46年ぶりに悲願を達成した慶大庭球部。4年生は先日卒部し、新たなチームでの挑戦がスタートする。慶應スポーツでは、王座優勝時の率直な感想、今後についてなどインタビューを行った。
第2回は、坂井利彰総監督、原荘太郎助監督、小林寛和トレーナーです!
坂井利彰 総監督
——改めまして優勝おめでとうございます。
ありがとうございます!
——王座を振り返って
46年振りに男子チームの悲願を達成できて、嬉しいというよりほっとしているのが正直な気持ちです。夏のリーグ戦は6校での総当たり戦で、一度負けてもまだ挽回可能でしたが、秋の王座はトーナメント戦で、絶対に負けられない試合が3戦続くという違う戦いでした。負けたら終わりというトーナメント戦の怖さはこれまで何度となく経験してきているので、これまでの経験を生かせた部分は大きかったです。「そこまでやるか」という後悔ない準備をしてきたので、あとは今年の形というものを大切にしながら戦い切ることを目指しました。
——決勝で何度も何度も跳ね返されてきました。それを跳ね返しての優勝です
監督として関わったこの17年間、王座決勝で11回負け続けてきました。11回準優勝することは誇るべき結果ではあったのですが、決勝で負ける度に周囲からの様々な声もあり、なかなか精神的にもこたえました。正直なところ、「もうずっと勝てないのではないか」とか「自分が監督を辞めないと勝てない」と思う時期もありました。でも、最後は「絶対に逃げてはいけないという一心」でした。
——優勝の瞬間、一番にどのような方の顔が浮かびましたか
長年OB会長を務めていただいていた栗岡現顧問、亡くなられた内田先輩、青木先輩、半那先輩、松井先輩というずっと王座奪還を願っておられた先輩方の顔です。32歳という若い私に庭球部を託していただいたということ、長く信じ続けてくださったことに対して、ようやく結果で恩返しできたかなと。学生たちが泣き崩れていたことにも心打たれました。
——慶應チャレンジャー大会が行われていましたが、世界に「この大会は『日本一』の学生が運営している」と胸を張れますね!
そうですね。出場している選手たちからも慶應庭球部の結果を聞かれることが多いので、日本一と言えることは誇られしいですね。大会運営を通して、チームワークやリーダーシップなどを学ぶ機会になりましたし、何よりウインブルドンなどで活躍する選手たちと実際に打ち合ったり、インタビューでなかなか聞けない話を聞くことができたり、学生たちの目線が上がるきっかけや気付きがあるのは、本当に感謝です。大会をスタートした2007年当時から紆余曲折ありましたが、ここまで継続できたことは大きな財産です。
——印象に残っている試合はありますか
高木のシングルスですね。今シーズン大きく成長しました。王座決勝でも相手の小泉君は高校総体優勝の強敵でしたが、完勝でした。団体戦では絶対に負けないという気持ちが伝わってきました。あのメンタリティはチームに大きな力を注入してくれました。
——最後は菅谷選手が決めてくれましたね
最後のタイブレークもしびれる展開でしたが、最後のマッチポイントを握った時にも冷静でした。これまで王座決勝で11回負ける経験を通して、「極限のプレッシャーの下でどのようなプレーができるか」をテーマに取り組んできたので、準備通り実践してくれました。春の早慶戦のダブルスでもマッチポイントで3回ダブルフォルトがあって、マッチポイントの難しさっていうのは、相当みんなで話し合って意識してきました。みんなで準備してきたマッチポイントでのプレーの準備っていうのを体現してくれたと思います。本当にみんなの気持ちを、準備してきたことを実践してくれたことを誇りに思いますし、だからこそ勝負強いチームになれたんだと思います。
——準決勝、相手に押されながらも、最後は藤原選手が勝負を決めてくれました
藤原はキャプテンでありインカレチャンピオンであり、頼れるエースなので、やってくれると信じていました。2年生でインカレチャンピオンになり、周囲から向かってこられるプレッシャーと戦い続けた経験を生かしてくれるとも考えていました。もし負けたら自分の責任だと腹をくくっていた部分もあったので、思い切ってやって欲しいなという思いだけでした。同じ4年生の林と今鷹の存在も大きかったと思います。
