2026年1月19日(月)慶應義塾大学日吉キャンパス協生館
「常松広太郎によるシカゴ・カブスとのマイナー契約に関する記者会見」が1月19日、慶應義塾大学日吉キャンパスにて行われた。常松広太郎(政4・慶應湘南藤沢)は、昨秋のNPBドラフトで指名漏れを経験。その後、慶大野球部が公表した「卒業生進路先」には、米金融業界大手・ゴールドマン・サックスの名が記されていた。こうした中、シカゴ・カブスからのオファーを受け、日本時間1月16日マイナー契約を締結した。大学野球では3年春にリーグ戦初出場を果たし、2025年春季リーグ戦・立大2回戦では1試合2本塁打を記録。豪快なバッティングフォームから放たれる打球で、神宮の観衆を魅了してきた。本稿では、今回行われた記者会見での常松選手の発言(一部抜粋)とともに、東京六大学リーグでの活躍を振り返る。
――初めに、シカゴ・カブスとのマイナー契約を締結いたしました常松よりご挨拶とご報告を申し上げます。
ご紹介預かりました常松広太郎です。本日はお集まりいただきありがとうございます。
米国時間15日、日本時間16日に、シカゴ・カブスとマイナー契約をこの度結びました。本日はなんでも質問を基本的にはお答えできるんですけど、契約に関しては私の方からは公開はしないというスタンスですので、その分だけ留意お願いします。本日はよろしくお願いします。
――今の率直な気持ちは
実際にこの目でシカゴ・カブスの施設を見て、ここで野球をやっていくんだという思いで、すごいわくわくしています。

――就職など様々な選択肢があった中で、今回アメリカ挑戦を決めた理由
20代という体力もあって、この人生の中で1番体力を投下して、それで何か自分の目標や夢を達成できるように大きな挑戦をしたいなという風に思って、この度挑戦させていただくことになりました。
――周りの方の反応
全員基本的には背中を押してくれたんですけど、そこに座っている父に最初に電話して、「ちょっと俺カブス行こうかなと思っているんだよね」ということを言いました。
「お、まじか」と言われて。「GS(ゴールドマンサックス)に行って、いい車乗って、いい家住んで、いい生活が待っていると思うよ」という一言もあったんですけど、やっぱり最終的には僕がそういう決断をしたというところで「父親としてはもうそれなら思い切って行ってこい」という風に背中を押されました。
――周りの方からの言葉で1番嬉しかったのは
これまで関わってきたいろんな方々から改めて連絡をいただいて、例えば幼稚園とか小学校とか、昔に関わっていた人たちも、僕の決断を見てくださっていて、「頑張って」という言葉をいただいた時は、「本当に頑張らないといけないな」と、改めて身が引き締まるような思いでした。
――カブスには鈴木誠也選手や今永昇太投手がいるが、改めてカブスのイメージは
ファンレースが強いというところが1番印象的でして。カブスの関係者の方から伺った話だと、スローパークというキャンプ地の球場、1万4000人収容なんですけど、そこの今回のキャンプのチケットが全部ソールドアウトしているというところで、キャンプ地までもファンが駆けつけるような、すごいファンベースのあるチームで自分がプレーできるのを本当に楽しみにしています。
――鈴木選手や今永投手の印象
まず鈴木選手に関しては、右バッターでここまでメジャーで第一戦に活躍されているというところで、自分も同じ右バッターとして本当にリスペクトしています。実力的にも僕は比べ物にならないと思うんですけど、ちょっとずつ何か盗めるところを盗んでいきたいなと思っています。
今永選手に関しては、もちろん活躍も素晴らしいですし、左ピッチャーで、スピードはもちろんありますけど、それ以外にも変化球とかいろんなものを駆使して活躍していく姿、本当に参考にしないといけないなという風に思いますし、カブスの関係者から聞いたんですけど、明るい性格でチームを盛り上げるような性格だというところも聞いたんで、そういうところも自分も参考にしたいなという風に思っています。

――アメリカ挑戦でここを伸ばしていきたいなど、自身の強み
自分自身の強み(東京)六大学でプレーした時はパワーだと思いますけど、今後やっていく環境で、自分以外の選手も見て、改めて自分のどこがいいのかというところも見極めたいです。パワーももちろんそうですけど、総合的に全部伸ばしていきたいなっていう風に思っています。
