慶大の体育会を深掘りしていく連載企画、「What is 〇〇部?」。第32回目は、白いユニフォームを身にまとい、巧みな剣さばきとスピードで人々を魅了するフェンシング部の練習を取材。後編では、主将の小澤祐太(経4・慶應)、そして副将の戸田拓海(医4・慶應)、坂藤秀昌(法4・慶應)の3名にインタビューを行った。
小澤:高校までずっと野球をやっていたんですけど、肩を壊してしまって。でも体育会には入りたいなと思ったとき、たまたまフェンシング部があって、「道場が綺麗だ」、みたいな。でも、フェンシングをやったことがなかったので、最初はマネージャーとして見学して入部したという形です。
戸田: 高校からですね。塾高で始めました。それまでずっと10年くらいテニスをやっていたんですけど、ちょっと飽きてしまって。高校では別のことをやりたいなと思っていました。
坂藤:小学校3年生の時、当時ロンドンオリンピックが開催された翌年ですね。太田雄貴選手という団体戦で銀メダルを取られた選手がゲストで来る体験会に参加した時ですね。

「『背も高いし、左でやるんだったらもしかしたらあるんじゃない』って…」(小澤)
小澤:僕は右利きだったんですけど、他の人とは違って、左でフェンシングを始めたので、大体3か月から4か月くらいかかりました。基礎動作にてこずっていたのかなという気もしますね。僕は右肩を怪我していたので、左利きでプレーせざるを得なかったのですが、左のプレーヤーはそもそも少なかったのでそういった面では有利かもしれないです。
戸田:今のエペリーダーの坂藤(秀昌)くんが中学の同級生で、当時すごく仲が良くて、「あいつ、日本一らしいぞ」って聞いていたんです。「俺の友達が日本一?」って半信半疑で高校に入って練習を見に行ったらOGの方に声をかけられて、気づいたら入部していました。きっかけとしては、坂藤くんの影響が一番大きいです。

「『あいつ、日本一らしいぞ』って聞いて」(戸田)
坂藤:「フェンシング始めてみないか」って言われたんです。そもそも体験会そのものはゴム剣で戦うようなチャンバラ大会だったんですが、僕すごく強かったんです。体験会が終わった時に、太田選手から「フェンシング多分向いている。フェンシングの道具、全身ユニフォーム剣マスク全部家に送るから競技始めないか」と言われて、マジかと思いました(笑)。その時ちょうど何もやってなかったので、オリンピック選手に道具貰ったのだからフェンシングやるかと思って始めました。

「オリンピック選手に道具貰ったのだから…」(坂藤)
小澤:フェンシングは突くイメージがあると思うんですけど、サーブルでは唯一刺さないで、剣で斬る動作があって、斬ることで得点につながるので、そこが特徴だと思います。突かなくてもいい分、動きが1番ダイナミックなのはサーブルだと思っていて、結構ダイナミックな人も多いので、試合展開も1番早いですし、その分初心者の方も面白いなと思ってくださると思います。

戸田:フルーレは攻撃権があるうえで、どう駆け引きをするかという戦術が面白いですね。なかなか広くは動かさず、前にいる選手をずっと追い続けるので、その長い試合の中での一瞬の剣の駆け引きが面白いです。
坂藤:エペの場合、1番ルールがシンプルなことですね。フルーレ、サーブルは、先に手を伸ばして前に出た方にしか点が入らないみたいな、優先権という概念があるんですけど、エペにはそういうのが全くないので、とりあえず先に突いた方が勝ちです。なおかつ、同時に突いたら両方に点が入るので、シンプルが故に難しいとも思います。
小澤:1番見ていて面白いのは、得点を取った後の選手のリアクションではないかと思います。フェンシングを最初に見たときに、ランプが点いたか点かないかくらいでしか多分得点の判断要素ってないのかなと。その中で、最初は選手がどれくらいガッツポーズしているかみたいなところで判断するのが面白いんじゃないかと個人的には思います。
戸田:どうやって点数が入っているのか知っていただきたいですね。まるで攻めていると思っていたのに、相手に点数が入ったりするんですよ。ランプが両方についたときに、こっちだと思ったら相手だったというパターンがあるので、フルーレはやっぱり見ていて難しい。自分もまだ100%ルールが分かるかと言われると分からない(笑)。初心者の方にはやはり、守る技、攻める技、不意打ちの3種類、じゃんけんということを分かってほしいですね。

