【競走】競走部を牽引する4年生コンビ!田島公太郎×安倍立矩/箱根駅伝予選会直前特集②

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箱根駅伝予選会まであと5日!ケイスポでは本番を直前に控えた選手方・スタッフ・コーチにインタビューを行いました。箱根駅伝予選会特集2日目の本日は、並々ならぬ思いを胸にラストイヤーを走り抜けてきたこの二人!陸上を始めたきっかけから予選会に向けての意気込み、趣味までたくさんの質問に答えていただきました。これを読んで是非当日も声援を送りましょう!

 

“克つ” 田島公太郎

”笑顔” 安倍立矩

 

Q陸上を始めたきっかけは?

安倍:自分が小学生のとき、陸上をやっていた中学生の姉貴と競争をしまして、確か姉が600mの外周コース3周、自分が2周と1周分ハンデをもらったんですけど、それでもボロボロに負けました。1周差あっても負けたという凄い悔しい気持ちが残っていて、「俺も練習したらもっと速く走れるだろ」という負けず嫌いなところが出まして、中学入学のタイミングで陸上競技部に入部したのがきっかけです。

田島:元々小学校では吹奏楽部に所属しておりまして、中学校も同じ流れで吹奏楽部に入ったんですけれども、その中学校が全国駅伝出場を目指してまして、その選考レースみたいなものが体育の授業であったんです。そしたら、たまたま陸上部の子に勝ってしまって、そこで目をつけられて、引き抜かれて…。で、出てみたんですね、駅伝の方に。そしたら市駅伝→県駅伝→九州駅伝で全部優勝しちゃいまして、全中駅伝まで行ってしまったんです。「アレ?運動音痴だったはずの田島は走るのだけはできるのかも」と思っていたら全中駅伝でも2区区間2位という成績を収めることができました。その後高校の方からスカウトを受けて本格的に陸上を始めたという形になります。

 

Qどのような経緯で慶大競走部に入部したのですが?

安倍:高校1年生の冬に保科ヘッドコーチの方から慶大の練習会にお誘いいただき、見学させていただいた際に感じたことがありました。慶大はスポーツ推薦もなくて、体育会に来てまで競走部入って練習しようとする人が少ないので、“強い人が取れない”、“人数が少ない”という他大学に比べてかなりディスアドバンテージを取ってると思うんです。そんな中でも、箱根駅伝を本気で目指す先輩方がいて、その凄さを見て自分もこんな感じで一生懸命に箱根駅伝を目指して主役になりたいと思い、大学入学後すぐに連絡を取って競走部に入らせていただいたというのが経緯になります。

 

田島:僕の高校は中々の強豪校(九州学院・熊本)でして、“箱根駅伝を目指す”ことはチームの中だとほぼ全員がもつ感情や憧れだったので、問題は“どの大学で箱根を目指すか”というところでしたね。実際に出るチームでメンバー争いをしに行くのか、それとも予選会を勝ち抜くメンバーとして箱根駅伝に挑んでいくのかと考えた時に、面白いのは後者だろうという安直な考えがありました。

 

ーーその中でなぜ慶應だったのでしょうか?

田島:そういう大学をいろいろ探していたところ、自分も安倍と同じく高3の春に保科ヘッドコーチの方から誘いが来たんです。自分としてはそこまで慶應を志望していなくて、今結構強くなってきている某大学の方を志望していたんですけど、保科コーチが「コロナ禍だったので公共交通機関はあまり使えない、でも話がしたい、どうしよう」ってなったときに半日かけて日吉から熊本県まで自家用車で運転して来まして、到着してすぐ慶大競走部の説明をし始めたんです。「とんでもないやつが来た」と思いましたね。その情熱を受けて、「この人の元なら4年間精一杯やり尽せるんじゃないかな」と思い、慶應の競走部に入ることを決めました。

 

Q陸上人生で幸せだなと思った瞬間、悔しいと思った瞬間は?

安倍:一番良かったなと思ったことは、高校2年時のインターハイに出場させていただいたときです。中学校時代も全国大会とジュニアオリンピックと呼ばれるトップレベルの大会に出させていただいたんですけど、両方とも予選落ち/ビリから数えた方がはやいような結果だったんです。なので、高校のインターハイは自分の中ですごいリベンジとなる大会でした。そんな大会で1500mに出たんですけど、全国トップクラスの選手に自分から積極的に仕掛けた結果、決勝に進むことができて、それが個人的に凄い良かったと今でも思っています。

1番苦しかったのは大学2年時の箱根駅伝予選会です。先ほども言ったんですけど、高校では1500がメインで、結構スピード寄りの練習が多かったんです。ただ、大学に入ってから「箱根駅伝を目指す上ではハーフマラソンを走らなければいけない」って思ったときに、距離のギャップが激しくて、1年目はそれが苦しくて走れなかった。そのギャップを埋めるために走行距離を伸ばしたり、夏合宿で先輩方に食らいついたり、土台作りをしっかりやったうえで臨んだのがこの試合でした。