――将来的にメジャーリーグに上がった時に対戦したい選手や会話したい選手はいますか
僕自身、元々ニューヨークに住んでいて、ヤンキース球場のヤンキーススタジアムにも何回も足を運んだので、ヤンキースのキャプテンであるこうアーロン・ジャッジ選手は、直接お話してみたいなと思います。もちろん日本人なので、大谷選手ともお話できればいいなという風に思っています。
――内定先であるゴールドマンサックスに「カブスのオファーを受けた」と言ったときの反応は
採用枠を僕に使っていただいて、それも長い選考プロセスの中で僕を選んでいただいたので、僕自身もまずは「全員が納得するかしないとダメだな」という風に思って、オファーがあった次の日に最初に足を運んで、いろんな方々に会って僕の率直な思いとこれまでの感謝を伝えました。
それで、リアクションとしては、「全力で頑張ってこい」と。全員が背中を押してくださるような言葉をかけていただいたので、改めてGSのことが大好きになりましたし、改めてもともとこの会社に行こうと思った自分の過去の決断とか、そういったところも良かったなという風に思っています。
――慶應で得たものは
もちろん勉学というところもあるんですけど、横の繋がり、縦の繋がりというところもあると思います。学校でもそうですし、部活においても様々な面白い人たちがたくさんいて、そういった方々と交流できて、僕は進路を決める、例えばゴールドマンサックスを受ける時だとしても、先輩の方々とかいろんな方々にアドバイスをいただいてというところで。
それで、今回、野球を続けるということでもいろんな方々の支えがありました。本当にこの10年間、中1からこの大学4年生までこの学校に通えたことに、本当にこれ以上の選択肢はなかったなという風に改めて思いますし、将来の自分の息子とか、そういった僕の下の世代もこの学校に入れて、彼らもなんかいい思いをしてほしいなと思いますね。
――堀井監督の存在は
「恩師を1人あげろ」と言われたら「堀井監督しかないな」と思っていて。もちろんいろんな方々にはお世話になりましたし、いろんなご支援いただきましたけど、やっぱり監督は僕が無名かつ全然実力がない時から、いろんな指導してくださって、僕を引き上げてくださった人だという風に思っています。来週2人で焼肉を食べに行くので、その時にいろんな言葉をかけてもらおうかなと思っています。
――英語が得意ということで、何か英語で決意表明を
I think I’ve got a difficult choice, compared to the choice I had. It’s my dream to play baseball in the MLB. I think this ticket would be my dream ticket. I think it will lead to my dream.
――安定した将来があった中でカブスのマイナー挑戦を選択することで、ご自身の中で不安とかはありましたか
世間的に見れば比較的安定とかそういった言葉もあるとは思うんですけど、僕の目線で話させていただくと、前提としてどちらの道に進んでも安定はないという風に思っています。GSに進んでもアップ・オア・アウトな環境なことに変わりはないですし、そこで競争に負けてしまえば、違うキャリアを選ばないといけないところは、僕が今回選んだ決断とあまり変わらないのかなという風に思っていて。
結局、入った組織の中で自分の役割を見つけて、足りないとこをしっかり補っていくという部分に関しては、何も変わりはないかなと思っています。

――いよいよアメリカでの生活が始まるが、今どんな思いを抱いているか
たくさんのスペイン語話者がチーム内にいまして、僕自身この大学でスペイン語を履修していたんですけど、あんまり実力的には全然伴っていないですが、まず教えてもらったのが「ケロケ(¿K lo K?)」っていう挨拶です。英語でいう「What’s up?」みたいな感じで、とりあえずそれをアジア人が言えば面白いということを教えてもらったので、それを積極的に使って、みんなと仲良くしていきたいなという風に思います。
