【Last message】”同期のために” その選択を最高に/4年生特集「Last message〜4年間の軌跡〜」 No.10・菊田凌万(ソッカー部男子)

ソッカー男子

24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡~」。第10回となる今回は、ソッカー部男子グラウンドマネージャーの菊田凌万(商4・桐朋 / 東京武蔵野シティFC U-18)。ラストシーズンでは念願の「2部優勝、1部昇格」を成し遂げ、有終の美を飾った慶大ソッカー部。GM(グラウンドマネージャー)として陰でチームを支えてきた菊田。そんな彼のGMとしての原動力と執念について深く迫っていく。

 

兄の影響でサッカーを始めた菊田。幼い頃からボールを追い続け、高校では本格的に競技に打ち込んだ。しかし、高校3年時に訪れたコロナ禍。大会の中止や練習制限により、思うようにプレーができず、不完全燃焼のまま高校サッカーを終えることとなった。「高校時代はやり切れなかった。その悔しさを晴らすために、一番サッカーに打ち込める環境はどこかと考えたとき、サークルではなく体育会ソッカー部しかないと思い、迷わず入部を決めました」と振り返る。

サッカーを始めたきっかけについて語った菊田

高校時代のリベンジを果たすため、ソッカー部で練習に励んでいた菊田だったが、3年時には選手をやめ、GMの道へ進むことを余儀なくされる。GMに就任後も選手として試合に出場したかったかという質問に対しては「なくはなくて(笑)ピッチの外から試合を見てるときに、自分だったらもっとこうしてるのになとか。逆に自分がアンダーカテゴリーで一緒にやってきた仲間とかが関東リーグとかで出場してると、すごい嬉しい気持ちがある反面、自分も同じようにピッチに立ちたかったなという気持ちはありましたね」と答えた。

同期の活躍が原動力となった

2年の春ごろから始まったというGM決め。特に今の4年の代はその決定に多くの時間を要した。夏ごろになりようやく菊田と柳町一葉(法4・慶應志木)に決まった。さまざまな葛藤を抱きながらも、GMの仕事に取り組んだ菊田。その時の原動力となったのはやはり同期の存在だったという。「やっぱり選手の頑張りっていうのが一番大きくて。自分は結構走りが苦手なタイプだったので、きつい走りのメニューとかがあっても走りの時とかは声とかも出せなかったんですけど。自分がGMになってから、外から見る立場になってからよく全体見てみると、本当に選手たちが声を張り上げて盛り上げて、きつい中でも有無を言わずに最後まで走り切っている姿とか。そういった姿を見ると、自分も頑張らなきゃなっていうのは感じました」と語った。

GMという選択は間違いではなかった

そして最後に、同じように選手を辞め、チームのために別の形で貢献することを選んだ者たちに向けて「その決断自体が正解か正解じゃないかどうかっていうのは分からないですけど。実際にやってみて見えることとかも違うし。その正解にするために、自分なりに考えて色々行動して、アクションを起こすとその決断を正解に限りなく近づけさせることっていうのは絶対にできると思うので。悩んでたら挑戦してもすることは全然その段階で間違いだと全然思わないので。正解かになるかどうかはその後の自分次第かなと思うので、ぜひ挑戦してほしいなと思います」と話した。

最高のソッカー部生活だった

ピッチを去る決断を下し、裏方としてチームを支え続けた菊田。迷いや葛藤がありながらも、同期らの活躍を糧にその選択を正解にすることへ努力したその姿は、ソッカー部員に限らず多くの体育会部員に希望を与えたのではないか。GMという役職だからこそ掴んだものが必ずあったはずだ。

(記事:塩田隆貴)

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