【フェンシング】「私がオリンピックを目指す理由」 宮脇花綸選手 オリンピアンインタビュー②

フェンシング

慶應義塾體育會からはこれまで数々の塾生が世界へと羽ばたき、そのプレーで多くの人々に勇気と感動を与えてきました。今年8月に開催されたパリ五輪にてフェンシング女子フルーレ団体で史上初の銅メダル獲得に貢献された宮脇花綸選手もその一人です。宮脇選手は慶大フェンシング部のOGであり、在塾時から国内外の大会にて活躍されてきました。ケイスポでは、12月8日に行われるフェンシング早慶戦を前に宮脇選手にインタビューを行いました。

 

第2弾となる今回はパリオリンピックの振り返り、そしてオリンピックに対する思いを伺います

パリ五輪女子フルーレ団体・銅メダルメンバー (左から宮脇・上野・菊池・東)

 

Q:宮脇さんがオリンピックを本格的に目指し始めたのはいつからですか?

宮脇:オリンピックを意識し始めたのは高校1年生の時でした。3年後のリオリンピックが開催されるということで、初めて本気で挑戦してみようと思って練習するようになりました。ただ、その時はメダルを獲るとかではなくて、出れたらいいなぐらいの気持ちでした

 

 

Q:学生時代から国内外で実績を残されていた中で、リオ五輪、そしてその次の東京五輪はともに出場を逃してきたと思います。その時期はどのような心境だったのでしょうか?

宮脇:高校2年生の時に2020年に東京五輪招致が決まってから、私にとって東京五輪は自国開催ということもあり人生の大きな目標だったので、そこを逃してしまったことは本当にショックでした。2大会連続だったので、「一生オリンピックに出られないんじゃないか」と当時は思っていました。生半可な気持ちで挑んでいたリオの時とは違って、東京の時は出来ることを全てやって出場権も目前にあった上での落選だったので。

 

 

Q:オリンピック出場を目指す上で努力してきたことは?

宮脇プレーにおける攻撃の引き出しを増やすことです。私は体格的にはあまり恵まれていなくて、特に背の高い相手に攻撃することが難しかったので、以前まではディフェンス重視で相手の出方を待って時間を使いながら戦うプレースタイルでした。ただ東京五輪の後、壁を破るには攻撃も試合の一部として組み立てられるようになった方がいいってコーチと話したんです。その際に教えてもらったのが“フレッシュ”という走りながら相手の懐を突く攻撃です。攻撃時の選択肢が増えたことで、試合中に状況に応じて攻撃・防御をバランスよく使い分けられることが新しい強みになったと思います。

捨て身の攻撃でもある”フレッシュ”

 

Q:二大会連続の落選を乗り越え、パリ五輪では代表内定を果たしました。内定が決まった時の率直な心境は?

宮脇:嬉しかったですしホッとしましたけど、一番に思ったのは“出るだけで終わりたくない”ってことでした。リオや東京五輪の頃であれば、初のオリンピックに出場できることへの高揚感や満足感が大きかっただろうなと思うんです。ただパリ五輪の場合は、個人としては初のオリンピックでしたが、チームとしては本当にメダルを狙える戦力がありました。なので、代表に選ばれたことに安心するのではなく、チームの目標である“メダル獲得”に貢献するまでが私にとってのパリ五輪なんだ、と自分に強く言い聞かせていました。

 

 

Q:実際にオリンピック会場に足を運んだ際の率直な感想は?

宮脇「こんなにたくさん観客が入るのか」っていう驚きが率直な感想です。会場がグランパレというフランスの歴史的建造物ですごく綺麗だったんですけど、そこの観客席の数が凄かったですね。中央に試合をするピストがあって、両側に観客席があったんですけど、その座席が壁みたいにバーっと仮設で組み上げられていて、ライブ会場の3階席ぐらいまであったので、そこは一番印象に残っています。

パリ五輪フェンシングの会場となったグランパレ

 

Q:宮脇さんは今大会ではフルーレ種目・個人戦/団体戦に出場されました。今大会を振り返っていただけますか?

宮脇:まず最初に迎えた個人戦は、初めてのオリンピックだったこともありやっぱり緊張してました。試合前にいろんな人から「緊張しないで楽しんでね」って言われて、その通り“楽しもう”と思って臨んだら、1回戦敗退で逆に緊張感なく終わってしまったんです。なので、団体戦ではもっと緊張感を持ってやろうと思いました。そもそも今大会は、個人戦はもちろんメダルが獲れたらいいけど、本命は団体戦だということも自分の中で分かっていました。その思いが強かったので、負けた当日はすごく落ち込みましたけど、翌日からは割とスッと気持ちを切り替えられたと思います。

 

 

Q:団体戦の戦いの中で最大の山場はどこでしたか?