――マイナーからのスタートということですが、何年後にメジャーに上がって、何年後にどういう活躍というような未来予想図は
メジャー昇格とところに関しては、僕自身も入ってみてどれだけその壁が高いのかというところは、まだ測られないとこもあります。いろんな先輩の方がわざわざ住んで、着実に進んでいった先にあるという風に思っているんで、なかなか何年かとは言えないですが、とりあえず5年と言っています。
――東京六大学リーグで活躍して道が開けたと思いますが、一方で決して強豪校ではなかったSFCで過ごした6年間というのは、常松選手の野球経験においてどういった意味を持っているのか
野球だけで考えても、もちろん強豪校ではなかったんですけど、良いチームに恵まれましたし、良い方とも出会えて、そこで楽しく野球できたのが「今の自分を作っているな」という風に思います。環境として慶應大学というのが繋がっていて、「神宮でプレーしたい」という気持ちは中学生の時から思っていたことなので、見えやすい夢が目の前にあったというところはすごい助けてくれたと思います。
あと、野球だけではなくて人生総合的に考えた時に、SFCは本当に良い学校でした。共学で青春もありましたし、僕自身帰国生で、SFCにはたくさん帰国生がいたので、毎日ネイティブの先生が英語を教えてくれるというところで、今回、選択肢を自分の中で切り開くことができたのは、そういったところがあるかなと思います。
――SFC野球部でキャプテンを務めて学んだこと
キャプテンとしてチームを引っ張る立場もやりましたし、大学野球部で下級生のときに全く試合に出ない中で、サポートをする立場も味わいました。いろんな立場とか役割を味わえたことで、みんなで何か目標に向かっていってる時も、全員が同じ立場で、全員が同じモチベーションでやってるわけじゃないというのは、十分にこう理解できるようになりました。その上で、なんとか推進力持って何かに取り組もうというメンタリティーを見ることができたのは、やっぱりキャプテンを経験したからなのかなという風に思います。
――現段階でわかっているスケジュールはどのようなものか
2月末か3月頭に渡米して、そこで練習、キャンプに参加しようという風に思っています。
――慶大野球部で1番印象に残っている試合はなんですか
初めて僕がレギュラーとして定着した3年春の試合で、特に立大4回戦です。その当時はレギュラーではあったんですけど、打席内容が良くないと毎回2打席ぐらいで変えられていたので、1打席1打席、必死で生き残るためにやっていました。納得できるような成績は残っていなかったんですけど、第4戦はずっと同点で、8回表で僕がツーベースを打って、その試合勝てて。必死に1打席ずつやってきた中だったので、あの打席はちょっと人生を変えたのかなという風に思います。
――新チームが指導しているが、自分のどういうところを後輩たちに受け継いでいってほしいか
後輩たちは後輩たちで、すでに良いものをたくさん持っていて、僕から学ぶことはないと思うんですけど、主将の今津(=慶介、新総4・旭川東)とか、クリエイチャーに持っている選手もたくさんいますし、そこは絶対捨てないで、積極的にバットを振るなり、ストライクを投げるなりしてほしいなと思います。

――GSに内定をもらったときから、カブスからオファーをもらってどんなふうに気持ちが変わったのか
六大学で野球していて、カブスからオファーが来るなんて誰も思わないと思うんですけど、僕も実際そう思っていて。でも実際にそういうお話があって、面談を経てオファーが出たんですけど、オファー出た時は、「本当に現実かな」と思うぐらいびっくりもしました。だけど聞いて、自分の中で手に落ちて「面白い人生になるな」という風に感じました。
――東京六大学からアメリカの野球に挑戦する存在として、どんな風に自分が道を切り開いていきたいか
慶應大学の野球部の部長さんの加藤貴昭(平9卒)さんが過去に六大学でプレーした後、カブスのマイナーリーグでプレーしているので自分自身がパイオニアとはあまり思っていないです。今思うのは、東京六大学という舞台は、いろんな応援があって、いろんな方々が見てくださって「最高の環境だな」とプレーしている時は思いました。
