【バレーボール】新旧主将が語る、昨季の苦悩と「関東1部」のこだわり/新旧主将対談(前編) 山元康生×渡邊大昭

バレー企画

ケイスポバレー班は、4年生の門出と3年生率いる新チームの始動に際して、全3弾にわたる「新旧対談」を企画!記念すべき第1弾は「新旧主将対談」。前主将・渡邊大昭選手(商4・慶應)と新主将・山元康生選手(法3・慶應)の対談をお届けします。前編では、お二人の魅力と昨シーズンの振り返りを中心に深掘り。そして、お二人にとっての「関東1部」とはーー?バレー部の仲の良さが垣間見える対談を、ぜひご覧ください!

お二人について

ーー他己紹介からお願いします!

2024年度 主将

渡邊大昭(商4・慶應)

ポジション:OH(アウトサイドヒッター)

山元渡邊:商学部4年でOH(アウトサイドヒッター)、前主将の渡邊大昭さんです。言わずもしれた大エースで、僕は本当にこの人の背中を5年、6年くらい見続けて、追い続けてきました。僕にとっては「エース」の存在そのもの。「エースって、この人のことなんだ」というのが大昭さんです。高校時代は本当に遠い存在でしたが、大学に入ってからはより近くで関わるようになって、一人ひとりに寄り添ってみんなをまとめながらも、最後は「自分についてこい」というタイプの主将です。「背中で語る」と「仲間に寄り添う」の2つを両立できるすごい人だなと思っています。

 

2025年度 主将

山元康生(法3・慶應) 

ポジション:L(リベロ) 

渡邊山元:法学部法律学科3年でL(リベロ)、今年から主将を務めてくれる山元康生くんです。塾高の時の話をすると、もともとLではなくてOP(オポジット)。レシーブもして、スパイクも決める選手でした。塾高にはAチームとBチームがあって、僕は3年生の時にAチームで、康生がBチームのほぼエースみたいな存在でした。(トスが)上がったボールを全部彼が決める感じだったので、攻守でこれから先の慶應を担うんだろうなと思っていたら高校3年生の時にLになっていて。大学では1年生の時からLとしてスタメンで試合に出たり、入替戦に出たりと試合経験を積んで、2年生ではシーズンを通してスタメンの座を掴んだ選手です。僕の代でも最初の方はずっとLとして出ていて、特にサーブレシーブにおいてチームの要としてすごく活躍してくれている選手です。プレー以外で言うと、ものすごく周りを見て声をかけてくれる選手です。僕の目が行き届かないところにも声をかけてくれますし、意外と熱い男です。

 

ーーお二人は塾高出身ですが、春高バレーは後輩たちの応援に行かれましたか

山元:行きました!

渡邊:はい!僕は全部観に行きました!バレーを観て、時代が変わったなと思いました。僕の時代は「オープンバレー」で、両サイドでずっとスパイクを打って、真ん中もちょっと使えたら良いなくらいでしたけれど、今年の春高での戦い方は「The 今のバレー」だなというプレースタイルでしたね。幅広く攻撃を使って、レシーブもすごい拾いますし。シンプルさは無い一方、すごく形ができたチームで、バレーをやっていて本当に楽しいんだろうなと思いました。

山元:僕も行きました!シンプルに僕の代は春高に出ていなかったので、あの東京体育館の舞台に立ってプレーできていること自体が羨ましいなとか、やっぱりこの舞台に立ちたかったなという思いは抱きつつ、やっぱりあの観客の中で、あのコートに立って、プレーして、躍動している姿というのは僕にとってもすごく刺激になりました。自分ももっと頑張ろうとか、そう思わせてくれるようなプレーをしていたなと思いますし、応援に行けて良かったなと思っています。

 

ーーバレーボールを始めたきっかけと、慶大バレー部に入った理由を教えてください!

渡邊:母の影響と、身長が大きいということもあって、小学校3、4年生くらいの時に幼馴染の子と一緒にバレーボールを始めました。宮城県出身なんですけれども、僕のクラブチームの監督が以前まで大学の総監督をされていた塾高の相馬先生とご縁があって、それでお勧めしてもらって塾高への進学を決断しました。僕はあまり頭が良く無いので、本当に記念受験で。絶対落ちるなと思って受けたら受かって、そこからトントントンと進みました(笑)。大学は関東のレベルの高いところでプレーしたいという想いが前からあったので、大学でも体育会に入ることを決めました。

山元:僕は中学(慶應義塾中等部出身)からバレーを始めました。同期の山木柊(文3・慶應湘南藤沢)と中1のクラスが同じで出席番号も前後で、一緒に入ろうという話になったのがバレーを始めたきっかけです。高校はラクロスと結構迷っていたのですが、ラクロスの朝練が早すぎるとか、バレーそのまま続けようかなという理由で高校もそのままバレー部に入りました。大学でも続けた理由は、高3の春高予選で負けて引退してしまった悔しさ、このままじゃ終われないという気持ちがかなり強かったのと、バレーボールを通じて自分は成長してきたと思っているし、人格が形成されてきたと思っているからこそ、大学4年間もバレーに打ち込むことでより成長したいなという思いがあったからです。

 

ーー山元選手は、なぜラクロス部にも惹かれたのですか

山元:もともとサッカーをやっていて外スポーツの楽しさに惹かれたのと、中等部の友達でラクロス部に入る子が多かったので一緒に入りたいなという思いがありました。

渡邊:ラクロス、あれめっちゃカッコいいよね?

