【競走】「新たなスターの誕生を見届けよ!」石野日向×田口涼太×弓田一徹(前編)箱根駅伝予選会直前特集④

競走

箱根駅伝予選会まであと7日!慶スポでは本番を直前に控えた選手方・スタッフにインタビューを行いました。特集4日目の本日は、石野日向(商2・横浜国際)、田口涼太(政2・慶應志木)、弓田一徹(環2・法政二)の個性豊かな2年生トリオを突撃!慶大競走部に入ったきっかけや駅伝の魅力、予選会本番への意気込みに至るまで、2部構成でお送りします。この記事を読めば、選手たちの新たな一面が見えてくるかもしれません!

プロフィール

(写真左)田口涼太(政2・慶應志木)

(写真中央)弓田一徹(環2・法政二)

(写真右)石野日向(商2・横浜国際)

【慶大競走部に入部した経緯】

弓田:僕は高校生の時に保科さん(保科光作コーチ)から一緒に競技をしていきたいという話があり、AO入試で入学しました。そもそも陸上をするために慶大に入ったので、入部したという感じです。

「陸上をするために慶大に入った」(弓田)

石野:自分は特に(弓田)一徹みたいに保科さんから声がかかったわけではないんですけど、陸上を始めた頃から箱根駅伝が好きで、目標だったからです。いずれ大学に入ったら(陸上を)やるんだろうなという気持ちではいました。入学時に競走部の新歓に行って、色々話を聞いていく中でやってみたいなと思い入部しました。

田口:僕はそもそもあまり陸上には興味なくて、大学では留学しようかなとか、CPA(公認会計士)をとろうかなと思っていました。ですが、高校3年生の時に箱根駅伝予選会を生で観戦して「うわ、かっこいいな」と思ったのと、大学スポーツで一番注目を浴びている箱根駅伝を走って有名になりたいというか。それで箱根を目指そうと思いました。

石野:家族の影響は?

田口お兄ちゃんだね(笑)。一応お兄ちゃん(田口翔太さん・R7卒)がやっていて、楽しそうな雰囲気だなと話を聞いてずっと思っていたので、それも影響していると思います。

──田口選手は、小・中学校では野球、高校ではバレーボールをされていました。陸上を選ばれた理由は?

田口 元々(陸上は)苦手ではないという感じで。小学生の時からお父さんに走らされていたので、苦手意識はありませんでした。大学はどの競技もレベルが高いじゃないですか。野球、バレーを見ていても強いから、自分の可能性を一番広げられるのは陸上ではないかと考えました。

あとは、父も慶大競走部のOBで、その影響もあるけど、やっぱりお兄ちゃん。高校3年生の時に見に行った予選会はちょうど100回大会でした。ちょうど慶應もそのころ、調子が良いからという感じで(お兄さんに)すごく誘われて。何回も断ったんですけど、お兄ちゃんが引かずに誘ってくるから「(大会に)行ってみるか」という感じで行って、(気持ちが)変わったんです。それがなかったら、多分今世界に羽ばたいていたりするかもしれない(笑)。夢は総理大臣なんです(笑)。

──お兄さん(田口翔太さん)は、昨年まで同じ慶大競走部に所属され、予選会にも出走されています。田口選手にとって翔太さんはどういった存在ですか?

田口:お兄ちゃんは、お手本のような存在です。高校も一緒なんですよ。お兄ちゃんが高校受験するとき、僕は小6で。慶應志木高にお兄ちゃんが行って、「慶應に僕も行かなきゃな」っていうのがありました。競走部もお兄ちゃんが入って、僕も入るみたいな。だから、自分に結構強大な選択肢を与え続けてくれています。悩んだ時に一番相談しやすいのもお兄ちゃんです。

──石野選手は、中学校まではサッカーをされていました。箱根駅伝を目指すようになった経緯を教えてください?

石野:そんなにはっきりとは覚えてないんですけど、小学校の時、学年の小さい駅伝大会みたいなのがあって。そこで毎年2番だったんです。“みんなより走れるのに、あの子には勝てない”みたいな感じ。それが悔しくて。結構負けず嫌いなので、ソイツに勝ちたいなと思って走り始めたのがきっかけです。

それと単純にサッカーがそれほど上手くない、足首が硬いので(笑)。サッカーがチームスポーツだったのもあって、陸上をやるならチームスポーツがいいなと思っていました。

あとは、長い距離を走るのが得意だったので。(箱根駅伝は)家から(直接)見れるんですけど、自分は結構“その一瞬を区切り取る”っていうよりは全体を見たい派で。結構マニアなので、深いところまで見るためにテレビで毎年こたつに入りながら見ていました。

「負けず嫌い」(石野)

──陸上を始めた高校は部活動があまり盛んではなかったとのことですが、それでも競技を続けることができた原動力は何かありましたか?