 

ーーしっかりと準備して臨んだ大会が1番苦しかったんですね

安倍:苦しい試合でした。保科ヘッドコーチの自分へのオーダーは“64分台を出してくるように”ということだったんですけど、10キロ過ぎてから足が動かなくなったり攣ったり、結構自分のチームの人にも抜かれたりと散々な結果でした(タイムは68分台)。「2年間も練習を積んだのに結局言われたタイムの4分遅れでしか走れないんだな」と思って、そのときは本当にしんどかったですね。チーム全体も箱根に行けなかったことでドンヨリしてたんですけど、帰ってから「自分がもうちょい走れたら何か変わるきっかけになったんじゃないかな」と思って両親に「陸上競技辞めたい」と泣きながら電話を結構した思い出があります(笑)。

 

田島:自分が1番苦しかった試合は高校3年生の全国駅伝です。その年はチーム全体の実力も高いものでして、“全国優勝・日本一”というのを1年間スローガンとしてやっていました。自分は3区を任されてたんですが、そしたら1区(鶴川正也・青学大4年)が区間賞を獲りまして…。2区もそのまま逃げ切って、3区で真っ先に「43番」(熊本県代表の指定番号)と言われて「ワシか、ワシなのか」ってなって。見てみると真っ先に九州学院が2位とまあまあ差をつけて中継所に飛び込んできて、そこで僕は初めて全国における先頭を走ったんですね。

 

ーー先頭で襷を受けたレースが一番苦しかったんですね

田島:自分もチーム内で2番手ぐらいの力を持っていたので、「この流れに乗ってしっかりいい結果で4区に繋げたい」という思いがあったんです。が、3区にはすんごい留学生と他校のエースがいて、1キロを通過する手前で留学生に抜かれ、他の日本人エースにもピタッと背中につかれ、全然自分の走りができずに最終的には1位で受け取ったのに6位で渡すという失態を犯しました。レース後は自分の陣地にも帰れず、監督にも顔を見せることができずにずっと1人で泣いてました。いつもは自分の走ったレースを実家で親と見ていろいろ話すんですけど、そのレースだけは終わって3ヶ月経ってやっと見ることができたというくらい自分の中でもトラウマ級でした。チームの足を自分が確実に引っ張ってしまったことが陸上人生で何よりも苦しかったことですね。

1番記憶に残る良いレースは“思い出として”の箱根駅伝のレースだと思います(田島は第98回大会にて関東学生連合のメンバーとして7区に出走した)。当時1年生だったので、あまり箱根駅伝に対する思いや解像度というのはなくて、「もっとできたな」という状態で臨んでしまったんですけど、いざ走ってる見ると、あまりよくないですけど、無観客応援が促されてた中でも一切途切れることなく沿道から声援をかけていただいたんです。こういう経験が高校駅伝ではありませんでした。この大会では順位は最下位相当で“史上最強の学連”の足を引っ張ってしまったんですけど、本当にこれまでにない経験をさせてもらったので1番大事にしたいと思っています。

合宿での一枚(左)安倍 (右)田島

 

Q陸上人生を一言で言い表すと?

安倍:「選択」。ブログの中でも書かせていただいた内容なんですけど、自分は田島とは別の境遇にあったと思っています。田島は音楽やってたり、駅伝に駆り出されたり、チームでも結構マイナーではあるんですけど、“強豪校に行って箱根駅伝を走る”っていう強い選手ならではの道を進んできたと思っていて。自分は高校の進路選択も地元の近い公立高校選んで学業との両立を図ったり、人から見たら慶應という選択も実力的にも挑戦する立場だと思われるレベルだったので、結構大きい“選択”をしてきた陸上人生だったかなと。それもあって「選択」という言葉を選びました。

 

田島:“陸上人生で大切にしてきた言葉”ということで言うと、「己に克つ」という「克己」という字ですね。安倍は選択の連続だというふうに話していたんですけど、自分は自分との戦いの連続でした。言い方によっては選択とも言えますが、なかなかきつい道のり、遠回りばかりで苦しい場面が続く中で、”如何に自分に打ち勝つか”ということは中学の恩師からの教えでもあったので大事にしてきました。

 

Q高校卒業時と今の自分を比較してみたときに、一番成長したと感じることは?