山元:めっちゃカッコいいです!

ーーカッコいいですよね!貴重なお話をありがとうございます。

 

ーー続いてお二人での対談は最初で最後だと思うので、お互いの魅力を余すことなく教えてください!

渡邊山元:僕からみた康生のすごいところは、さっきも話しましたけれどサーブレシーブ、レセプションです。誰にも負けない武器だと思っています。本当に安定していますし、それに付随してこの1年はすごくディグ、スパイクレシーブが成長したかなと感じていて。スパイクとディグで康生と対峙するシーンが多かった中で、明らかに去年よりも拾われる数が多かったなと感じたのと、フェイントボールも然り、強打ボールも然り、すごく地に足をつけてレシーブするシーンが多かったと思います。ちなみに、康生はワンタッチボールがすごく苦手だったんですよ。近大合宿の時とかは、一木脩平(法3・慶應)と僕がずっと球出しをしていて、僕はそれで熱中症になっちゃんたんです(笑)。それくらいディグに力を入れていて、すごく成長したなというところがありますね。昨シーズンは半分くらいBチームにいて、それでも気持ちを落とさずにチームを底上げしようとする姿勢とか、Aチームに向き合う姿勢、チームに向き合う姿勢とか、すごく熱を持って活動してくれていたのですごく感謝しています。

今季はディグを強化した山元選手

山元渡邊:プレー面で言うと、やっぱり大昭さんの強みは「パワー」ですね。高校の頃からすごかったですけれど、大学でもそこは群を抜いていると思います。サーブも然り、スパイクも然り、本当にパワーの一言に尽きるなと思うくらい球が重いし、スピードが速いので、パワーが大昭さんの特徴だったのかなと思います。プレーはもうされないですか…?

渡邊:うん。わからないけれど。まあこれ次第(脚の怪我)で…。

※渡邊選手は全日本インカレ2回戦の早大戦で、左の脛を支える左頸骨(けいこつ)腓骨(ひこつ)骨幹部を骨折。試合の途中で病院に搬送されました。

山元:またいつかプレーを見られたらなと思っています!

渡邊選手のパワーあるサーブとスパイクは圧巻!

 

ーー早慶明定期戦で戻ってきてくださったり…?

渡邊:星谷監督(=星谷健太朗)にも出てねー!とは、さっきすれ違った時に言われました(笑)。

山元:来年もし来ていただけるなら!

渡邊:もし完治してたらね。サーブくらいだったら!

 

ーーサービスエース観たいですね

渡邊:はい!一発逆転で!

山元:話を戻すと、人柄としては冒頭と被る部分もありますけれど、やっぱりリーダーシップの取り方が多様だなと思っています。先頭に立って背中で語ることもできれば、人に寄り添うこともできる。僕も実際に、近大合宿の夜練で球出しをしてもらったり、サーブを打ってもらったり、大学3年間はたくさん一緒に練習してもらいました。チームの全員とプレー以外の雑談とかも含めてコミュニケーションを取って、チームを一つにまとめてくださっていて、それは大昭さんだからできたことだなと思います。

 

ーーお二人の思い出で印象に残っているものはありますか

渡邊:3年秋の入替戦ですね。(5セット目の)13ー12で、本当に勝負を分ける1点で僕のスパイクがブロックされた時に康生がボールを上げてくれて、最後にまた上がってきたトスを僕が決めた場面があって。そこが康生とのプレーの中で印象的で、試合後に大泣きしていた康生が印象に残っています(笑)。その前の年は入替戦が春と秋の2回あって、康生は春に負けた時にコートに立っていたのですごい悔しい思いをしていて、そのリベンジとして臨んだ入れ替え戦でもあったので、全身全霊で掴んだその1点がすごく印象に残っています。僕的には渾身の一撃だったスパイクを相手に止められて、そこを康生に助けてもらったというのと、その試合が終わった後に康生が大泣きしていたので、やっぱり辛かったんだな、勝って良かったなと思ったので印象に残っています。

安堵で号泣する山元選手(2023年度秋の入替戦)

 

