれて、大学に入ったときに中学高校とのギャップもあったので、バスケを辞めたいなと思うことも何度もあったんですけど、辞めずに4年間続けられたのは同期のお陰だし、続けたからこそ早慶戦みたいな瞬間を同期と共有することができたので、本当にありがとうという気持ちと、これからも一緒に頑張りたいなという気持ちがすごいです。

 

 

 

髙田淳貴(環4・城東)

――最終戦から1か月が経過しましたが今の率直なお気持ちはいかがですか

バスケットしかしてこなかったのであっという間に過ぎたなっていう感じなんですけど、今でも最終戦とかリーグ戦のこととかは考えたりしますけど、今は楽しく過ごせています。意外と考えたりして、まだ切り替えは出来ていない感じですかね(笑)

 

――それだけ現役の間は部活に注力されたということでしょうか

間違いないです(笑)

 

――バスケ部での4年間を振り返って

徳島県の全然無名な高校からきて、慶應義塾大学っていう当時関東リーグ1部で、こんなところでやれるのかなっていうところから始まって、4年間本当に濃い経験をさせて頂いたし、最後の1年間は副将っていう大役を任せてもらえたりして、充実してたなって思います。

正確なシュートで貢献

――4年間でターニングポイントとなったことは何でしょうか

自信がついたのは1年生のリーグ戦が大きくて、逆にそこまではほとんど試合に出ていなくて、リーグ戦の1週目で使ってもらったのがきっかけだったんですけど。1部は1年間しかやっていないんですけど、相手は本当に自分が中学生とか高校生の時にテレビで見ていた選手だったし、そういう選手とマッチアップしてバスケットができた経験っていうのは2年生以降の自信に一番繋がっていますね。2年生は一番苦しいシーズンだったんですけど、だからこそ3年生のリーグ戦で個人のスタッツとしてもチームとしても飛躍した年になったのかなと思っていて。最後の1年は本当に激動というか波は大きかったですけど、早慶戦3年ぶりに勝ったっていうのはすごい嬉しかったですし、逆にリーグ3部に落としてしまったのは本当に反省点ですし、4年生の1年間は迷ったり悩んだりっていうのが大きかったんですけど、本当に楽しみながらできたかなって思っているのでそこは良かったかなって思っています。

 

――副将としてチームを支えた最後の1年間はいかがでしたか

副将だから自分はこうやろうとか決めていたわけでは無いんですけど、4年生が軸にやっていく中でキャプテンだけではどうしようもないところっていうのをサポートしたり、自分は発言するタイプっていうよりかはプレーで示していくタイプなのかなって思っているので、去年までは考えていなかった試合中とかの引っ張っていく気持ちっていうのは4年生になって出たんじゃないかなと思います。

指示を出しゲームメイクも

――4年生への思い

3人の選手に対しては特に感謝していて、もちろん山﨑とかは下級生の頃から試合に出ていて凄い選手で、責任感とかも自分とは比べものにならないくらいあったと思うんですけど、それでもずっと隣でプレーしてくれたのが自分がプレーしやすいきっかけにもなりました。他の2人、工藤と(泉)友樹雄に関しても練習中からリーダーシップ取ってやってくれる人間だったので、負けられないなとか自分もやらなきゃなって気持ちは芽生えたので、すごく感謝しています。

 

――スタッフの方々への思い

仕事の面もそうですけど、プライベートとかでもどっちかというと個人的にはスタッフと話す機会が多かったので、なんでもない話するだけで気が楽になったりしたので本当に同期は大事だなって思いました。

 

――バスケ部の仲間はご自身にとってどのような存在ですか

みんなブログとかで書いていたりしますけど、本当に宝物なのかなって思っていて、高校生の時は同期だからとかあまり考えなかったんですけど、この大学に入って1年生から4年生までバスケットボールフェスティバルとかで縦の繋がり、横の繋がりを感じて、バスケ部に入ってチームメイトと時間を過ごせたのは本当にかけがえのない経験だったなと思います。

相手からのプレッシャーに負けない強さを見せた

――バスケ部で過ごす中で1番成長した点は

何事にも考える様にはなったかなと思います。高校までは与えられたことをただやることが強かったんですけど、この大学は良い意味で他の大学とは違って自分たちで考えてやっていかなければいけないっていうのが多いので、下級生の頃からそれは求められていました。練習ひとつとっても、試合もそうですし私生活もそうですけど、プライベートの時間がたくさんある分、考える時間もすごく増えて、それは人間としてこれからも社会に出て武器になっていく力がついたんじゃないかなって思います。