坂藤:やっぱり剣を持って戦うっていうのは男の子にとっては面白いですよね。少年の憧れだと思うので、剣を持って相手に向かい合って戦うっていう行為自体がまず面白いよという点ですね。剣の長さは同じなので、体格差やパワー、スピードが全てではなく、駆け引きで自分より大きい相手、自分より速い相手に勝つことができるのも魅力だと思います。
小澤:競技人生通してだと、背が高くて左利きって単純に有利だったなと思います。あとは、自分はフォームとかは汚いんですけど、逆にそれを続けていたら自分のスタイルが確立されて、たまたまそれがハマったという点もあると思います。最初の1年くらいは全く勝てなかったんですが、2年生の夏、競技を始めて1年くらいのときに、道場で普段通り練習をしていたら、“何かを掴んだ感覚”があって。そのとき試合形式の練習、15本勝負をしたんですけど、9点か10点くらい連続で取って、「いけるかも」と思ったのはすごく覚えています。

戸田:自分は高校からの7年間ずっと苦しかったです。高校では全然勝てない、大学でも勝てない。どうしたら格上に勝てるのか、ずっと考え続けてきて、この秋から少しずつ勝てるようになってきたんです。
一番嬉しかったのは、高校のインターハイ予選です。死ぬほど練習したのに全然勝てなくて、神奈川も強い地域だったんですが、最終予選まで残って6人中2人が全国。自分は5位でギリギリ逃したんですけど、「よく頑張ったな」と思えた試合でした。
逆に一番辛かったのは大学ですね。特にこの前の団体戦。インカレもリーグ戦どちらも法政大に負けて6位・3位でした。飯村や他のメンバーと4人で本気で勝ちにいって、自分がリーダーとして「負けたら自分の責任、勝ったらみんなのおかげ」と思っていたので、本当に悔しかった。全部自分の責任だと思っています。
坂藤:高3のインターハイですかね。その前年はコロナで中止だったので、その年も開催されるかどうかずっと不透明でした。でも自分ではどうにもできないことなので、もし開催された時に悔いが残らないよう、開催を前提に準備を続けました。結果として大会は実施され、個人優勝できたのは大きな思い出です。

戸田: 正直、両立できているとは言えません。今は人生の99%がフェンシングで、練習の3時間は自分の練習と後輩指導に全てを注いでいます。練習後の後輩との時間や、幹部・早慶戦関連の仕事なども含めると、1日の半分は部活に使っている感覚です。勉強は試験前に必死でやるしかなく、「医学部生として胸を張れるか」と聞かれたらYESとは言えません。ただ、「しんどいことはやる、無理なことはやめる」というポリシーだけは徹底しています。例えばCBT前は数回休みましたが、通常の試験なら練習して帰ってから1〜2時間勉強すればなんとか進級できる。そんな形で4年間続けてきました。

小澤:サーブルは一瞬で流れが変わるので、特にメンタルを意識しています。自分は競技歴が短いですが、“声を出してガンガン攻める”という大胆なスタイルが武器。推薦組の強豪と同じ舞台に立っていることを自分に言い聞かせ、そのマインドとパッションで戦っています。

小澤:フェンシング部の中でも珍しいくらい人数が多い点がまず特徴です。やっぱり66人いるフェンシング部って他の大学ではなくて、他の部活が少数精鋭でやっている中で、うちは応援であったり、競技以外の部分でチーム一丸となって戦えているところが魅力かなと思います。
戸田:フルーレチームの場合、どの大学よりも1番勝つ気持ちと頑張る気持ちがあります。慶大は基本推薦はなしで、他大学に比べて貯金があまりないんですよね。経験値の差を埋めるためには、1回1回の練習に真剣に取り組むしかないということをみんな分かっているし、相手の慢心を突きにいこうと思っています。勝つために大学4年間のすべてをかけるというのが強みかなと思います。
坂藤:エペチームは仲がすごくいいです。もちろん実力者が揃っているのは大きくて、誰かが調子悪い時は他の誰かがサポートをして、チームとしての勝利を掴みに行きます。誰かが調子が悪い時って、仲が良くないチームだと雰囲気が悪くなってしまうと思います。うちはそういうことが全くなくて、団体戦で誰かがボコボコにされて帰ってきても「お前何やってんだよ(笑)」で終わって、「じゃあちょっと頑張ってくるわ」と言ってます。そんな雰囲気作りができているのが、安定して結果を出している大きな要因かなと思います。

小澤:部員が66人もいるんですけど、全員の意見を少しでも汲み取って意思決定できる部活にしたいなっていうのはチームとして意識しています。主将として背中を見せるときに結果を出すことが大事だと思うので、団体戦、個人戦で1個1個結果にこだわって、練習の姿勢も見せるようにしています。