ーー山元選手もやはり2年秋の入替戦ですか

山元:もちろん入替戦は印象に残っています。ただ、僕はその瞬間というよりも一緒のコートでプレーできていること自体がすごく嬉しくて、印象に残っています。やっぱり高校時代に同じコートに立ったことが基本的にない、ベンチにすら入れていない時に大昭さんは大エースで、チームの看板だったので。「俺、今大昭さんに段トス上げているんだ!」と実感して、すごく嬉しかったですね。だから「この瞬間」というよりも、試合で大昭さんに段トスを上げたり、大昭さんのスパイクに対するブロックのフォローに入ったりだとか、同じコートでプレーできていること自体がすごく幸せだったし、この部活に入って良かったなと思える大きな一つのポイントだと思っているので。共に戦った一試合一試合が、僕にとっては大事な思い出です。

 

昨シーズンについて

ーー昨シーズンを振り返って

山元:一言で言うと「変化と視野の広がり」だったのかなと思っています。試合に出ていた春リーグは「試合の中で自分がいかに付加価値を出していくか」というところで、サーブレシーブ以外の振る舞いの面にもすごく気を遣って、試行錯誤を重ねていました。その一方で、秋は試合に出られなくなったことで「チームとどう関わっていけばいいんだろう」という思いがありました。ただ、試合に出ていたメンバーがBチームにいるというのはすごく貴重な存在だったからこそ、AとBを繋ぐ役割を担いたい、BからAに自分も含めて一人でも多く送り込めるような人材育成をしたい、練習の取り組み方をしたいと考えるようになりました。「人に対してどう振る舞うか」は春と秋で全然違うことをしていたと思います。スタメンではなくなったからこそ別の視点から物事とかチームを見られるようになったので、自分の中では新鮮でしたし、バレーボール以外のところでもより成長できた1年だったと思います。あとは大昭さんがさっき言ってくれた通り、ディグは重点的にやったところでもあったので、成果を出せて良かったと思います。

渡邊:昨シーズンは、やっぱり苦しいシーズンではありました。僕のバレーボールキャリアでは、毎回ある程度の成績は残していた方なんですよ。高校時代であれば春高出場とか、中学校の時も県大会で何位とかも達成していますし、大学も3年生までは1部死守というところで、先輩とか仲間のおかげで最低限の目標は達成していました。なので、最後に自分が先頭に立ったシーズンで結果が出なくてすごく辛かったですけれど、秋リーグが終わってこのままチームが下がっていくのかなと思っていたら、逆にどんどん調子が上がっていって。その後の早慶明も、慶関戦も、全日本インカレでもチームの調子がどんどん上がっていったなという印象があります。早慶明で明治に勝ったし、慶関戦もいつもは危ない試合が多い中で今年はなんとかストレートで勝ち切ることができましたし、そのおかげで全日本インカレにも繋がって、チームの士気としては良くなっていたなと思います。苦しいシーズンだからこそ「諦めない」ことが大事なんだなというのは僕自身も感じましたし、多分後輩たちも感じることがあったと思うので。反省して取り組んだ結果、最後にみんなが100%を出して終われたのかなと思います。

春に2部降格、秋は入替戦出場も叶わなかった

 

ーー全日本インカレでは、渡邊選手が怪我で会場を離れるというアクシデントもありましたが

渡邊:もともと怪我をしていて、春リーグが終わってからちょっと痛いなと思っていて。星谷さん(=星谷健太朗監督)にも「やめる?」みたいな感じで言われましたけど、最後でしたし、バレーを続けるかどうかも明確ではなかったので「最後はやり切りたいです!」と伝えて試合に出ました。なので、その点においては悔いがないというか…。ただ、あの時の涙はやっぱり痛みというよりも悔しさの方がすごく強くて。組み合わせが決まった時に、最後に早稲田と当たるのは本当に運命だな、神様が最後に勝つチャンスをくれたんだなと思って、試合に向けてコンディションも整えてきたし、トレーニングも頑張ってきたので、それで最後までプレーできなかったのはすごく悔しかったです。でもその後、怪我で入院した時にみんながお見舞いに来てくれたのがすごく嬉しくて、本当にこのチームで良かったなというのはすごく感じました。多分、僕がちょっと沈んでるなと感じ取って、面白い話をしてくれたり、タコス6人前とか、チキンナゲット100個とか、ミスド十何個とかを持ってきてくれたのがすごい嬉しかったです(笑)。他にも、小魚とか牛丼とかいろいろもらったので、それが嬉しかったな。「本当に良かったな、このチームで愛されていたんだな」というのを感じました。

 

ーー山元選手は側で見ていて、何を思われましたか

山元:やっぱりそれが大昭さんの凄さだと思うし、信頼関係はすぐにできるものではないと思うので。大昭さんが積み重ねてきたものがあったからこそ、みんながお見舞いに行こうってなったのだと思います。少なくとも僕は入院した当日か翌日とかに行こうと思ったくらいなので、大昭さんが積み上げてきたものが最後そういう形になって表れたのかなとは思います。

渡邊選手が搬送された後、試合を見守る山元選手

 

ーー山元選手はお見舞いに何を持っていかれましたか

山元:僕は甘いお菓子を持っていった!

