【應援指導部】激動の2022⑤ 前三将・前応援企画責任者の乃坂龍誠さん「やりたいこととやるべきことを両立する部活」を作る

應援指導部

ツールの共有や2部門体制への移行。應援指導部89年の歴史の中でも2022年は大きな変革があった1年だった。ケイスポでは、部の再建に取り組んできた前応援企画責任者で前三将の乃坂龍誠さん(4年)にインタビューを行った。再建の過程や部内の状況などについて、力強くそして支えてくれた人々への思いを巡らせながら答えていただいた

 

――自己紹介

乃坂龍誠です。応援企画責任者と三将をやっていました。應援指導部には、塾高(=慶應高)の時から應援指導部に入っていて、その流れで自分が理想とする部活や慶應のあるべき応援を作りたいと思って入りました。甲子園の応援席でその良さを感じて、完成させたいと思ったことが入部のきっかけです。

――1年生の冬ごろから活動自粛期間がありましたが、その時の心境は

思い出したくないことです。全てのプロセスが発表された時や全部員が集められた時にも僕はいましたが、時を経るにつれてその苦しさがボディブローのように体に効いてくるような感じで、地獄でした。現在進行形でもそう思っています。

――2、3年生の時は思うように活動できない時期が続く、どのように乗り越えたのか

2つあります。1つ目は自分を教えてくれて、そしてこのような状況でも部を引っ張ってくれた1つ上、2つ上の先輩方と一緒に部を立て直し、最後に満足して部での生活を終えてほしいという思いです。2つ目は、見苦しい状況になってしまったが、逆に自分が理想とするあるべき応援を作るということには取り組みやすいと言い聞かせました。それを目標に2年生、3年生、4年生とやってきました。

――当時の部内の状況は

当時、最初は起こったことの大きさに向き合う暇もなく再生を進めないといけないという状況で、てんやわんやになっていました。(2019年)12月に活動停止になり、1月2月3月でどのように立て直していくのかということを学生の中で考えて話し合う期間がありました。ほぼ毎日、いろいろなキャンパスに行って朝から晩までみんなでミーティングをし、一番長い日だと三田に朝9時に行き夜の11時までずっとやりました。その時は部としても苦しかったのですが、まずはもう目の前のことをやらないといけないという状況でした。

――ご自身は当時1~2年生になる立場、その時はどのようなことに取り組んだのか

一番メインで関わったのは、規則やルールを新しく作り直すことで、そういうチームに参加していました。

――規則の作り直しはなぜ必要

問題が起こった後に全部員向けに当時の新4年生が、今回のような問題が起こった原因として考えられる制度や事象をアンケートして、大きな原因の一つとして規則が挙げられました。昔の規則には問題点があり、そこに取り組みました。

――4年生になるあたりからご自身が中心となる、再建活動に取り組むにあたって一番大きな目標は

部の目指す目標として考えるべきは将来にわたって「未来永劫、やりたいこととやるべきことが両立する部活」を作っていくことです。

――この目標はどのように決定したか

12月の代替わり後早速、全部員で「理想の部とは何か」という題のミーティングを開きました。そこで我々4年生の方から提示したのは「やりたいこととやるべきことを両立する部活」で、そのどちらも目指していこうということで、みんなで心を一つにしました。

――下級生の反応は

「確かにな、こういう方向性がいいんだな」と納得してもらったと思っています。そもそも部がどういう方向に行くべきか、あるべき姿を考える機会はほとんどなかったし、考えている人もいなかったので、納得して受け入れてもらったと思います。

――再建活動の流れは

時系列でお話します。まず、どのような姿を目指すのかというゴール地点を明確にしたかったので、今お話ししたような12月下旬のミーティングで理想の姿を示しました。次に、理想の姿である「やりたいこととやるべきことを両立する」ということはどういうことなのか、ある程度具現化したいと考え、存在意義を作りました。これは今企業でも「パーパス」というのが話題になっていると思うのですが、それを参考にしたもので、組織の構成員が立ち返る場所の姿を示したものです。1月から始め、部員の半数以上が集まる再建チームを開き、2日に1回くらいのペースでミーティングを開き、決めていきました。それが最初のステップでした。

再建活動の流れ

――応援指揮を女性部員がやるなどのツールの共有を行った経緯は

シンプルに言うと、それが應援指導部としての価値創出につながるからです。應援指導部として創出する価値が最大化されると考えたからです。同時に部員のアイデンティティが部門ではなく部全体に向く、例えば「メジャレッツの私」ではなく「應援指導部の私」という方向に向いてくれると思いました。

――伝統を変える取り組み、反発は

出ていましたし、驚きの声も上がりました。

――今は徐々に受け入れられるようになった

根気よく説明することと、必要性をお話しすることが大切です。これを行うことで、いろいろな価値観をお持ちの方にいろいろな価値を届けられる、それをすることで組織の縦割りを防げるようにもなる。メリットを伝え続けなければなりません。さらに、まずスタートしてみることで、応援してくださる方のご意見をいただくことができました。それが励みになって徐々に浸透してきた部分もあると思います。

――実際に女性部員が指揮をする姿を見せて、外部からの反応は

2つ大きなタイプの声がありました。1つは「慶應らしくていいね」で、2つ目が、過去にない取り組みなので「新鮮だね」という感想です。どちらもうれしかったです。「慶應らしくていいね」というのは、慶應の精神が「常識とは別の角度で新しいチャレンジを楽しんでいく」ということで、(野球部の)「Enjoy Baseball」もそうですが、そういうポイントをやったということです。「新鮮でいいね」というのは1つ目とも同じですが、慶應は先導者なので、新鮮だと思われるようなことをやるという点で意味があると思います。

