【野球】苦闘の慶大4年間からその先へ ”独立リーグ初のドラフト1位”を目指して/4年生卒業企画「光るとき」 No.28・荒井駿也

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25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第28回となる今回は、野球部の荒井駿也(商4・慶應)。長年追い続けた夢に向け、プロ志望届を提出。しかし、ドラフト当日、彼の名前が呼ばれることはなかった。それでも野球を諦めるという選択肢はなかった。独立リーグである香川オリーブガイナーズで再出発を決意し、再びプロの舞台を目指す。逆境の中で積み重ねた大学4年間の歩みを紐解く。

荒井の野球人生は、兄と父がキャッチボールをしていた場所へ、自ら加わったことから始まった。特別なきっかけがあったわけではなく、ただ、楽しそうにボールを投げ合う2人の姿に惹かれ、自然とその輪の中に入っていったのだという。荒井は右利きである。しかし、そのとき足元へ転がってきたボールを、とっさに左手で受け取った。そして、そのまま左手で投げ返した。それが、彼の最初の一投だった。

偶然とも言えるその瞬間をきっかけに、荒井は左投げとして野球を続けていくことになる。その後の荒井の野球人生は輝かしいものだった。小学生時代には埼玉西武ライオンズジュニアに選出され、中学では日本代表にも名を連ねる。慶應義塾高を経て、2022年に慶大へ進学した。


同じ慶應義塾高校から慶大野球部に進む仲間が多いなか、外丸東眞(環4・前橋育英)や小川琳太郎(経4・小松)といった他校出身の実力派投手たちの存在は大きな刺激だった。初めて顔を合わせた日に、いきなり圧巻のボールを投げ込む姿を目の当たりにし、「こういう選手たちと切磋琢磨できるのは本当に恵まれた環境だ」と強く感じたという。

荒井がリーグ戦デビューを果たしたのは、2年春の法大1回戦だった。「現実味のない環境で、正直あまり覚えていない」と振り返るが、1回を投げて1奪三振、無失点。上々の船出となった。同シーズンには初の早慶戦も経験。「観客の数や伝統の重みを肌で感じた」と語り、その特別な舞台の空気をかみしめた。最終的に2年春は8回を投げ、自責点0。数字だけを見れば順風満帆なデビューに映る。しかし、本人の感覚は少し違った。「うまくいったという実感はほとんどなかった。任されたイニングを毎回全力で投げた結果、たまたま無失点で終われただけだと感じている」という。


しかし、その後に待っていたのは決して順風満帆な道のりではなかった。2年秋季リーグは、夏場に痛めた肘の影響で状態が上がらず、登板は0に終わる。一方で、慶大は明治神宮大会を制し、日本一に輝いた。チームの快挙は誇らしかったが、その輪の中で自分がマウンドに立っていない現実には、拭いきれない歯がゆさが残った。3年春にはリーグ戦に復帰。しかし、「自分に自信を持って投げられたことはほとんどなかった」と振り返る。続く秋も、「いろいろと考えすぎて力んでしまい、基礎ができていなかった」と自己分析。結果は1登板にとどまり、もがく時間が続いた。

そして迎えたラストイヤー。 春シーズンは確かな手応えを感じながらのスタートだった。第1カードの立大戦では2回戦、3回戦と連投し、ともに無失点。順調な滑り出しを見せた。しかし、第2カードの明大戦で無念の負傷。再び試練が立ちはだかる。秋に訪れた登板機会は、わずか一度。だが、1人目の打者に4球連続の四球を与え、無念の途中交代となった。「自分の不甲斐なさに打ちのめされた。4年間やってきても、あんな情けないピッチングをしてしまうのかと。今でもよく思い返すし、本当に悔しかった」。静かに振り返るその言葉には、積み重ねてきた時間の重みがにじんでいた。


大学野球では苦しい時間も多かった。それでも、プロ入りへの思いが揺らぐことはなかった。覚悟を持って提出したプロ志望届。しかし、指名はかからなかった。「悔しさはあったが、ある程度想定していた結果でもあった」と荒井は語る。その後、進路を模索するなかで選んだのが、香川オリーブガイナーズだった。四国アイランドリーグplusに所属する同球団は、慶大とも縁が深い。上田誠投手コーチがかつて球団社長を務め、さらに白村明弘(平成26年卒)も在籍経験を持つ。新天地を選んだ理由について、荒井はこう語る。「近年はKBOなど海外からも注目されているリーグ。レベルの高い環境で、レベルの高い野球をしたいと思った」。

掲げる目標は明確だ。

「独立リーグ初のドラフト1位」

大学時代とは異なり、先発投手としての起用が見込まれており、すでにその準備も進めている。数々の挫折を経てもなお、夢は変わらない。新天地・香川での挑戦が、彼を次の舞台へと押し上げる瞬間を、心から待ちたい。

 

(取材、記事:水野翔馬)

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