石野当時は、走りたい時に走って、走りたくない時は走らないような環境だったんです。高校から本格的に始めたので、走れば自己ベストが出るみたいな状況で、ベストを出すためにどうしたらいいんだろう」って考えて毎日活動していました。

あとは、(弓田)一徹とかは入賞するような選手でしたけど、そういった選手たちと走る機会はあんまりなかったので、いい感じに「井の中の蛙」だったなと。横浜市の小さい大会では優勝したりしていたので、そういった成功体験がモチベーションでした。

──弓田選手は、シード権常連校でもある法政大学の付属高のご出身です。法政大学で競技を続けるという選択肢はありましたか?

弓田:なかったです。元々陸上を高校でやめようと思っていたのですが、保科さんに声をかけられて。保科さんに誘われたってことは、慶應チームに僕が必要とされているって思ったんですが、別に法政大学に僕が必要かって言ったらそんなことはないかなと思ったんです。だったら別にやらなくていいかなって思っちゃうタイプで。法政に対するリスペクトはもちろんありましたが、当時は慶應じゃなかったらもう(陸上を)辞める気で受験したっていう感じです。

田口:じゃあ仮に受かってなかったら何してた?

弓田:今はもうバイト(笑)。

「慶應のチームに僕が必要」(弓田)

【高校と大学の部活動における違いについて】

田口:高校は顧問がほとんどいないような中で、楽しくバレーをしていました。キャプテンだったので、自分がやりたいようにみんなと楽しさだけを追求していました。例えば、練習も紅白戦ばかりみたいな。今は辛い練習ばかりなので、高校生の時の方が楽しくやっていたイメージがあります。

石野:自分の高校はあまり部活動が盛んではなかったので、朝5時に起きて朝練➡午後練の生活を週6日こなすというのはタフで、最初は慣れるだけで大変だった記憶があります。高校の頃は長くても5000mしか走らなかったのですが、大学陸上となるとハーフマラソンを走り切らないといけないので、ジョグの量に慣れるのに時間がかかりました

「今は辛い練習ばかり」(田口)

弓田:自分は高校生の時、陸上部としては県内でもトップレベルの強豪校にいました。部員数も多くて、顧問も3、4人いて、それぞれのブロックで言われた練習を淡々とこなす部活動をしていました。大学では自由な時間があって、授業の履修によって練習に出れる日/出れない日があるので、いかに自立して練習を行えるかが大きな違いだと感じました。

「慣れるまで大変だった」(石野)

【今シーズンのこれまでの調子について】

弓田:僕は3月、4月にPB(自己ベスト)を4連続くらい更新できました。関東インカレの参加標準を切っていたのですが、アキレス腱の長い故障をしてしまい5月、6月が走れなくて、そこから直近の9月、10月もなかなか走りがうまくかみ合っていない状況です。正直、今年は状態があまり良くないのですが、春先に走れていた時の感覚を思い出して如何に状態を上げられるかというところが今の課題かなと思っています。

──弓田選手は、春の六大学OPでは5000mで自己ベストを30秒以上更新されています。大幅に更新できた要因は?

弓田:その頃、結構練習とか足の状態も良くて、その前にPBを2回、ハーフマラソンと1500mで更新していて。スタートラインに立っている時に、「自分は記録が出せる」って条件だったらその記録を出す自信があったので、その条件が整っていた時期だったのかなと思います。「30(14分30秒)切りはいけるな」って想定できていて、そこから応援とかその場の雰囲気でちょっと上ぶれたかなっていう。

石野:あと、俺のおかげだよ。

弓田それもある。僕、その時この3人の中だと10000mと5000mは一番速くて、5000mは(14分)53秒で。(石野)日向には抜かされることはないと思っていたのに、(石野が)僕の2つ前の組で(14分)49秒で走って一時的に学年トップの座を奪われて。その時僕の方が一応練習はできていたので、日向が50切れたなら(自分も)いけるかなっていう気楽な気持ちで走れました。

石野やった!

田口:いいな。悔しい。

「日向が(14分)50切れたなら自分もいけるかな」(弓田)

──一方、関東インカレには欠場されていますが、当時の心境は?

弓田:そうですね。当時あまり痛みはなかったんですけど、六大学対抗戦とかの走りはなかなか取り戻せてなくて。もともと怪我は多かったんですが、主要な大会に出れないっていうのが高校も含めて初めてで。その苦しさはありましたが、一応区切りをつけて、今は予選会に切り替えられています。欠場って判断をしたけど、自分で次に向かって進むことができた経験は今後に活きると思います。

石野:僕は、今シーズンは山あり谷ありだったと思います。自分も3月、4月は(弓田)一徹と同じように連続してPBを更新できて、ようやく高校生の時から目標としていた5000m14分台が出て、「今年は調子が良いな」と思っていました。しかし、体調不良や些細な怪我が重なってしまい、その調子を維持することができませんでした。去年に比べると、3月から継続して練習はできていますが、一度離脱をしてしまった影響はあるのかなと思います。

──春先の好調の要因は?