渡邊:デカい奴が呼びかけたんですよ(笑)。太らせようって。

 

ーー「8番」の方ですか?

渡邊:そう8番の奴(笑)。(=環4・芳賀祐介選手)

山元:僕は「甘いのが良い」というオーダーがあったので、渋谷で探してこれだ!と思って買いました。ちゃんと保存の効くものにしました。

渡邊:そう!結構溜まっちゃうので(笑)。

 

ーー皆さんで召し上がりましたか

渡邊:康生のは僕が食べて、チキンナゲット100個はみんなで食べました(笑)。

山元:食べられるわけがないからね(笑)。

渡邊:ナゲットは「12番」です(笑)。(=環4・内田克弥選手)

 

ーー昨シーズンの中で一番印象に残っている試合は

渡邊:最後の全日本インカレの引退試合は「人生に関わること」だと思うので大きかったとは思いますけれど、やっぱり早慶戦なのかな。早稲田アリーナでやった早慶戦がすごく印象に残っていて、全日本インカレとも違う。ずっと早稲田とやってきましたけれど、僕が試合に出ている中で「一番、早稲田を追い詰めた試合」でしたし、やっていて本当にすごく楽しかったなという記憶があります。あの応援もそうですし、OBの人たちがすごい頑張ってくれるんですよ。横断幕を作ってくれたり、うちわを作ってくれたり、それがすごい温かいなと感じました。早稲田と慶應のプライドをかけた戦いは体育会に入っていないとできない経験だったと思いますし、いろいろな方の支えで作られた舞台で、そこでコートに立って試合ができたのが嬉しくて楽しかったので、早慶戦です。

山元:僕も早慶戦はやっぱり印象に残っていて、理由は大昭さんとほとんど同じかなと思います。もう一つ挙げるならば「春の入替戦」かなと思います。入替戦は普段味わえるものではないですし、かなり独特な雰囲気という中で、初めて入替戦をちょっと楽しめたのかなと。そこが、これまで1年、2年、3年と入替戦を経験する中で変わったところだと思います。もちろん負けた悔しさとか、ここが足りていない、もっとこうすれば良かったなという後悔もたくさんあったけれど、「自分が変われたな」と成長が感じられた試合だったので印象に残っています。

第3セットは30−32と大熱狂に包まれた早慶戦

「関東1部」の舞台について

ーーお二人にとって「関東1部」とは

渡邊:高校でいう春高みたいな、バレーをしていたら憧れる舞台なのかな。一度は関東1部という日本で一番レベルの高い学生バレーの舞台で戦いたい、自分の実力を遺憾なく発揮したいと思う舞台だと思います。そのためには、この慶應で1番とか2番とかではなくてもっと広い視野でバレーをしなければいけないと思っていて、慶應は監督が土日しかいらっしゃらなくて学生主体で活動しているので、狭い視野でやって欲しくない。練習でできているから良いとかではなくて、試合だったらどうなのかを考える。高い意識を持っていなければ慶應にいても勝てないし、1部になったらもっと勝てない。慶應の体育会バレー部で活動していく上では、それが大事なのかな。僕は結果ベースで考えがちなので、やるからには勝ちたいし、上手くなりたいなと。楽しさも大事ですけれど、そういう一個上の考え方を持っていかないと通用しない場所だと思います。

山元:僕にとって、関東1部は「挑戦の場」なのかなと思っています。正直、僕はエリートではない。JOCに選ばれているわけでもなければ、高校でずっとスタメンを張っていた選手でもない中で、他大学の選手はみんな有名な選手で春高とかで活躍していた選手。そんな舞台で選手の1人としてプレーできることはすごく幸せなことですし、僕にとっては常に挑戦しなければならない舞台だと思っています。やっぱり僕もやるからには勝ちたい、上を目指したいという思いがあるからこそ今も関東1部リーグ復帰を目標に掲げていますし、大昭さんがおっしゃっていたように少しでもレベルの高い環境でプレーすることによって視野が広がると思います。今年は「PRIDE」というスローガンを掲げていますけれど、部員一人ひとりに「誇り」があると思うので、目指すべき特別な場所です。

ーー素敵なお話をありがとうございます!続きは、こちらから後編をご覧ください

後編では、お二人の主将像や、大事な試合で見られる“ある光景”にも迫ります。さらに、渡邊選手が13年にわたるバレーボール人生を振り返ります。そして、最後にお互いへ贈る言葉とはーー。お二人の想いが詰まった対談を、ぜひご覧ください!

(取材:長掛真依)

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