31年前――三色旗の襷は箱根路で継がれた。1994年/第70回箱根駅伝、記念大会として出場枠が増えたこの年、慶大競走部は10年ぶりの本戦出場を遂げた。今回ケイスポでは、当時駅伝主将としてチームを牽引した片岡孝昭さんにインタビューを行い、駅伝チームの状況、箱根予選会、そして1月2、3日の出来事まで、色褪せない当時の記憶を辿った。箱根駅伝予選会まで、あと1日。

「こんな自分にも声をかけてくれる大学があるんだ」と
一応、僕らが入部した時から、「自分たちの4年次は記念大会にあたり、出場枠も増えるはずだ」と先輩方から言われていたんです。従って、チームとしてもそれを見 越して、高校生の勧誘にも力を入れていて、僕らの代は4年生の時に11人いました。。そんなふうに、ある程度人数もそろえて準備をしていたところがありました。
加えて、OB の方々の「10年に一度の記念大会にはぜひ出てほしい」という期待も 大きくて、僕らが4年の春には、新しい合宿所が OB の寄付で建てられたんです。環境面で もすごく支えてもらっていました。

現役時代の片岡さん・写真右(競走部OB提供)
環境も少しずつ整備されていた時期でした。OBの皆さんの寄付で新しい合宿所が建てられたのに加え、コーチもついてくれました。当時の慶應は今のように専任コーチが いるわけではなく、基本的には学生主体でやっていました。そこに、僕らより20年上のOBで、箱根を走られた角田さんが練習を見てくれました。角田さんは社会人になっても現役でマ ラソンを続けていて、当時最も出場資格が厳しかった福岡国際マラソンに15〜16年連続で出場されていたような方でした。その角田さんが週に1〜2回ほど来てくださって、箱根駅伝の素晴らしさとともに、いろいろなアドバイスをくださるようになったんです。そうやって、箱根を本気で目指す土台が作られていったと思います。
それまで何年も予選会では14位前後が定位置で、記念大会での出場条件は11位以内。正直、実現出来ないことではないとは思っていました。チーム全体としても「このチャンスを逃すまい」と夏を通して距離をしっかり踏んで、万全の状態で当日のレースに臨みました。
すんなり(予選通過が)決まったわけではなかったんです。結果的に、僕らは(順位として) は10位に入ったんですが、合計タイムが10時間51分45秒で、当時は順位だけでなく「10時間50分以内」という10人合計の制限タイムも設定されていて、(制限タイム) を1分45秒オーバーしてしまっていたんです。よって、その場では出場が保留になったんです。2日後くらいに関東学連から連絡が来て、ようやく出場が決定しました。当時10位が慶應、11位が筑波で、どちらも“オリジナル4(※第1回大会に参加した4校)”ということもあって、きっと両校のOBの方々の強い後押しもあったんじゃないかなと思っています(笑)。そんなふうに、本当に山あり谷ありの出場決定でした。

その場では出場が保留になったんです
もう本当に、「夢が叶ったんだ」という喜びが1番に来ましたね。個人としても、チームとしても「箱根を目指してやってきたんだ」という思いが強かったですし、本当に“箱根に出ること”そのものが夢だったので。
チーム全体でももちろん盛り上がりましたけど、出場決定の電話が来たのが2日後の午後くらいで、ちょうどその時、合宿所にメンバーがあまりいなかったんですよ。それで、帰ってきた部員に一人ずつ伝わっていくような形で、徐々にその喜びが広がっていった感じでした。だから、「電話が来た瞬間に全員で歓喜!」というよりは、だんだん、じわじわと実感が湧いてきたという(笑)。
この前、取材のお話をいただいて久しぶりに当時の日誌を読み返したんですが、そこにも1993年の一番の出来事として、“箱根出場決定”って書いてありました。それだけ、自分の中でも特別な瞬間だったんだと思います。

10年ぶりの本戦出場を決めた予選会(競走部OB提供)
箱根が決まってからずっといろんな方から声をかけられ、差し入れも含めて多くの支援がありました。部員の家族やOBの方は喜んでくれましたし、合宿所で当時食事を作ってくれた神田おばちゃんが地域の方に声をかけてくれて、合宿所でお祝いをしてくれました。とても多くの方から祝福の言葉をいただき、非常に有難かったですね。そういう意味では、皆さんの支援や励ましへの感謝に尽きるひと時でしたね。
とにかく「頑張れば今度は箱根路を走れるかもしれない」という、すごく具体的な目標が目の前にできたことで、チーム内の雰囲気は一気に変わりましたね。今度は「本戦のメンバー に入るぞ」という競争が本格的に始まって、みんなのやる気がどんどん高まっていったんです。チーム全体が“勢いづく”というか、活気に満ちていて、「さあやるぞ!」という一体感や高揚感は本当に強く感じていました。
ただ、今振り返ると、やっぱり我々にとっては初めての経験だったので、少し浮かれすぎていたところもあったのかなと思います。

「さあやるぞ!」という一体感や高揚感は本当に強く感じていました
僕らは学生主体でやっていたので、予選会後にある程度「本戦ではどの区間を誰が走るか」っていう話をしていました。予選会のときの順番をもとに、「自分はここがいい」「いや、自分はここを走りたい」みたいな感じで、みんなで話し合いながら合意形成されていったんです。箱根駅伝って、たしか本戦の3〜4日前くらいには正式なエントリーがあるんですけど、その時点では区間配置の見通しはほとんど立っていました。あとは細かい部分をコーチと相談しながら最終的に決めた、という流れです。みんながそれぞれ「どこを走りたい」っていう思いを持っていて、それが自然に形になっていった感じですね。
【前編・了】
後編では、箱根駅伝出走当日の振り返り、大手町フィニッシュ地点での出来事、さらに現役部員に向けたエールを伺いました。
(取材:竹腰環、野村康介 編集:竹腰環)