大学4年間、日本陸上界の第一線で活躍してきた山縣亮太選手。ロンドン五輪への出場、そこで自己ベストを更新。一度は栄光をつかんだ。しかし度重なるけがに悩まされた苦しいシーズンもあり、もがき苦しんだこともあった。山縣選手はあの時、何を思い、そしてこれから彼が見据える戦いとはどのようなものなのか。ケイスポは山縣選手が4年間練習を行ってきた日吉陸上競技場にて本人に今回卒業記念インタビューを行った。
1、大学時代について
・4年間を終えて最も慶應に入ってよかったと思うことは?
慶應の競走部にはこれといったコーチがいるわけではないんですよね。だからその練習メニューや計画を作るのも自分たちでやらなければいけないし、走りの課題を見つけて克服するのも基本的には自分が自分の走りのコーチになってやっていかなければならないという環境なので、そういった中で常に自分の走りと向き合える4年間だったなと思います。それはこれから自分が社会人になって陸上をしていくうえでも、忘れてはいけない部分になるんじゃないかなと思っています。
・逆に4年間で一番苦しかったことは?
逆にコーチがいないということが状況においてはデメリットになることも多くて、自分がスランプの時には自分が何をしたら足が速くなるのかが全く見えない時期が長く続いてしまうんですが、そういう時に自分の走りを見てくれるコーチがいないというのがスランプをなかなか抜け出せないことにつながりかねないんですね。実際僕も大学2年と4年は調子がよかったんですが、1年と3年の時は長くスランプに苦しんでいた時期が続いたので、そういった意味では状況においてはメリットがデメリットにつながるなということを4年間で感じました。
・一番印象に残っている大会は?
大学4年の全日本インカレですかね。もっともっと印象に残っている試合はあるんですが、割と近いということもありますし、自分が大学2年の時に10″07の自己ベストを出して、3年で苦しんで、4年目のシーズン最後の全日本インカレの100mで割といいタイムを残したことと、マイルリレーでチームが50年ぶりか60年ぶりかに優勝したということが僕にとっては印象に残っていますね。
・話題にも上がった昨年の全日本インカレのマイルリレーについて
大学1年生の時に同じく全日本インカレのマイルリレーの決勝を走らせてもらってるんですが、その時はチームで優勝するために僕が決勝から投入されたという状況にもかかわらず、第一走者で49秒くらい400mかかって断トツビリの8番でバトンを渡してしまったんですね。そのイメージが自分の中でトラウマのように焼きついていて、周りからも山縣は100m、200mは速いけど、400mは苦手だな、長い距離はあいつは苦手だという思いを周りに持たれてしまったと思うんです。チームの期待に応えられなかったという悔しさと自分に対する失望みたいなものがこの4年間長い距離に対してあって、今回大学4年の全日本インカレでも決勝に駒を進めてくれて、またそこで自分に走るチャンスがもらえたというところで、4年前の僕自身の雪辱を果たすという意味で意気込んで試合に臨みました。それが結果として自分の中でも納得できる走りができたし、チームも結果的に優勝することができて、1年生の時に負けた先輩たちの分というのは返っては来ないんですが、少なくとも最後の全カレで一緒に走ったチームメイトだったりとかそこで応援してくれたチームのために走ることができた、いい結果を出すことができたというのはすごくいい思い出です。
・ロンドン五輪出場について
ロンドンに出ることができたこととそこで自己ベストを出すことが社会人になっても陸上を続けることにつながりました。それに陸上が大きな存在になったきっかけだったなとも思います。
・主将としての1年間は?
僕が主将ではあったのですが、対校戦になれば一選手として点数を取っていくというのが自分のなすべき役割だと思っていたし、本当に主将ではありましたが、主務や特に同じ学年の幹部メンバー8人がいて、彼らがチーム全体をサポートしてくれたなというところがありますね。主将になったことでのプレッシャーや山縣の代はああだこうだ、1部に上がった2部に落ちた、早慶戦勝った負けた、などいろいろ言われるし、勝たなきゃいけないというプレッシャーはありましたが、心強い同期にチームのマネジメントという意味でも選手としても支えられて、1年間やって来れたので、思ったより大変じゃなかったというのが本音です。
・山縣選手にとって早慶戦とは?
チームで重きを置いている大会というのが関東インカレと早慶戦なんですね。特に競走部は昔から早慶戦で次の代に代交代をするんです。そういった意味でターニングポイントになる大会ではあったし、そこで自分たちにとって最後の試合を勝って終わるのか、負けて終わるのかでは全く違うし、新しい競走部の再スタートをする意味でも勝って始まるのか、負けて始まるのかでは心持も違うと思うんですよね。だから早稲田との一戦、余計負けられないという気持ちがありますね。
・高校時代からの同級生、茅田選手の存在は?
