【バスケ(女子)】「4年間は宝物」 困難を力に変え続けるプレイヤー/4年生卒業企画「光るとき」 No.58・網野梨加

バスケ女子

25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」 。第59回となる今回は、女子バスケットボール部の網野梨加(環4・Irvine High)。大学3年時に前十字靭帯を負傷するなど、網野のバスケ人生は困難の連続だった。それでも彼女はどのようにして試練を乗り越えてきたのか。

 

バスケとの出会い

 網野がバスケをはじめたきっかけは、アメリカで過ごした小学時代に友人に誘われたことだった。アメリカでは「褒めて伸ばす」指導が主流で、 網野自身もバスケを純粋に楽しいと感じていた。しかし、小学5年生で日本のミニバスチームに所属すると、初めてバスケの厳しさに直面する。アップ時に足並みを揃えるなど、 アメリカのチームでは経験しないことばかりだったからだ。さらに中学1年の夏からドイツの学校に転校すると、そこでも高い壁が立ちはだかった。3チームを掛け持ちし、アジア人として現地の人に溶け込む難しさ、言語の壁、 ポジションがセンターからフォワードに変化したことによる動きの変化など、多くの困難を乗り越えなければならなかった。ドイツの中学校を卒業した後はアメリカの高校に入学し、2年目からは実力が認められ、リーダーとしてチームをまとめる立場になった。 網野は「アメリカでは個性豊かな子が多く、初めてチームをまとめるという役割を果たした」と当時を振り返る。

関東大学女子バスケットボールリーグ戦 ・上武大戦

 

揉まれた1年生

 体育会バスケットボール部に入ることを決意した網野。入部当初を振り返って、「一言で表すなら“揉まれた”。チームに入る自覚について先輩から問われることも多く、入部したことを後悔したり、辞めたいと同期に相談することもあったりした」という。

 

ケガに悩んだ 3 年生

 3年時、網野は前十字靭帯を負傷する。「一番は申し訳ないと思う気持ちが大きかった。自分もキーになるような戦術をコーチが考えてくださっていたし、自分がいないことによってチームの動きが変わってしまうことが辛かった」と話す。負傷した後、 網野は先輩やチームのためにプレー以外の面で支えようと奮起。しかしそれは容易なことではなく、網野自身も「ケガについて3か月は引きずっていた」と語る。「チームが自分以外で仕上がっているのを見て自分の存在意義について考えたこともあったが、これをきっかけに今年は裏方に徹しようと気持ちを切り替えることができた。 加えて、同じようなケガをされた先輩方の姿を見てより決意を固めた」という。

関東大学女子バスケットボールリーグ戦 ・東京女子体育大戦

 

副将を務めた4年生

 4年生になった網野は副将を務めることになった。「1年間は逃げずに全てを出し切る」という気持ちでその役割を引き受けた。シーズン当初は、ケガの影響で思い描くプレーができなかった。「理想に体がついてこない。これほど苦しいことはない」と自分に嫌気がさす日々。それでも、夏合宿で多くの練習試合を経験する中で徐々に感覚を取り戻す。失敗してもいい環境の中で挑戦を重ね、成功体験を積み上げていった。そしてやがて、再びバスケを「楽しい」と感じられるようになったという。

 

網野のバスケ人生は、 決して順風満帆ではなかったかもしれない。それでも、数々の困難を乗り越え、努力を重ね続けてきた。そして何より、支え合った仲間との絆。そのすべてが、網野にとってかけがえのない「宝物」となった。

六大学対抗戦・明大戦で河村さくら(文4・松陽)とハイタッチをする網野

 

(取材:本橋未奈望、新妻千里 記事:新妻千里)

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