——眞田選手も初戦に出場しました。充実した王座を経験したのではないでしょうか
眞田は将来の間違いなくエース候補なので、もちろん決勝に出るイメージもありましたけど、その眞田が決勝、準決勝で出れないぐらいの競争力がこのチームにあったっていうことです。これまでにない厳しいトレーニング、韓国遠征、ナショナルトレーニングセンターで錦織選手をはじめとしたナショナルチームメンバーとの練習、慶應チャレンジャーでは対戦したこともない海外の選手と対戦したり、人間的な幅を広げるための様々な試みをやったり、本当にやれることはこれでもかというくらい経験してきました。誰よりも違う経験をして、誰よりも競争力を持って、競争心を持っていけば、どんな選手も強くなっていけると思います。あとはそこを支えるメンタリティ、バイタリティという大事な柱をチームが大切にできること。そのバイタリティ精神のもと経験と競争力を作れたというのは、チームとしてはすごく大きかったと思っています。監督の仕事はその環境をしっかりと整えることでした。
——今年の勝因としては、やはり競争力があったというところですか
基本となるのは日頃の練習とトレーニングです。そして何よりチーム内での思いやりや愛情というものが浸透していることも大きな要素です。ただ強いだけじゃなくて、チームの中でメンバー選手とメンバー以外の選手が分け隔てないこと。例えば、早慶戦の交流試合のように、メンバー以外の選手も早稲田と戦える機会があり、そこをメンバー選手が応援し、苦しい局面にも向き合い頑張り続けている選手たちが浮かばれるという正のサイクルです。負のサイクルにはまってしまうと、言い訳したり、逃げたり、自分でやらずに人に指示だけ出したり、周囲に悪口や愚痴を言ったりと負の泥沼に入り込んでしまいます。正のサイクルにチームを持っていけたのは、みんなが正しく意識して取り組んでくれた成果です。バイタリティーをもって正のサイクルに導いてくれたことが何より嬉しいです。
——早慶交流庭球試合はコロナ禍がきっかけで始まったのですか
コロナ禍、当時4年生の丸山が提案してくれて、「ぜひやろうよ」ということで早稲田側にも提案しました。メンバー以外の選手も早稲田で戦えるそういう機会を作ったというのはチーム力を高めるためにも、ものすごく大きな力になったと思います。今年の春の早慶交流試合でも、常世田と藤岡のダブルスがファイナル10ポイントタイブレークになって、メンバー選手たちをふくめてみんなが応援して勝利するということがありました。あの雰囲気を感じた時に、このチームは「今年いけるな」と感じたのを覚えています。
——コロナ禍での入学を乗り越えた4年生たちが、庭球部生活を最高のフィナーレで締めくくりましたね
今でも忘れられないのは、王座の1週間前に副将の林が全部員が集まる集合で4年生に対して、まだまだやれることがあるんじゃないかっていう檄を飛ばしていたことです。ピリッとした気持ちでその集合を聞いていましたが、自分たちから危機感を持って動けるチームで、ものすごく成長したチームだなと感じました。4年生を中心に学生たちが積み上げてきこのチームは、テニスの神様から応援してもらえているなと確信しました。掲げてきたスローガンであるバイタリティ、生命力、躍動感を最後の最後まで大切にしたからこそ、結果がついてきたのかなと思います。結果は出すものではなく、ついてくるものだと改めて感じました。
——これから追われる立場になりますが、どう戦っていきますか
11回決勝で勝てない経験をして、どうやったら勝てるかということをずっと試行錯誤してきたわけですけど、今回どうやったら勝てるかというのが、言葉にできない部分もありますが、勝ったからこそいろいろ感じたというか、得た経験っていうのがあります。やっぱり優勝した者にしか分からないこと、チーム内にチャンピオンのメンタリティというものが蓄積されていくと思います。みんなでもがいてもがいて、先輩たちが悔しい思いして、試行錯誤してやっと掴んだチャンピオンのメンタリティを大切にしてほしいと思いますね。追われるというものももちろんありますが、結論としては「自分たちのやれることをやっていく」ということに他ならないので、そこに集中していくということだと思います。