卒業後もいろんな人が注目しているというのは、カブスのオファーであったりとか、様々なところで実感するところもあったので、今も中学野球、高校野球をしている選手に六大学でプレーするというのは「夢があって、本当に楽しくて、最高の環境だよ」ということを伝えたいです。
――カブスの関係者からオファーを受けたに関係者からどんな言葉をかけられたのか
自分自身も思っていないような形で評価されたっていうのもありますし、まず、最初にかけられた言葉としては、「一緒に挑戦してみないか」と。「こんなチケットはなかなかないんだから、一緒に夢を見て、カブスのワールドシリーズ優勝に少しでも近づけるような努力というのを一緒にしていこう」というのを言われました。
――小学校の時にアメリカで野球をしたという経験の中で今も大事にしていたり、ずっと残っていたりするものがあれば教えてください
圧倒的に日本でのキャリアの方が長いので、自分自身でその時の経験がこうとは明確には言いづらいんですけど、いろんな影響の形があるんだなというのは、小さい時に学べました。
日本では監督が来たら、帽子を取って挨拶をして、グラウンドで列になって、まずみんなでグラウンドに挨拶する。そういうところから、僕は野球を学びましたけど、アメリカではみんなガムを噛んでいて、みんなひまわりの種を飛ばしていて、挨拶も結構適当なので(笑)。
こんなにも違うんだというのはいろんなショックを覚えましたけど、日本に帰ってきて改めて日本の緻密な野球の良さを再認識できましたし、違いがあるから、良いところも悪いとこもお互いありますが、どっちも僕は好きで、日本の野球も大好きなので、そこに関しては郷に従うというスタンスです。
――その日本の緻密な野球を経験して、アメリカで生かせるところは
堀井監督の緻密に野球を徹底される方も珍しいと思うので、堀井ズムみたいなところはカブスでも徹底して、たまには電話をかけていろんなことを相談しようかなという風に思います。
――ニューヨークにお住まいになっていた時期は
小学4年生から小学6年生です。
――アメリカ挑戦でのこれからの意気込み
マイナーからスタートしますし、僕がプレーを始めるカテゴリーというのはまだ決まってないですけど、本当に長くて険しい道のりになるというのを僕は予想していて。
でも小さい時からの憧れの舞台を目指して頑張れるというのは、本当に恵まれているなという風に改めて思うので、そこを思いっきり楽しんで頑張っていきたいなと思います。

――将来的な最も大きな目標は
最も大きな目標としては、“自分が死ぬ時に全く後悔のない人生を歩むこと”。それが常に根底にはありまして。野球だけじゃなくていろんな人を巻き込んで、大きなプロジェクトや何かを企画して達成するようなことができれば、自分自身の喜びや後悔のない人生に繋がっていくのかなという風に思っています。もちろん今、野球を全力でやっていますし、MLBのメジャー進出ということを1番の目標にはしていますが、人生トータルで考えたらそういう考えもあります。
(取材、記事:河合亜采子)
◆リーグ戦の成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四死球 | 三振 | 打率 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2024春季リーグ戦 | 11 | 33 | 7 | 0 | 1 | 3 | 13 | .212 |
| 2025春季リーグ戦 | 14 | 57 | 16 | 3 | 10 | 5 | 15 | .281 |
| 2025秋季リーグ戦 | 12 | 43 | 12 | 1 | 8 | 5 | 8 | .279 |
| 合計 | 37 | 133 | 35 | 4 | 19 | 13 | 36 | .263 |
◆活躍した試合をプレイバック
●2024春季リーグ戦
2-2の同点で迎えた8回裏、2死一、二塁から常松の適時二塁打で勝ち越しに成功。この一打が試合を決定づけた。

●2025春季リーグ戦
試合には敗れたものの、リーグ戦初本塁打を含む2本塁打を放つ活躍を見せた。
左中間への2点先制本塁打を放った。
●2025秋季リーグ戦
法大戦では全4試合連続安打を記録。
初回に4点を失った直後、常松の中前適時打で1点を返し反撃の口火を切った。
5回、常松の中適時打を含む集中打で5点を奪取した。