戸田:自分は、昨年に副将/フルーレチームリーダーになったときから、「全員が応援できるチーム」を目指してきました。ただ、それだとチームとしては弱いというパリオリンピック体操日本代表監督の水鳥寿志先生のお話を聞いて、その時に1番いいチームは「選手が他の選手の成長を本気で願えるチーム」だと思いました。それは自分が考えていた応援し合えるチームよりも1個上だなと思っていて、本気で互いにアドバイスできる、自分の弱みも出すけれども、それでも相手に強くなってほしい、そういった具体的なところまで言い合えるようなチームを目指しています。
坂藤: 僕は普段別の場所で練習しているので、部活に来た時は後輩に自分の学びをどう伝えるかを大事にしています。外で得た知識をそのまま持ち帰っても伝わらないので、一人ひとりのレベルに合わせて噛み砕き、分かりやすく共有するように心がけています。
坂藤:エペはこの部活ができて以来、多分1番強いチームになっています。去年のリーグ戦、関東のリーグ戦は3連覇を達成して、リーグ戦の上位が出られる王座決定戦でも優勝し、その後の関カレインカレも団体戦で優勝して4冠を達成しました。今年はリーグ戦で惜しくも一敗してしまい、リーグ戦準優勝でしたが、その後に続いた王座決定戦、関カレインカレは団体戦で優勝。全部の試合で優勝することができているので、チームの結果としては、この上ないくらい良い結果が残せているかなとは思います。
坂藤:全日本学生インカレの個人は、大学3年間は優勝できていませんでした。僕個人としては、小学校の頃から全小、全中、インターハイと頑張って個人優勝してきて、最後大学で取れないのは悔しいなと思っていたので、この試合は何が何でも優勝してやろうと思っていました。決勝戦では序盤大きくリードされたので、苦しいなと思ったんですけど、「このまま負けたら後味悪いな」と思い、気持ちで頑張れた部分が大きかったですね。

戸田:男子はリーグ戦で3位となり、優勝や王座進出に届かなかったのが正直悔しかったです。一方で女子は1部昇格を達成し、良い流れをつくってくれました。春の個人戦は苦戦が続きましたが、地道に取り組んだ結果、関カレ・インカレには20名中10名が出場。これは過去最多で、個々の成長を強く感じています。結果の出にくい競技ですが、この1年のマネジメントと選手たちの努力は確かな前進につながったと思います。

小澤:残っている早慶戦の総合優勝は、まずチームとして絶対に達成しないといけない目標だと思います。個人としては年末に全日本選手権の個人戦があるので、個人戦の引退試合として今までやってきたことを全部出せたらいいなと思います。

戸田:僕の競技人生7年間で一番嬉しいか一番悔しいかが決まるのは早慶戦です。男子フルーレと女子フルーレが総合優勝の鍵を握っているのは間違いなくて、みんなで「絶対2つ勝とう」と言っています。勝ったら今までで一番嬉しいし、負けたらしばらく立ち直れないと思います。早慶戦が全部の答え合わせになると思っています。今年の秋シーズンは、関カレ・インカレともに目標の1個前で全て負けてしまいました。残すは、早慶戦だけです。最後は男女共に3種目全てで総合優勝を目標にします。

坂藤:学生生活の最後に残された試合で、アンカーを務めることになってて、自分が45点目を取り切らなければいけないので、最後に優勝で競技生活をしめたいです。

「」(坂藤)
小澤:他の大学のフェンシング部ではありえないくらい設備も整っていますし、初心者からでも誰でも活躍できるスポーツだと思うので、ぜひ興味のある方は1度体験に来ていただいて、綺麗な道場でフェンシングしましょう。
戸田:慶大のフェンシング部は暖かい空間です。個人的に競技を突き詰めることによる成長、そして体育会という組織の中で自分の在り方を考えることで得られる成長があると思っています。自分はこの部活で1番感謝しているのは、色々な方から愛を受け取ったということです。引退した先輩方がフルーレではないにもかかわらず、大会の結果を見て「頑張ってるね」と言ってくださるので、自分も下の代に恩返ししなくてはいけないと思いますし、競技をやらなければならないという自覚も芽生えます。自分も還元したいと思えることで、本当に色々なものを得られますし、様々な人に出会えたことがこの部にしかない財産なのかなと思います。
坂藤:他の大学に比べて圧倒的に練習環境がいい場所ではあるので、そういった恵まれた環境で競技に打ち込めるっていうのはすごく貴重でありがたいことだと思います。そういった環境に身を置いているからには、本当に競技に真剣に向き合って頑張ってほしいです。

”今に滾れ”
フェンシング部の皆様、取材にご協力いただきありがとうございました!
(取材:吾妻志穂、中原亜季帆、蕭敏星、竹腰環、長掛真依)