——読者にメッセージをお願いします
いつもご声援をいただきまして、本当にありがとうございます。今回の王座優勝に満足することなく、これからも「祝福される勝者」を目指して参ります。これからも慶應庭球部をよろしくお願い申し上げます。すべての関係者の皆様に、日頃から応援を頂いておりますことを、心より御礼申し上げます。
♢原荘太郎 助監督
——優勝おめでとうございます
ありがとうございます。
——王座を振り返っていかがですか。
男女でいけなかったというところは悔しさがありました。男子のみで第1シードでしたし、これまで早稲田さんがそこのポジションにいたので、今年はチャンスだと思い何としても(王座を)取りたいと思って臨みました。結果王座を取れたのでほっとした気持ちと、終わってみて反響がかなり大きく、いろんな方におめでとうと言っていただけて本当に良かったなと思っています。
——王座の中で印象に残っている試合は
ダブルスで3−0をのリードをつけているところが大きかったかなと思っています。一番怖かったのは、準決勝のときに少し悪い流れの時間帯がシングルス中盤のところです。ここはオーダー通じて本当に危なかったなと思います。決勝で印象に残っているのはダブルス1で、林と高木のペアが格上の相手に団体戦の中でストレートで勝ってくれて、シングルスも高木がインターハイ優勝経験者の小泉選手に対してストレートで勝ってくれました。最後菅谷が本当に緊張する試合、タイブレークになったのですが春の早慶戦でもダブルスでマッチポイントで何回もダブルフォルトしたりという修羅場をくぐっていたので、そこをまたくぐったっていうのもすごく印象に残っていますね。
——高かった壁に跳ね返されてきました。それを乗り越えての優勝です
今回王座に臨んだ中でこの1年だけじゃなくて、10年以上の流れの中で一番王座優勝にノックし続けていたのは慶應、というのはもう自信を持って言えたので、そういう意味ではノックし続けることが本当に大事だなと感じました。
——準決勝は藤原選手が決めてくれました
このチームは藤原と林の柱が大きかったと思います。藤原に関して言えば、彼は高校3年生のときに、高校の個人戦のタイトルはインターハイ・全日本ジュニア・全日本ジュニア室内の3つ全てを優勝し慶應に入ってきました。ただその代償として手首の大きい怪我をして、苦しい時間がありました。ただそこで彼は勇気を持って手術の選択をして、そこに慶應病院がバックアップしていただけるということで、慶應病院の佐藤先生にものすごく丁寧に手術をしていただきました。1年生のときは手首をまずは手術して乗り越えること、そこで印象的だったのはコートの後ろのスペースで、粘り強く足腰のトレーニングを地道にやりながらリハビリしていましたね。1年生の12月にインカレインドアでタイトルを取って、2年生のインカレ優勝も大きくそこでもう一度自信を取り戻した。一方で、その2年生の王座で早稲田さんと勝負がかかった場面で藤原が負けて、試合で本当に泣き崩れたのはすごく覚えています。そこでの本当に王座に対する最大の悔しさがあったので、3年生、4年生以降も成長が続いたと思います。
——助監督になられた経緯
2006年の時に大学4年生だったのですが、その年に坂井監督が就任されて、いわゆる私は坂井監督の教え子1期生という形です。その後私はサラリーマン生活2年間を送り、その間も土日でコーチをまず2007年から2010年までやりました。2010年からフルタイムで部に関わることになり、そこでヘッドコーチになります。2022年から助監督になり、今があるというような流れになります。2007年からずっと関わらせていただいています。
——練習中はどのようなご指導を
時期によりけりで、全体を見るときもあれば個別のコートに入っていくときもあれば、どういう時期によるかで決まるかなと思います。
——原さんにとって「よりよき部」とはどういう部ですか
