24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡~」。第38回となる今回は、野球部の斎藤快太(商4・県立前橋)。1秋からリーグ戦に出場し、3年春の立教3回戦では1本塁打5打点の活躍を見せる。チーム1の守備職人であり、誰よりも努力家であった斎藤の4年間の軌跡を振り返る。
2024年秋の早慶戦。9回、場内に守備交代のアナウンスが響く。「ショート・斎藤快太くん」。最後の早慶戦、スタメンではなかった。しかし最終回、大学野球最後の見せ場がやってきた。「飛んで来い、難しい球飛んで来い」。そう心でつぶやきながら4年間プレーし続けた明治神宮球場のグラウンドに立つ。なぜ野球では「交代した守備のところに球が飛ぶ」とよく言われるのだろうか。このときもまさにその通りだった。早大最後の打者の打球は待ち構えていた斎藤のもとへ。斎藤の鉄壁の守備で最後のアウトを奪い、リーグ戦首位・早大を相手に、慶大は早慶戦第1戦の勝利を掴んだ。

斎藤快の堅実な守備で早慶1回戦を締めた
斎藤は幼いころから父親とキャッチボールをし、家のテレビではいつもプロ野球中継が流れているという野球に囲まれた環境で育った。そして進学校である県立前橋高校から一般入試で慶應義塾大学に合格し、慶大野球部に入部した。1年秋からリーグ戦出場を果たし、なにより斎藤の持ち味といえば安定した守備。チームメイトから「すごい守備が上手いやつが入ってきた」と言われるほど、下級生のころからピンチの場面を何度も救い、まさにチームにとって守備の要だった。

チーム1の努力家であり、守備職人
4年生になると副将に就任し、「チームの模範になる」ことを意識した。野球面だけでなく、生活面でも当たり前にできることを完璧にし、手を抜きたくなるような場面でも手を抜かず全力で取り組む。その姿を周りに見せることで、チームに良い影響を与えようとした。

副将・水鳥とともにチームを引っ張ってきた
1年からリーグ戦出場を果たし、スタメンを何度も経験してきた斎藤だが、この4年間、常に順調だったわけではない。大学4年間で最も辛かった試合として3年秋の早慶戦第2戦を挙げる。春季リーグからずっとスタメンで出場していたが、その試合で始めてスタメンを外れた。しかも、その日はいつも応援に来てくれる母親だけでなく、普段はなかなか来られない父親と浪人生だった弟(斎藤開地=新商2・県立前橋)も観戦に来ていた。「スタメンを外れたことよりも、家族全員が見に来てくれたのに活躍する姿を見せられなかったことが、本当に悔しくて辛かった」。そう当時の気持ちを振り返る。しかし、両親と弟からかけられた「『野球をやっている』ということ自体がすごいことだから、もっと自信持って頑張れ」という言葉に励まされ、その後の原動力となった。

1年からリーグ戦経験を重ねてきた
副将としてチームの模範となり、“チーム1の努力家“と称される斎藤がなぜどんなときも手を抜かず努力し続けられるのか。「僕は努力していない自分が許せなくて、頑張る、努力するから野球が楽しいと思える。それこそ僕にとっての“エンジョイベースボール”とは、たくさん努力することなんです。楽しいから努力ができるし、努力できる自分でありたいという気持ちが、僕のモチベーションです」と語る。
そんな斎藤が監督からかけられた言葉で一番印象に残っているのは“自分の中でルールを決める”という言葉だ。「ここを全力でやらなくてはいけない」「手を抜いてはいけない」「ここはブレない」など“自分の中でルールを決めて生きる“ことは、野球選手としてだけでなく人として大事なことだと学んだ。この言葉を含め堀井監督のもとで4年間、「心」が成長し、大学野球以前なら辛くて逃げ出していたような場面でも耐えて乗り越えられるようになった。

リーグ戦で打席に立つ斎藤快
斎藤は今年慶大野球部を引退するが、斎藤にとって一番近い存在である弟、斎藤開地は現在慶大野球部に所属しており来年2年生となる。弟に対して「慶應野球部で野球を頑張る価値はリーグ戦で活躍することだけではなく、4年間いろんなことに負けずに自分を磨き続けることにあると思います。弟にはそのまま自分を信じて頑張ってほしいです」と言葉を残した。

兄・快太(写真左)と弟・開地(写真右)
来年からは社会人野球という新たなステージに進む。斎藤が選んだ社会人チームは慶大OBである生井惇己(令5卒)や吉川海斗(令6卒)も在籍している日立製作所だ。「目標はプロ野球に行くことなので、社会人野球ではチームの主力となり、持ち味の守備を見てもらうためにもバッティングを磨いて活躍したい」と意気込む。
最後に斎藤は慶大野球部の4年間を「一言では表せないもの」と締めくくった。
「本当にいろんなことがあったし、自分も変わることができた。たくさんの出会いがあったし、大切な濃い4年間だったことは間違いないです」。
ここまでチームメイトも認める計り知れない努力をしてきた。しかし最終学年では打撃で結果が出せなかったように、思い通りにいかない時期もあったかもしれない。それでも、不調のときでさえ、日頃から当たり前のことを全力で取り組む姿勢を貫き、その背中を同級生や後輩に示し続けてきた。早慶戦第2戦目の試合後、斎藤は明るい表情を浮かべながら、涙ぐむ副将・水鳥遥貴(商4・慶應)、主将・本間颯太朗(総4・慶應)の背中に手を当てる場面があった。この彼の落ち着きと振る舞いはチームにとって欠かせないものだったに違いない。
これから彼は新たな社会人野球の舞台に進む。その先には、プロ野球選手になるという目標がある。どこまで努力を積み重ね、どこまで進んでいくのか。その姿が慶大野球部引退した後も見逃せない。
(取材・記事:河合亜采子)