石野:やはり練習を継続できたことかなと思います。去年は夏合宿が終わってから怪我をしてしまって、練習を離脱する期間が長くて、あまり走れていませんでした。調子が戻ってきたのは年明けからです。みんなに「石野、頑張れ!!」みたいな感じでずっと声かけてもらいながら必死に粘っていたら、なんか走るようになってきて、気づいたら結構絶好調になってました。

「怪我をしないことが好調の要因」(石野)

──その後は怪我や体調不良も経験されました。この苦しい時期はどのような心境でしたか?

石野その時期に「結構今年はいけるんじゃないか」って自分に期待してたんですが、体調不良であったり、ジョグ中にコケて怪我をしてしまって。どちらも自分の不注意が原因だったんです。体調であれば、毎日手洗いやマスクするとか、何か対策をできたはずだし、ジョグでこけた際も、ちょうど涼太と一緒に走った時で、涼太が「段差ある、危な」と言った後に思いっきりコケたので、やっぱり爪が甘いんですよね。結構、落ち込んでました。

――落ち込んでいる時に支えとなった存在はいましたか?

石野:寮の同部屋に1年生の後輩がいて、彼は結構ズバッと物事を言ってくれるんです。自分がナヨナヨしていたら、後輩ながらも遠慮せずに言ってくれるので、彼の言葉で「やっぱ頑張らなきゃな」と思えました。印象的だったのは、出会った初日、自分の走りを彼が見に来てて、第一声が「石野さん、膝上がってないですね」で、自分の走りの課題点をズバっと初対面の時に言ってくれたことが印象に残っています。

「走りの課題点を言ってくれた」(石野)

──田口選手は今シーズンのご自身の調子をどのように捉えていますか?

田口僕は、冬場の練習中に疲労骨折をして突然走れなくなってしまいました。4月の頭までずっと練習できていない中、2人は4月の六大学(六大学対校陸上)で自己ベストを更新していて。チーム内で唯一5000m15分台の持ちタイム仲間だった日向も14分台を出したことで、正真正銘のビリという状況になって。そこからはいい感じの焦りが生まれて、出たレースはなんとか全て自己ベストで走れた感じです。

ただ、ちょっと夏合宿はミスっちゃいましたね。夏合宿前にオフがあったのですが、「直後の強度が高めな練習に向けて頑張らなきゃ」と思い、痛みを抱えながらオフ中に走っていたら、足に違和感を感じて。2週間くらい経って完全に走れなくなったので。それ以外は、基本的に前半シーズンは調子が良かったですね。(鈴木)太陽さん(環4・宇都宮)を除いたら、チーム内で一番調子が良かったと思います。

──全てのレースで自己ベストを更新できた要因は?

田口:はい!これ、僕流ジョグですね。みんなにはすごい反対されるんですけど。慶應が箱根駅伝本選にずっと出れていないっていう現状を考えると、「非」常識的な練習じゃないですけど、みんなが思いつかないような練習をした方がいいのかな、という考えがあって。普段みんなは1日25(キロ)から30(キロ)ぐらい、1回のジョグも12kmから15kmぐらいなんですけど、僕は1回のジョグも20kmを3日間続け、1日休んだらもうまた3日間やるという形を実行していました。

みんなには、「怪我するぞ」って言われたんですが、「大丈夫!」とずっと続けていたら、結果が出たので、それが要因かなと思う一方で、本当に夏合宿では怪我をしてしまったので、良し悪しはなんとも言えないです。

「みんなが思いつかない練習をする」(田口)

──冬場に疲労骨折をした際はどのような心境でしたか?

田口:いや、もう最悪、最悪です。僕、去年の予選会終わってから走る気力がずっと沸いてなかったんです。引退した先輩からも怒られて、「もうやめたろうかな」みたいに思っていた時期もあったんですけど、やっといい感じで走れてきた矢先に怪我をしてしまって。みんなも調子いい中で、自分だけ走れなかったので、その時は腐ってましたみんなが朝練ジョグとか補強/筋トレしている中で、僕は部屋で寝ていたりしたので。もうやる気が出ないような状態でした。

──この経験はご自身の競技人生にとって何か意味を持ちましたか?

田口:競技人生はまだ1年半だけど、意味はありました。去年、お兄ちゃんと一緒に箱根に出るっていう目標があって、ずっと前のめりというか、自分の体の言うことは無視して走っていて、体と心がぐちゃぐちゃになっていました。そこで一旦リフレッシュできたから今があるのかなと思います。

 

 後編記事では、夢の箱根路への切符となる「箱根駅伝予選会」への思いに迫ります。

 

(取材:吾妻志穂、片山春佳、鈴木拓己、野村康介 編集:吾妻志穂、片山春佳、檜森海希)

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