茅田は薄いも甘いも経験したと言ってはあれなんですが・・・(笑)ずっとずっと仲がよかったわけでもないし、仲が悪かったということもないんですが、もともと茅田も100の選手でお互いライバルとして中学から一緒にやっていて、お互いピリピリした時期もあったし、お互いの活躍に刺激を受けたり、時には嫉妬したりしながら、ここまでやってきました。彼は400にステージを変えましたが、種目が変わっても競り合いながら大学までやって来れて、そういった意味では特別な存在だし、今では僕にとって茅田の活躍というのは自分の支えになるし、自分も頑張んなきゃなと思いますね。やっぱり特別な存在です。生活リズムが違うんで一緒に遊んだりするということはあんまりないんですが、陸上競技においては通じ合うものがありますね。
・2015年度のチームに一言
2015年度は僕らが2部から1部に上がったということは今度のチームは1部で戦っていかなければいけないので、本当に厳しいシーズンになると思います。でも1部でも十分活躍できる選手がここには多いですし、ベストコンディションで結果を出すべき時にちゃんと結果を出すというところを重点的にケガをしないとかしっかりピーキングするなどチームでマネジメントしていけたらいいんじゃないかと思います。僕らの代は早慶戦に勝ったし、いい形で終われたと思うんですが、まだまだ競走部は僕らの代よりも強くなっていかなければならないので、更なる活躍に期待したいです。
2、これからについて
・若い世代のレベルが上がっていることについて
若い選手が勢いづいていくというのはすごくいいことだなと思っていて、特に100mでは桐生(東洋大)が高校生で10″01を出してから、さらに下の高校生や中学生が高校生でも10″01を出せるんだって思ったと思うんですよ。そんなに前ではありませんが、僕らが高校の時の高校記録が10″24で、この記録は絶対に破られないと思っていたんですね。それくらいレベルの高いその10″24という記録があったんですが、桐生がひとたび10″01という記録を出してしまうと、たぶん10″24という記録に高校生や中学生は壁を感じないだろうし、10″01に近いところ、さらにその先まで行くかもしれないし、そういった意味で若い世代が伸びていくというのは、日本記録やそれに近い記録に対する壁を感じなくなっている証拠だと僕は思っています。だから陸上界にとって若い世代が台頭してくるのはいいことだと思うし、この流れがどこかで絶えないようにしないといけないのかなと思います。
・けがについての認識
正直こんなにけがをすると思っていませんでした。高校まではねんざや外的な要因で骨折をしてしまったことがあったんですが、大学に入って肉離れ3回と腰痛など大きなけがが3つも4つも続いてしまいました。本当に体のケアやバランスといったものに対しては、特にけがをしないという人はこれからも僕はしないよじゃなくて、気をつけていかなければならないと思うし、自分自身も調子がよくて、何も異常がないと思っている時こそケアが必要なんだな、とけがをして初めて思いましたね。
・中盤から終盤の加速について
僕が10″07出した時はスタートも悪くなかったし、加速がよかったんですよね。加速がよくなると後半もよくなるんですよ。ただ大学2年の時はよかったんですが、3年、4年と十分に加速ができなくて、自分の今後の課題は加速を仕切ることなのかなと思っています。
・国内、そして世界のライバルとの戦いについて
自分がこれからも陸上競技を続けるという覚悟を決めた以上は、相手が黒人だろうが、白人だろうが、アジア人だろうが、もう同じステージに立っている以上、全員がライバルで、どんなに強い選手でも倒さなければならないと思っています。まだアジア人は9秒台に入ってないですから、そういったところで自分がまずその領域を突破し、世界のライバルと渡り合っていきたいです。たぶん黒人の選手はアジア人を見くびっているので、そういった選手に一泡吹かせられるような選手になりたいと思っています。
・日本記録更新について
陸上をやっている以上は、それが目標となると思うし、そこを越えていく意気込みがないと陸上選手をやっていけないと思っているので、それはチャンスがあればどんどん狙って行きたいと思っていますし、そこに対してはどんどん積極的にチャレンジしていきたいな思っています。
・レースの中でこれからさらに究めていきたいところ
さっき言った加速が自分のテーマで、腰を痛めてからスタートも少し微妙になってしまったので、無理をしない程度にスタートの精度をもっと上げて、加速をもっとつけることです。それができれば9秒台近いと思うので、そこをしっかり仕上げていきたいと思います。
山縣はすでに次の戦いに目を向けていた
大変お忙しいにもかかわらず、山縣選手は私たちの質問のひとつひとつに真剣に対応してくださいました。
4月から山縣選手はセイコーホールディングスで陸上競技を継続されます。
山縣選手の更なる活躍を慶應スポーツ新聞会一同、心よりお祈りしております。
最後になりましたが、今回のインタビュー企画を行うにあたって、セッティングにご協力していただいた慶大競走部マネージャーの三山様をはじめとする関係者の方に厚く御礼申し上げます。
(企画・慶應スポーツ競走部一同)
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