――受け入れられていると感じるか

はい、受け入れられていますし、やる側も自信がついてきていると思います。

――女性部員が応援指揮をしている姿を見た感想は

めちゃくちゃうまいなと思いました(笑)。今までやってなかったことにJさん(Jさんの記事はこちら)などが手を挙げてくれて、心配だったのですが、技術面の心配を打ち消すくらいのテクニックを見せてくれてびっくりしました。

応援指揮チームには女子部員も参加

――夏には処分の解除が発表された

今後部がさらに羽ばたいていくための1つのステップになったと思います。今年1年間常々言ってきたスローガン「部の誇りを取り戻す」ことの必要条件が満たされたと思います。私は創部100年の2033年にハード面ソフト面ともに、最高の状態を創りあげることを見据えています。そのためには、各種の改革活動を加速せねばならず、やっとスタート地点に立てたと認識しています。

――ここまで部を変えたいと思った理由とその根幹にあるお気持ちは

應援指導部が持つ価値を誰よりも信じているからだと思っています。應援指導部が活動することで慶應義塾自体を盛り上げることもできますし、いろいろな人に喜んでいただくこともできます。さらに社会全体、日本全体、世界全体が元気になっていけると本気で思っています。

――再建活動で心が折れそうになった瞬間は

多々あります。

――例えばどのようなときでしょうか

いくら新しいことを進めても、それがみんなでスクラムを組んでやっていこうとならなかったときです。新しいことをやろうとすると、やる側でそうでない人たちで視点の差が生まれ、そこがすり合わなかったときが苦しかったです。

――その時に支えになった存在は

支えになったのは自分の1つ上、2つ上の先輩方です。入部理由の一つとして、1つ上、2つ上の先輩と一緒なら部を良くしていけると思ったことがあります。その先輩方が志半ばで部を引退されましたが、「しっかりしてくれよ」という思いも引き継いだので、絶対に裏切るわけにはいかないという思いが奮い立たせてくれました。

――應援指導部が大学の中に存在している意義とは

慶應義塾を代表させていただいています。「公器」「公共財」とも言えるほど、大きな責任があります。まず、学校の象徴たる塾旗の保全・管理を任されています。同時に慶應義塾が持つ早慶戦という世界的な文化の先導を託されており、委託されていると言ってもいいくらいの役割を持っていると思います。

早慶戦という文化を応援で先導

――その思いをどのように伝えていくか

部としてやるべきことが何なのか、それがやりたいこととも重なるということを丁寧に部員に説明していくということが、今後もっと求められると思います。やるべきことは、慶應の精神を理解してそれを伝えて広めて、応援に乗せていくことだと思っています。

――再建活動の中で達成できなかったことは

時期が遅かったと思います。皆様のご期待よりは遅くそれにお応えすることになってしまいました。

――「リーダー部は廃止されたのに男子部員が活動している」という声も、さらに外部にアピールするために必要なこと

愚直にやるべきことをやっていくことだと思います。正直そのようなお言葉もあると思うのですが、私としては部門の数は大きな問題ではないと思っています。2つでも3つでも4つでもやるべきことをするための最適な形が何かを考えることが大切です。今は昔の「リーダー部」が良くなかったとしてそれを廃し、2部門になっています。ただ、「リーダー部」と伝統はまた別で、問題があった昔のリーダー部が慶應の伝統かと言われれば、そんなことは決してなく、道を誤ったことがどこかであると思います。もしそれが解決できれば部門の数は大きな問題ではないと思っています。

――部内の制度を大きく変えたが、それを引き継いでくれる後輩の育成について

学年が若い1年生、2年生の時から部全体を考える視野を持ったり、他部門の人間とひざを突き合わせ話したりする時間を積極的に取り続けていくことが一番大事だと思っています。

――応援文化がなくなってきている中で應援指導部の果たすべき役割

應援指導部という名前の由来をしっかり理解して応援「指導」することだと思っています。具体的にはまず、これが應援指導部たる所以だと思うのですが、主役はあくまでも応援席に来てくださっている塾生、塾員、ファンの方々で、いかに皆様に最強の応援団になってもらうかが我々の仕事です。それを考えると、現場の応援をしっかりすることも大事ですが、それ以前の部分、人を呼んだり慶應の応援のファンになってもらうことや慶應の考えた方を好きになってもらったりして、試合中も企画などで楽しんでもらってパワーを集めていくというところにシフトしていくことが應援指導部の応援で求められていることだと思います。

――実現していく上での課題は

2つあります。1つ目は応援団と應援指導部の違いと慶應の応援であることに対する理解とインストールが進んでいないことです。この部分は特に来年は内野応援席の復活が期待されるのでその啓発や、慶應義塾らしい応援を考え続けることが課題であり、やるべきことだと思っています。もう1つは全てのスポーツにおいて、もっと体育会に近い形に位置して活動するべきだと思っています。連携や活動・企画もしやすくなるので、それを解決することが来年以降の課題になってくると思います。

――各学年の後輩たちに向けたメッセージ

3年生。もう何も心配していないので、伸び伸びとあるべき姿や理想を追い求めてほしいと思います。大変なことはたくさんあると思いますが、決して諦めない強い力があれば理想の部を作れると思います。

2年生は、いつも感心させられる代です。我々が下級生の時は部について考えることはほとんどありませんでした。今年の2年生は部についてすごく考えています。それを持ち続けて来年3年生になって下から部を突き上げ続けてほしいと思います。

1年生は2年生になって下級生が入ってくるので、自分たちの学んできたことや感じてきたこと全てを伝えて、(新)1年生に慶應の應援指導部の姿を伝えてほしいと思います。

――ご丁寧に回答いただきありがとうございました

 

(取材:長沢美伸)

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