25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第8回となる今回は、野球部でリリーフ投手として活躍し、最後の早慶戦では先発の大役を任された小川琳太郎(経4・小松)。地元の進学校から、2浪の末に慶大の門をたたいた苦労人の軌跡に迫る。
小川琳が野球を始めたのは、小学3年生の終わり頃。それまではサッカーを習っていたものの、チームの人数不足で試合ができなかった。そこで友人から野球に誘われたことをきっかけに、野球人生をスタートさせた。さらに、小学生の頃から早慶への憧れがあり、なかでも早大野球部に入りたいという思いが。中学校では文武両道を意識し、進路は自身のイメージ通り、公立の進学校である石川県立小松高校に進学した。
小松高では、転機となる出来事がいくつかあった。まずは高校2年生の夏、エースとして石川県大会ベスト4を経験。学校として数年ぶりのベスト8、ベスト4進出となった。全校応援や地域からの応援、注目を身をもって感じられる、これまでにない経験となった。そして3年生が引退し、期待が寄せられた新チーム。小川琳はエースとしてチームをけん引するも、秋の大会で1回戦負け。さらに、翌年にはセンバツ出場が決まっていた星稜高の奥川恭伸(現ヤクルトスワローズ)と練習試合で投げ合い、小松高が勝利して注目されたが、最後の県大会では2回戦負けと結果を残せずに終わった。
高校野球では悔しさを味わったが、高校2年時から慶大への憧れを強く持つようになった小川。現役で受験したのは慶大のみ。すぐに目標達成とはならなかったが、浪人時代もこつこつと努力を積み重ね、2年間の浪人を経て慶大に合格。小松から神宮への切符を手に入れた。

そして加入した慶大の野球部。監督の交代もあり少しイメージが変わるも、「みんな泥臭くて、いいチームだと思った」という。部員数も多く、競争の激しい環境だったが「なんかできるっしょという、根拠のない自信があって頑張れた」と入部当初を振り返る。
1年時にはリーグ戦での登板はなし。しかし2年時の春、法大2回戦の8回、2点ビハインドの場面でリーグ戦初登板。当時の感覚を聞くと「気持ち悪い感じがした」と振り返った。「周りの景色とか、雰囲気とか、初めての感覚があった。自分の投げ方が分からない感じ」だったというが、1回をなんとか無失点で抑える。そして9回、村上伸一朗(令6文卒・城北)が代打逆転本塁打を放ち、小川琳はリーグ戦初登板初勝利を挙げた。
そして同年秋にはリーグ優勝、日本一を経験。同期の外丸東眞(環4・前橋育英)がリーグ戦5勝をマークするなど、エースとして大車輪の活躍をみせた。これには「すごいとは思ったけど、自分は1段階というより3段階ぐらいレベルが低いところにいる」と感じていた。「追いつこうとか、ライバルというよりも、自分は自分で与えられたチャンスをものにしたい」と考え、鍛錬を続けた。
3年時には春5試合、秋3試合に登板し、迎えた最高学年。「自分の代で優勝したい、日本一になりたいという思いが強くなった」ことに加え、「自分の結果だけでなく、チームに何かを残したい」という思いで、後輩たちとトレーニングや練習に励んだ。その甲斐もあり、秋には計9試合に登板。16回2/3を投げ、4連投も経験するなど「初めて少しはチームに貢献できている感覚が出てきた」と話す、飛躍のシーズンになった。
特に印象深いのは、最後の登板となった11月2日の早大2回戦。それまでは全てリリーフでの登板だったが、この日は先発に抜擢された。前日の夜、小川琳は堀井哲也監督に呼び止められ、自らの意思を問われたという。そこで起用法を告げられることは無かったが、当日の朝、再び堀井監督に呼ばれ、先発を告げられた。
「初回から後のことを考えずに、思いきり投げていけるところまでいくつもりだった」という小川琳。初回、2回と安打を打たれながらも無失点。3回に暴投で1点を失うも、4回まで投げて1失点という好投だった。しかし、実は「秋のリーグ戦では一番か二番くらいに調子が悪かった」という。それでも「自分を奮い立たせ、何とか粘った」最後の登板だった。

この試合の評価を問うと、「チームが勝たなかったから意味ない」として「30点」と評した。しかし、これが通算30試合目の登板で初めての先発という巡り合わせ。そして「この試合だけでなく、慶應とか神宮を目指してきたこれまでの過程を含めて、大変なこともあったけど頑張ってきて良かった」と総括した。
「1つのけじめとして」プロ志望届を提出したものの、惜しくも指名とはならず。そして「自分の中でもやりきったし、自分だけの人生ではない」として、選手としての引退を決断した。

慶大への進学が決まった際に、小川琳のおじいさんが作詞した応援歌がある。
「小松で鍛えた心と技を 見せよ神宮のマウンドで 投げろ直球ど真ん中」
高校時代には「小松の宝」と称されたこともある小川琳は、地元や家族、仲間の期待を力に変え、一つずつ夢を現実にしていった。野球選手を引退しても、その軌跡が消えることはない。最後に「自分の行動で周りの人にいい影響を与えられたら」と今後の展望を語る姿に、“オガリン”の魅力が詰まっていた。
(取材、記事:工藤佑太)