 

――バスケ部で感じたやりがいは

いっぱいあるんですけど、やっぱりみんなでひとつのことに対してやり抜くことなのかなって思います。例えば早慶戦って他の大学にはないものなので、そこに対する熱量ってすごくて、バスケ部に限らず慶應の体育会ってそれで勝利に向かって毎日切磋琢磨し合って、特に今年とかは勝てた喜びとかを味わえて、その瞬間っていうのはこれやってきて良かったなって強く感じたし、これがやりがいなのかなって思いました。

――4年間を通して試合に出続けてきた上での極意や大切にされてきたことは

人一倍ケアしてたわけではないので…。プレースタイル的に危なくないプレーが多いっていうのが一番なんですけど、でも自分の動いた先とか空中姿勢とかをちょっとは考えてやってきたのかなと思います(笑)

 

――武器であるシュートに対するこだわり

高校までポイントガードやっていて得点を取ること自体にこだわりが無くて、シュートに対してこだわりを持ったのは大学入ってからです。大学入ってきて、ポイントガードをやるであろう選手を見た時に自分これはやっていけないなって思って、じゃあ自分はどこで勝負しようかなって思ったときに、身長があって外打てる選手は貴重だなって思って練習し始めたのがきっかけでした。それでも1年生の春シーズンとかはこれでやっていくって決めていたわけでは無いんですけど、最初の数試合で一部相手にも3ポイントが入ったときに自分の武器はこれなのかなって感じて、そこからこだわり持ち続けるようになりましたね。

シュートフォームの美しさは随一

――チームでプレーにおいて難しい役回りだったと思います

2年生の時は重圧に負けたというかかなり(シュートが)入らない時間とか自分の中で悩む期間がすごい長かったので、もちろん難しかったんですけど、逆に悩んだことでプレースタイルの幅が広がったというか、じゃあこういうプレーもしてみようとか色々考えることがあったので、きつかった部分も多かったですけど成長するきっかけにはなったと思います。

――辛い時に乗り越えてきた方法は

特別誰かに相談したというよりは、先輩や同期と関係ない話をしている中で解消されたりするので、チームメイトとコミュニケーション取ったことが一番悩みの解消にはなりました。

――バスケ人生において大学は大きな存在でしたか

大学が一番大きいですけど、小学校4年から初めて、カテゴリーが上がるごとに周りのレベルも上がっていったし、すごい幸せなバスケ人生歩んできたなってすごい思っているんですけど、本当にやってきて良かったです。

終盤は得点パターンの幅を見せた

――慶大のバスケ部への思い

もう現役ではないですけど、現役の時はOB・OGだったり保護者の方だったりとか本当にたくさんの方の応援の力っていうのを感じましたし、大学でここまでしっかりしてっていうのはあんまりないと思うんですけど、プレーしていた期間は慶應ってすごいなあありがたいなあってすごく感じていましたし、今後自分が引退した後も慶應っていうチームを応援したいって強く思っているし、サポートしていきたいと思っています。

――4年間で1番の思い出を挙げるとすれば

最終戦か早慶戦の勝利ですかね…でも早慶戦ですかね、やっぱり。2年連続で負けていましたし、タレント的にも厳しいみたいな声は聞いていて絶対やってやるみたいな気持ちも凄い強かったので、3月から始動して最初から上手く行ったわけでは無かったですけど、関大戦とか1個1個試合乗り越える毎にチームが良くなっているって実感できた中で、本当に一番良い勝ち方ができたので、4年間で最高の思い出です。

早慶戦では胴上げも

――後輩たちに伝えたいこと

応援していくのはもちろんなんですけど、今年のチームとは全く違ったチームになっていくと思うし、最初から上手くいくかどうかっていうのは分からない中で苦しい期間っていうのは絶対出てくると思うんですけど、諦めずに自分たちが決めたことをやり続ければどこかで結果は出ると思うので。頑張ってやっていって欲しいですし、応援します。

――これから社会人となる中でバスケ部での経験をどのように活かしていきたいですか

そうですね、この4年間があったからこそひとつの物事に対してすごく考える習慣がついたので、大学卒業して社会人になってもステージは違えど同じようなシチュエーションとか厳しい状況っていうのは来ると思うので、そういう時にこの4年間に学んだことを活かしてやっていきたいなと思います。

(取材:染谷優真・船田千紗)

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