安倍:自分は長い距離走(30kmや10マイルなど)が入部時はきついと思っていたんですが、それらも「しっかり準備すればできる」と思えるようになったのが一番の成長だと思います。高校の時は長時間走るのが嫌で、短距離に混ざって300m走ったり1000m走ってすぐ帰ってまして、今は600~900km位の月間(走行距離)もその時は200kmもなくて、全然距離を走ってない時期が多かったんです。それが慶應に入って距離がいきなり増えたので、その頃はインターバルより何より“長い距離が書かれてるメニュー”が自分的に一番厄介だと思っていました。「今ペース走なのか…しんどいな」っていう思いが無くなったと気づいたとき、「長い距離への耐性をつけられていたんだな」と4年間での自分の成長を実感しました。

 

田島:“認める力がついた”かなと思います。慶應は高校とは練習の雰囲気や環境も全く違いますし、門を叩いて来た人の境遇も様々なんです。安倍のように1人で黙々と走ってきた人もいれば、大学サークルのような形で勉強の息抜き程度にスポーツをやっていた人、あるいは初心者だったりする人が沢山いるチームで、自分とはスタンダードが全然違ったんですね。言わば“甘い考え”の人が多かったりして、最初は生理的に受け付けなくて、何を見ててもイライラするような感じでした。それでも、チームメイトから色んな話を聞いていくとその人の良さや自分なりに努力する姿を知ることができて、今では一人一人にリスペクトを持てるようになったかなと思います。そこは大学4年間での貴重な成長だったと思います。

 

ーー駅伝主将という肩書きを背負って、チームを引っ張る立場となったことで寛容になったということですか?

田島:それもありますし、一番大きかったのは同期なのかなというふうに思っていて。僕らの代は選り取り見取りで自分が知らなかった世界を知ることができたので、そこが一番大きかったと思っています。

 

Q今シーズンの自己評価、チームの状態について

安倍:自分の今シーズンは怪我からのスタートでした。試合中に他選手との接触があって膝の骨挫傷をしてしまい2ヶ月程度走れない期間があった中、シーズンが始まったんです。最初は全然タメがない状態で試合に臨んでいたので、案の定結果が出ませんでした。そこで「土台を作れないと予選会も走れないんだ」という学んだことで、夏合宿期間は距離をしっかり走るメニューの消化を100%行うことが出来て、力をつけて今も走れていると思います。

チームなんですけど、”Bチームの底上げ”が昨年度に比べて顕著だと思っています。保科ヘッドコーチにずっと言われていることが「前との距離を離すな」という指導です。なぜかというと、予選会本番では集団から離れてしまうと1キロあたりではたった3秒でも10キロ走れば30秒離されてしまう訳です。練習では3秒離れても休憩を3秒巻けばいいだけで重要に思えないんですけど、「そこで離れてしまう事が本番にも出るよ」ってことで、そこを無くしていこうと去年から徹底されてきました。今年は1回言われただけで「そうじゃん!箱根駅伝を見据えて行かないと」という意識が全員に伝わったからなのか、1回言われただけで多少ペースが乱れてもつける選手が増えてきましたし、Aチームのみならずチーム全体が予選会に向けて成長している風に感じています。

 

田島:ここまでは100点満点で来ている感じです。昨年度の終わりに出た東京マラソンでは途中で脱水と低血糖で倒れてしまって完走できなかったんですけど、その経験を活かして、4月は全くトラックに出ずに5月の関東インカレに照準を絞っていました。そこで8位入賞できたんです。1年生のときから関カレはハーフマラソンでエントリーされ続けていたので、ずっと狙っていた目標がやっと達成できたのは素直に喜ばしかったです。そこから夏合宿でチームトップになるという目標を掲げて、Aチームは本当に充実した夏を過ごせたなと言うふうに思っています。現時点では昨年とは比にならないくらい実力、ピーキング共に上がってきていると思うので、見込みとしても100点満点で終われるかなと思っています。

チーム全体としても、安倍がBチームについて触れてくれたので自分はAチームのことを言いたいというふうに思うんですけど、Aチームも昨年とは比にならないくらい全員強いですね。特に上4人くらいは“飛び抜けて強い”です。チームの課題は何年も何年も“下の底上げだ”と言われてきているので、本戦に出れるかどうかもそこが大きな鍵を握ると思っています。今年はAチームに関しては他大と引けをとらない、全く劣らない戦力が揃っていて、設定ペースも昨年よりかなり速くこなせていますし、それくらい自他ともに「予選会は俺たちがタイムを稼げるから後ろはお前たちに任せたぞ」と胸を張れるくらいに仕上がってきているので、そこは是非とも注目して頂きたいところです。

 

Q箱根駅伝予選会に向けた意気込み、具体的なタイムと順位、攻略のポイントと考えているところ

安倍:自分は62分台、日本人の先頭集団で戦うところを目標にしています。1、2年時は68分台と情けない走りをしてしまったんですけど、3年でようやく64分10秒前後を出すことができて、ようやくハーフマラソンの走り方の感覚が掴めたところです。今年は他大としっかり戦う戦力として自分もカウントできるように、62分台で日本人の先頭集団で戦っていきたいと思います。