これは難しいテーマですが、体育会なので「勝つために」っていうのはすごく大事だと思っています。仲良く気持ちよくやるとかにベクトルが向くときっていうのは一見、よりよき部に見えて、体育会としては違うかなと思っています。体育会としてのより良き部は、全員が勝つっていうところから逃げず、みんなの目標がベクトルが一致していく、これが大事なのかなと思います。
——学生の選手と接する上で意識していることは
いわゆる金太郎飴のようにどの部分も同じという考えは慶應のテニス部としては求めていなくて、その人の個性とか、強みがあるっていうことがすごく大事かなと思っています。やっぱり特徴がある選手じゃないとチャンピオンにはなれないというのは、10年以上の中で感じていることです。
——「VITALITY」がスローガンでしたが、このチームの戦いぶりを振り返って
バイタリティというスローガンは、幹事が男女決まったときにいろいろ議論をして出てきた言葉で、これは毎年同じ環境で同じコーチングスタッフであっても、スローガンは変わります。本当に良い言葉を選んでくれたなと思っています。4年生以下もそうですけど、特にこの4年生の代はエネルギーがある人たちがすごく集まっていて、エネルギーがある人という意味でもバイタリティもそうですし、慶應の場合はスポーツ推薦枠が無いので戦力的には他の大学にも劣る状況が出てきます。そのときにエネルギーが無かったらノーチャンスになってしまうので、そういう意味でもすごく慶應にマッチするキーワードだったんじゃないかなと思います。
——チームを支えてきた4年生にかける言葉は
本当に「お疲れ様」の言葉と感謝しかないです。王座を目指す上で修羅場を経験した人は、必ず社会に出てからもその経験が絶対に活きるので、そこは財産になるということを伝えたいと思います。
——来年に向けて
女子が昨年まで2連覇していて、今年の男子の優勝で3年連続日本一にはなっていますが、片方ずつということで、まずは男女で日本一になるっていうことを目指したいと思っています。ただ男子の場合、今年の女子が経験したように、エースが抜けるということと、特に林はチームプレーヤーでしたけど、そのチームプレーヤーの柱が抜ける大変さというのは今年の女子ですごく味わってきたことです。そこをなめずに今年以上の努力をしなければいけないと思いますし、女子も本当に今年は大混戦で、その中であと1ポイントの重さというのを悔しさとともに味わったので、そこに向けてチャレンジしたいなと思います。
——最後に読者の方に何かメッセージをお願いします
慶應スポーツ新聞会の記事を通じて応援してくださった方、実際に会場に来てくださった方、こういう応援の力というのはコロナ禍を終えて、ますますすごく大きいなというのを実感してます。本当にそこに感謝していますし、自分たちも応援されるチームを目指すので、ぜひまた記事でも会場でも、慶應の応援をしていただけたらすごく嬉しいなと思います。
小林寛和 トレーナー
——王座優勝の実感は
いろいろなテニス関係の人と会うたびに「王座優勝おめでとう」といまだに言われます。本当に選手たちはとんでもないこと成し遂げてくれたんだなと感じています。
——菅谷選手が優勝を決めた瞬間のお気持ちを教えてください
もううれしすぎましたね。僕は選手トレーニングコーチなので、選手がやりたくないことをやらせなきゃいけない立場です。僕の立場は本当につらいことやらせるという立場で、結果が出なかったら責任を感じたりすることもありました。今回優作(=菅谷)が勝ってチームが勝ってくれたことは、本当にうれしさというか、それ以上のものがありましたね。
——最後に選手・監督の涙を見て
特に監督は背負っていたものが相当すごかったんだなと。僕は関わって5年ですけど坂井さんはもっと長いので、とんでもないプレッシャーの中でやっていたのだと。かつ、それに携わらせてもらっているというところは、かなり光栄なことだと感じましたね。
——普段はどんなことを意識していますか
意識していることとしては、世間の流行に流されないというところです。どれだけ普通なことを続けるかを意識しています。一時流行りで特殊なことを結構やっていた時期がありましたがうまくいきませんでした。どれだけシンプルで普通のことを地道に続けるか。それは選手にとって本当にしんどいことです。どれだけシンプルでつまらなくて普通のことを続けられるかを意識していましたね。