宮脇カナダとの3位決定戦だったと思います。今までの対戦成績は日本がかなり上回っていましたがいつも接戦でしたし、その試合でカナダは個人戦で銅メダルを獲った選手がアンカーに控えていたので、勝算は五分五分でした。さらに言うと、団体戦ではリザーブ(4人目として控える選手)は3番手と交代しないとメダルを貰えないんですけど、カナダは結局最後まで選手交代を行わなかったので、「本気でメダルを獲りに来てるぞ」と思って…。スコアも33対32と1点差だったので、本当に最後の1本までドキドキする試合でした。

 

 

Q:銅メダル獲得が決まった瞬間はどんな心境だったんですか?

宮脇:ようやく報われたというのが率直な思いです。20年以上フェンシングと向き合ってきて、自分の中で何かを成し遂げたいとずっと思ってきました。それがパリでようやく結実したので、ここまで頑張ってきてよかったなという気持ちでした。

「ここまで頑張ってきて本当に良かった」(宮脇・写真右)

 

Q:団体戦にはどのような意識で試合に臨んでいたのですか?

宮脇:2つ、この3年間目標にしてきた役割があります。

1つは、穴にならない3番手になることです。東京五輪のときから上野(優佳)選手、東(晟良)選手という世界のトップ選手が2人揃っていたので、3人で戦う団体戦では3番手の選手が確実に繋ぎのプレーが出来れば次のパリ五輪ではメダルが狙えると思っていました。なので、自分がその3番手となりチームの勝利に貢献することを目標にしていました。

もう1つは、劣勢時にチームの雰囲気を変える選手になることです。女子フルーレチームはすごく強いんですけどまだメンバーが若くて、苦しい状況でも、特に東京オリンピックの時とか、粘って相手に食らいついていくことが中々みんな出来ないチームだったんです。“10点負けていても、そこから10点ひっくり返せるようなチーム”になるためには、ゲームチェンジャー・チームの起爆剤となれる存在が必要なので、そんな選手に自分がなることを意識していました。

「チームを勢いづける3番手になることを心掛けてきました」(宮脇・写真左)

 

Q:宮脇さんが思うフェンシングにおける個人戦と団体戦の違いとはどのあたりにありますか?

宮脇:やっぱり団体戦の方が心強いですね。団体戦では上野選手というチームでアンカーを務めるエースがいて、彼女まで繋げば絶対勝ち切ってくれる安心感があるので、気持ち的にすごく楽です。一方で個人戦は最初から最後まで全て自分で試合をするわけで、序盤の組み立てもそうですけど、特に最後に一本獲り切る場面が一番難しいところだと思います。その点団体戦では、役割分担しながら出来るという意味でとても有難いです。

 

 

Q:パリ五輪を通してオリンピックに対する自身の価値観に変化は何かありましたか?

宮脇:今回出場して初めてリンピックという大会の価値を身を持って実感しました。それまでは漠然と「オリンピックって大きな大会だな」ぐらいにしか思っていなかったんですが、開会式から試合本番と過ごしていく中で、JOCの力の入れ方や選手1人1人の大会に懸ける思い、あるいは世界中からエールを贈ってくださる方々の存在を肌で感じて、オリンピックには想像よりもはるかに多くの人達の思いが詰まっているということがわかりました。

「オリンピックの価値を実感した大会でした」(宮脇・写真左)

 

Q:宮脇選手はなぜオリンピックに対して強い思いを抱いているのですか?

宮脇:まずはやはりオリンピックが選手にとっては段違いで規模や格式の高い大会だからです。オリンピックは世界選手権や他の大会と比べて、会場の観客数・熱気、あるいは応援して下さる人の数など全てにおいて段違いなんです。他にも、フェンシングという競技はJOC(日本オリンピック委員会)に属していて、結局はIOC(国際オリンピック委員会)がオリンピックで得た助成金がJOCに分配されることで、今の私たちの活動が成り立っているわけなので、それが選手や大会関係者の原動力になります。また、オリンピックとは単に勝ち負けを決めるだけではなく、世界中の人たちが集まり平和実現に寄与するための大会でもあるので、国際交流的な意義も大きい大会です。そういう意味でオリンピックとは他の大会とは比べ物にならないほど選手・世間にとっても大きな意義を持ちます。だから私はオリンピックを目指すんです。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。最終回となる次回は宮脇選手の競技人生、そしてスポーツに対する思いに迫ります!

以下の記事も是非ご覧ください!

【フェンシング】「悔いのないプレーを」宮脇花綸選手 オリンピアンインタビュー① | KEIO SPORTS PRESS

 

【お知らせ】

第77回フェンシング早慶戦が12月8日に早稲田大学・戸山キャンパス早稲田アリーナにて開催予定です。ぜひ皆さん会場で選手たちに声援を送りましょう!

 

(記事:竹腰環 写真提供:日本フェンシング協会)

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