今回「ラクロスと国際交流」。このテーマを中心にしながら、4回にわたって記事を掲載していく。「ラクロス」というスポーツ、「国際交流の重要性」、この2点について少しでもご理解していただけたら幸いである。
ラクロスのルーツは1600年代の北米インディアンにまでさかのぼる。インディアンたちの肉体的・精神的な鍛練として行われていたこの競技は、19世紀初頭に急速に広まり始める。1856年、カナダで開拓者たちによって最初のチームが結成されると、続く1867年にはカナダで世界初のラクロス協会が設立。そこから、アメリカ、イギリスへと順調に広がりを見せ、ついに1974年国際ラクロス連盟が設立されるに至るのである。
北米諸国では、歴史も古くテレビでも放映されるほど人気のあるラクロスだが、日本での歴史はまだ30年弱程。1986年に、慶應義塾大学の新1年生達がラクロス部を設立したのがきっかけだった。当時、「ラクロス」という言葉は誰も知らないものだったが、慶應義塾高校出身の10余名のファウンダー達は、ラクロスに興味を持ち、アメリカ大使館へ問い合わせる。そこから、米国ジョンズホプキンス大学出身のノリオ・エンドー氏らの協力もあり、日本で初めてラクロス部が設立されることとなる。
翌1987年には、各大学にラクロス部が設立され始め、同年6月にはついに日本ラクロス協会(以下、JLA)設立。日本ラクロス界がここで本格的に息吹を挙げる。
現在、日本ラクロス協会が設立されてから、25年が経過。日本の実力はもちろん、「ラクロス」という知名度は格段に上がっている。2010年のラクロスのワールドカップでは、ラクロス界最古の歴史を誇る米国、カナダ、そして豪州に次いで4位。参加国はまだまだ多くはないが、その中でもしっかりと進化を見せることができた。
さらに、注目度も各段に上がってきている。5月に日吉で行われた第20回早慶定期戦では、過去最高となる3000人の観客を集め、試合の模様はBS朝日の番組内で放送。これまでであれば、考えられなかったことである。それでも、ラクロスの知名度はまだまだ低い。今後、ラクロスがサッカーや、野球のような注目を集めるためには、「更なる広報活動が必要になってくる」(JLA国際部長・鹿内さん(慶應OG) )。現在オリンピックの正式種目ではないが、いずれラクロスの日本代表チームが、オリンピックで活躍する姿を見てみたいものだ。(石塚大樹)
※次回は、「慶大ラクロス部」についてです。
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