【野球】土壇場で放った意地の同点打 泥臭くもがき続けた必殺仕事人/4年生卒業企画「光るとき」 No.55・坪田大郎(野球部)

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25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第55回となる今回は、野球部・坪田大郎(商4・慶應)。積極性のある打撃を持ち味に、3年秋の明大3回戦では「あと一人」の場面で同点打を放つなど、代打の切り札として活躍。そんな「必殺仕事人」坪田の4年間に迫る。

 

2024年9月30日、神宮球場。秋季リーグ戦連覇を掲げていた慶大は、前節の立大戦で勝ち点を落とし、迎えた明大とのカードはここまで1敗1分。勝ち点を奪わなければ優勝戦線から遠のいてしまうため、絶対に落としてはならないこの試合。0―1とリードを許した状況で9回裏、2死二塁と同点のチャンスで打席に入ったのが代打・坪田だ。カウント2―1から内角の直球を力強く振り抜くと、打球は一塁手の頭上を超え右翼線へ。1―1の同点。土壇場で大仕事をやってのけた坪田は二塁ベース上で雄々しく吠え、右拳を高らかに突き上げた。

まさにチームの窮地を救う「意地の同点打」。誰もが息を呑む場面でも迷わず振りに行ける彼の積極性は、並大抵のものではない。しかし、良くも悪くも坪田がリーグ戦で放った安打はこの一本のみであった。

関西出身の坪田が慶應高校に入学したのは、ある夢があったからだ。

「早慶戦に出たい。あの大観衆の中で、プレーがしたい」

小学校6年生の時に見に行った早慶戦で、そう感じたという。観戦した試合は慶應が勝利したが、「もし早稲田が勝っていたら早稲田に行っていたかもしれない」と、冗談混じりに語った。

 

高校時代は主に捕手としてプレー。慶大野球部に入る前は「1年春からリーグ戦に出て、活躍してやろう」と意気込んでいたが、実際に入部してみるとそのレベルの高さに唖然とする。実際に1年春から登板した外丸東眞(環4・前橋育英)のキャッチボールを初めて見た時は「レベルが違った」という。そんな中でも1年春のフレッシュトーナメントでは、微かな手応えを感じていた。法大との試合で、高校時代にも対戦があり当時は全く手が出なかった吉鶴翔瑛(令7卒)や山城航太郎(令7卒・現日本ハム)から安打を放ち、得意の打撃面でアピールを続けていた。

 

しかし、捕手としてはなかなか思い描いていた姿にたどり着くことができない。昔から強肩を売りにしてきた坪田だったが、スローイングの精度を追求していくうちに知らずと投げ方が不安定に。さらに高校2年生の時に脱臼を経験しており、その古傷が悪化してしまい思い切り投げることができなくなっていた。これまでリーグ戦の出場が多かった宮崎恭輔(令6卒・國學院久我山)と善波力(令6卒・慶應)の2人が引退し、正捕手の座が空いた3年春も、坪田は森村輝(総4・小山台)や森谷史人(令7卒・福岡)らに遅れを取り、歯痒い思いをしていた。

坪田は4年間の大学野球生活を振り返り、「60点〜70点」という評価を下した。そのうち多くを占めるのが、あの「意地の同点打」と、もう一つは幼い頃からの夢を叶えたことだ。3年春の早大2回戦、28,000人の観衆が見つめる中、坪田は念願の舞台に立った。部員200人を超える大所帯で、ベンチに入ることができるのは僅か25人。夢舞台への切符を自らの力で勝ち取った坪田は「心から楽しかった」と振り返る。

 

同期の存在は「家族」であり、特に外丸、今泉将(商4・慶應)、常松広太郎(政4・慶應湘南藤沢)、金岡優仁(商4・慶應)とはずっと一緒に過ごしてきて、「これからも一生仲良くして欲しい」と語るように仲の良さが伺える。また後輩からは、中学、高校、大学とチームメイトである森本亜裕夢(新商4・慶應)を挙げ、持ち前の強肩と守備力を生かして「一花咲かせて欲しい」と期待を込めた。

慶大野球部での4年間を通して、坪田は社会に出るための人間性が徹底的に身についたという。「何事も意図を持って取り組む。惰性でやったら意味がない。」畏敬の念を抱く堀井監督から得た教えだ。なんとかしてチームに貢献するために、必死に考え、泥臭く努力を続けてきた。あの「意地の同点打」は、そのような日頃の練習の成果が現れた瞬間であることに違いない。

 

「野球なしでは今の坪田大郎はない」ほど野球に尽くしてきた14年間の「青春」は一旦幕を閉じるが、慶大野球部で培った思考力、さらに自身の長所である泥臭さを生かして社会に飛び込んでいく。たとえフィールドが違えど、必殺仕事人・坪田としての活躍を心から期待したい。

 

(取材、記事:林佑真)

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