【バスケ(男子)】<コラム>「継続すること」を体現し続けてきた男・髙田淳貴。長い旅を終えた彼が、チームにもたらしたもの。

187㎝、88キロの逞しい体格から放たれたボールは美しい弾道を描いてリングへ吸い込まれる。得意の3ポイントを立て続けにヒットしたかと思えば、相手の意表を突く果敢なドライブを見せる。堅実で正確ながら、見る者を魅了する。それが、髙田淳貴(環4・城東)のプレースタイルだ。

 だが、彼の一番の魅力はプレースタイルにあるのではない。一見華やかなその点ばかりに目が行ってしまうが、髙田が本当に他のプレイヤーに比べて飛び抜けているのは、「ケガをしないこと」にある。そう、最大の武器はその身長でもなく、正確無比なシュート技術でもない。試合に出続けてきたからこそ得られた、「経験」だ。

 

 髙田は4年間、試合に出場し続けてきた。慶大バスケットボール部のスターティングラインナップにはいつでも、「髙田淳貴」の名前があった。髙田はシューティングガードというポジションを担ってきた。ただでさえ、常に得点が期待され、相手からの激しいマークやプレッシャーに晒される。だが、本人にその話題を振ると、「人一倍ケアしてたわけではないので…。プレースタイル的に危なくないプレーが多いっていうのが一番」と謙遜する。しかし第一線で戦い続けるため、陰では並々ならぬ努力を積み重ねてきたのだろう。 

試合前のルーティン

印象的だったのは、試合後に丁寧に足をアイシングする姿。もちろん他の選手もアイシングは行っているが、人一倍、患部を丁寧にケアしていた。毎週2試合とタイトなスケジュールで行われ、時には一週間で4試合をこなすこともあった秋のリーグ戦、チームの中にはケガをして長期離脱、あるいはプレータイムを制限する選手が後を絶たない。無理もない。毎日順位が変動するため、一試合たりとも楽な試合などないのだ。髙田も例外に漏れず、他の選手とのコンタクトでしばしば途中交代を余儀なくされることもあった。試合後の姿を見ていれば到底、明日、あるいは翌週の試合出場は叶わないと思われた。だが次の試合、試合開始のティップオフが行われるコートには必ず、髙田の姿があった。患部にテーピングを施しての強行出場も一度や二度ではなかった。見ているこちらが心配になる状態でも、髙田は弱音一つ吐かずにチームの勝利のため、献身的に試合に出続けた。

どのような相手を前にしてもシュートを打ち続けた

文字通り全力で、ノンストップで駆け抜けた慶大バスケ部での4年間。試合に出続けたからこそ、喜びの瞬間も、悔しい瞬間も、人一倍経験してきた。激動のチームの中で毎年試合に出続け、期待され、プレッシャーを感じたことも一度や二度ではなかったはずだ。しかし、現役を引退した今、バスケ部での4年間を振り返る髙田の表情はとにかく晴れやかで、達成感に満ちている。試合で見せていた厳しい表情が嘘のようだ。そして、幾度となく語ったのは部員への感謝の気持ちだった。引退した4年生が皆、口を揃えて「宝物」と表現するバスケ部。辛い時も苦しい時も一緒の時間を過ごし、本気でぶつかってきたからこそ、振り返ったときに思い出として残るのだろう。

山﨑と勝利を静かに分かち合う

最後の一年間は副将として、チーム中でも難しい役回りを担った。主将・山﨑純(総4・土浦日大)が皆を強く引っ張るリーダーなら、副将・髙田はプレーでチームを引っ張ってきた。下級生から試合に出場してきた二人の主将・副将コンビはまさに阿吽の呼吸で、試合で何気ないプレーの後に二人が自然と交わすタッチが印象的だった。3年ぶりの早慶戦優勝を成し遂げたが、秋のリーグではまさかの3部降格。天国も地獄も味わった激動の1年間を終えたからだろうか。二人の姿はさらに大きく見え、堅い信頼で結ばれているように見えた。

バスケ人生最後の試合を勝利で締めくくった

髙田の抜ける来年度の慶大バスケ部。穴を埋めるのは簡単ではない。試合経験の少ない選手が多く、まずはその点で苦労を伴うこともあるだろう。「経験」という何にも代えがたいものを得るのには困難を伴い、挫折を味わうかもしれない。しかし苦労して、苦難に直面しながらも、努力してそれを乗り越えた先には素晴らしい景色が待っている。それを証明して見せた髙田の姿を下級生たちは見てきた。高田は「継続することの尊さ」をチームに身をもって示してきた。

最終戦を終え晴れやかな表情を見せた

髙田は引退と同時に13年間のバスケットボール人生にも終止符を打つ。4月からは社会に活躍の場を移す。学生では経験できない、とてつもない難題が待ち受けているのだろう。しかし、慶大バスケ部で得た最大の学びである「何事にも深く考えること」は社会人としても必ず活かされると語る髙田の目は、既に未来を見据え、「不安」という二文字とは無縁のように見える。努力を続け、やり遂げることの重要性、難しさを誰よりも教えてくれた髙田。これからもその想いは脈々と慶大バスケ部に受け継がれていくだろう。

(4年間、本当にお疲れ様でした。)

(記事:染谷優真)

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