——普段は具体的にどのようなトレーニングを
すごく大嫌いなのは、テニスコート2面分を10往復走るんですよ。それ8本とか練習終わった後に消化します。それで80往復です。
あとは蝮谷(テニスコートがある場所)の階段を50本やったりとか。すごく長くて地道で多分選手たちが嫌いなトレーニングになるのかなと思います。それだけじゃなくてフットワークのトレーニングもやります。大体週に2回筋トレをやって、週に2回長い距離走ったり階段(ダッシュ)をやったりします。そして週に1回フットワークのトレーニングをやっているっていう感じですね。
——選手の反応は
文句しかないですよ(笑)。やっぱりやりたくない。ただ、始まったらみんなちゃんとやるので、さすがそこが選手たちは頭の良さ、頑張りだなと思います。始まったら引けないので、そういった忍耐強さとかも、今回の結果につながったのかなと思います。
——練習中について
もともと専門が野球なので、選手たちの技術やテニスに関することには一切触れないという自分の中でのルールがあります。
——野球が専門だったとのことですが、野球とテニスの違いは
テニスに関わるとなったときに、テニスは紳士のスポーツってよく言うのでそのイメージでしたが、圧倒的に違うなと感じたのは、試合の長さ・過酷さです。1人で戦ってく必要がある。トレーニングも野球は一瞬一瞬。はテニスずっと攻撃してずっと守備していると思います。それが長い試合だと4時間とかかります。
トレーニングもそれこそ野球だったらシンプルなことを淡々と、ということは少ないですが、テニスはちょっと段違いだなと思っています。
——テニスは試合時間が長いですよね
そこは理解するのにかなり時間かかりましたね。ただ、関西のリーグとかは得失点差で王座に行けるか行けないか。だから全員試合することがどれだけ大事かということは痛感しましたね。
——慶大テニス部はどんなチームだと感じますか
すごい個性が強いですね。
——トレーニングをしていた目立つ選手はいますか
林ですね。他の選手はもちろん頑張っているのですが、林がトレーニング雰囲気とか、引っ張ってくれていたということは僕としてはありますね。
——林選手の試合を見て何か感じましたか
確実に1年生のときよりパフォーマンスが上がっています。動きもそうだし、パワーもそうだし1年生のときと比べてだいぶ伸びました。やっぱり慶應の選手は本当に、頭が良すぎるぐらいの集団なので、1聞いても10理解する選手が多いですね。
——トレーニングを指導する際のやりがいを教えてください
やっぱりその試合が終わった後の選手の反応ですよね。走って試合が終わった後にも「全然力余っています」とか、「走れるようになりました」という言葉を聞くと、やっていて良かったと感じます。5年間いる中で全部がうまくいってなかったので、過去の失敗を元にいろいろ取り組んだ結果が今年の優勝だったと思います。
——トレーニングコーチとしてどんな1年にしたいですか
今年と同じことやってもしょうがない。さらにレベルアップするためには、昨年よりも今年、今年よりも来年と、強度などレベルアップをしていく必要があるかなと思います。
——ケイスポ読者へ一言お願いいたします
現地に来て試合を見に来てほしいですね。僕も野球という立場にずっといましたが、実際にテニスを見ると迫力が素晴らしいものだと感じます。ぜひ見に来てください。
♢坂井利彰(さかい・としあき)慶應義塾高校、慶應義塾大学庭球部OB。卒業後、一度は民間企業に就職するもテニスで世界を舞台に戦いたいとプロ転向。全豪オープン予選に出場するなど活躍した。2006年より庭球部監督
♢原荘太郎(はら・そうたろう)慶應義塾湘南藤沢高等部、慶應義塾大学庭球部OB。卒業後は会社員として働きながら週末コーチを務め、2010年よりフルタイムでのコーチとなる。ヘッドコーチを経て、昨年より庭球部助監督
♢小林寛和(こばやし・ひろかず)東海大学体育学部出身。在学時は学生トレーナーとして硬式野球部に携わる。大学途中で女子テニスのトレーニングをサポートすることに。卒業後はテクノジムジャパン株式会社に就職。その後慶大庭球部のトレーニングコーチを務める
(取材:長沢 美伸、野上 賢太郎)