【器械体操】進化を続けた16年 見出したのは「慶應らしさ」/4年生卒業企画「光るとき」 No.43・釜谷有輝

器械体操

25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第43回となる今回は、小学生の頃からから16年間、体操一筋に歩んできた釜谷有輝(政4・慶應)。大学4年間の集大成として「一部昇格」を成し遂げた彼が、旧知の仲である筆者に語ったのは、体操人生に密接に関わる体育会の姿だった。

釜谷の体操人生は、小学校1年生の時に幕を開けた 。それから約16年。「大きな挫折はなかった」と淡々と振り返るその言葉の裏には、着実に一歩ずつ地面を踏みしめてきた自負が覗く 。しかし大学での4年間は、彼にとって「これまで経験したことのない貴重な時間」となった 。そのハイライトは、4年生で迎えた全日本インカレだろう。チームは2年前に二部降格という苦杯をなめていたが、最後には悲願の「一部昇格」を達成した 。「自分の中で一番印象に残っている試合」と語る釜谷の表情には、組織を牽引したリーダーとしての安堵感が滲んでいた 。

体操競技とは、究極の「再現性」を求めるスポーツである。釜谷がこの16年で最も得たと確信しているのは、物事を「逆算」して捉える力だ 。 「この技をこの時期までに完成させるためには、今何をすべきか」 。試合というゴールから逆算し、練習を計画的に構造化する思考習慣は、単なる競技力向上に留まらず、彼の人間形成の根幹となった 。

大学4年時、釜谷は男子器械体操部門のトップである副将に就任した 。主将が部全体を統括する一方で、実務的に現場の士気を高め、底上げを図るのが彼の役割だ 。 しかし、個人競技という特性上、練習は個々に最適化されがちだ 。釜谷は振り返る。「もう少しチームメンバーとコミュニケーションを深めていれば、結果以上のものが得られたのではないか」と 。少数精鋭の部において、全員のレベルを底上げする苦労を経験したからこそ、引退を前に「個の繋がり」の重要性を再認識したのである 。

彼が一部昇格と同じほど大切にしている記憶がある。それは、4年時の慶應開催の早慶戦だ 。2年生の時は怪我で出場を逃しており、彼にとっては初めてのホーム戦でもあった 。 会場を埋め尽くしたのは、現役部員を遥かに凌ぐ数のOBたちの姿だった 。「慶應の縦の繋がりを肌で感じた」という釜谷の言葉通り、卒業して何十年経っても変わらぬ母校への愛、そして誇りを持って戦う選手たちの姿に、彼は「慶應らしさ」の本質を見出した 。

ここで、筆者との個人的な背景にも触れておきたい。筆者と釜谷は小学生時代からの友人であり、互いのスポーツへの向き合い方を長年見守ってきた仲だ。 そんな気心の知れた間柄だからこそ、話題は「慶應体育会」という組織のあり方にも及んだ 。 「文武両道はかなり意識されていたと思う」と釜谷は言う 。平日の練習時間を固定し、学業との切り分けを明確にする環境が、多様なバックグラウンドを持つ学生たちの刺激と相まって、彼の視野を広げていった 。また、遠く青森で開催されるインカレに、部員数を上回るOBが駆けつける光景は、他校にはない異例の熱量だ 。 「慶應は人との繋がりが面白い大学」 。 取材の最後に釜谷が口にしたその言葉は、慶應のその在り方を捉えているように感じた。

釜谷の体操人生を一言で表すなら、それは「積み重ね」だ 。怪我で辛かった時期も、そこから一歩ずつ積み上げ、最後は競技人生で最高の状態へと自分を押し上げた 。 4年生が引退し、7人の選手が抜ける部は、再び少人数での活動を余儀なくされるだろう 。 「人数が少ないからこそ、一人ひとりが自分らしさを出して、のびのびと続けてほしい」 。 後輩たちへ送るそのエールには、逆境すらも「積み重ね」の一部として楽しんでほしいという、彼なりの願いが込められていた。

(取材・記事:岡澤侑祐)

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