 

田島:自分はタイムとしては下限を設定していまして、62分半ではマストで帰ってきたいと思っています。これが昨年チームトップの木村有希のタイムなんで、下限としてこの位置で来れば必要最低限のタイム稼ぎにはなるのかなと思っています。上限は“設定なし”です。行けるだけ行く、それのみです。
自分のレースの分け目となるのは公園に入ってからの勾配に如何に自分の身体、特に体幹が耐えられるのかに懸かってくると思いますので、そこは残り1週間でしっかりコンディションを合わせていきたいと思います。

粘りの走りを見せた昨年の予選会

 

安倍:ちょっと被ってしまうんですけど、課題となるのはやはり公園に入ってからになります。自分も長いのに苦手意識がある中で、去年も感覚は掴めていたとは言ったんですけど10キロの通過に対して後半のラップタイムがあまりにも遅い、そこで落ちてしまったから先頭で戦いきれなかったと思うので、その課題をクリアしていきたいなと思います。

ハーフマラソンの感覚を掴んだ昨年の予選会

 

Q当日スタートラインに経つ時はどういう気持ちになっていると思いますか?

安倍:簡潔に言えば、馬鹿みたいに緊張しているかな、と思います(笑)。中高全国の大会に出てきた中で、全部大一番のときは前日寝れなくなったり、当日レースですごく緊張してトイレの回数が増えたりしたので、今回も真剣だからこそ、多分メチャメチャ緊張するんじゃないかなと思います。

 

田島:アドレナリンが凄く出るかなと思ってます。予選会は3回出走してきて今回が4回目なんですけど、過去1回も緊張したことがなくて。緊張じゃなくてワクワクというか”体の芯からエネルギーが溢れてくる、速く走らせてくれる”みたいな気持ちで過去3回とも出走してまして、予選会に関しては大コケせずに安定して成績を残せているので、多分今年もそうなるのかなというふうに読んでいます。そうなればレースも勝ち確なので、当日はそういった表情も見て貰えたらと思います。

 

Q一番負けたくない相手は?

安倍:2年の成沢(翔英)ですね。彼は去年の9月入学から今まで駆け上がるような結果をトラックで残してきているスター選手なんです。けど、まだロードは負けてないんじゃないかなと思うので、“4年の意地”を頑張って出したいなと。そう心から思うのは彼ですね。

 

田島:僕は木村(有希)ですね。1年・2年と予選会でチームトップをとってきた中、昨年アイツに36秒負けてトップの座を譲ってしまったんです。いま彼は塾記録を5000m・10000m・ハーフ全部持っていまして、これはまさに僕が入部当初目標として掲げていたことだったんですね。なので、最後にせめてハーフの記録ぐらいは奪いたいなと思っています。

 

ーー先ほどの「下限は62分半」というコメントは木村選手の存在があるのでしょうか?

田島:そうですね。今のハーフの記録が木村が持つ“1時間2分30秒”なんです。なので、何があってもそのタイムは突破する、さらに絶対に1秒でも更新してやる、そう闘志メラメラで思っています。

 

Q試合前のルーティーンは?

田島:スタートラインに立った時にメッチャでかい深呼吸をすることですね。周りの選手にも聞こえるくらいドデカいやつをです。これは高校からなんですけど、周りへの威嚇と自分への鼓舞をかねてやるようにしています。周りと比べて怖気づいたらレースでは実力を出し切れないと思うんで、自分に自信を持たせるためにも「スッ!スッ!スッ!スッ!ハッ!ハッ!ハッ!ハッ!」という感じで深呼吸をしてます。

 

安倍:モ○スターというエナジードリンクを、試合の2時間半から2時間40分前に飲んでます。これは大学2年生からの習慣です。

 

Q趣味は?
安倍:自分は大学4年生になってから映画鑑賞にはまってまして、それもホラー映画結構好きなんです。田島とも1・2年の時は見に行ったんですけれど、彼は忙しかったり怖い映画が苦手だったりするんで(それでも以前は無理やり連れて行っていた)、4年になってからは割と1人でチケットを予約して新宿に見に行ったりなどしていますね。最近は「サユリ」っていう映画が印象的でした。「そういう展開があるのか!」って(笑)。読者の方ももしよければ是非ご覧になってみてください!

 

田島:僕は吹奏楽部出身で音楽が大好きなんで、今でも隙間時間には部屋に3本ぐらいあるギターを弾いています。ただ最近は忙しくて音楽制作のほうにはあまり取り組めてないので、箱根が終わったらそっちの方にもしっかり取り組みたいなと思っています。

クールダウン中の2人

 

Q予選会当日の走りで一番に感謝を伝えたい人はどなたですか?

安倍:自分は保科ヘッドコーチですね。高校2年生のインターハイで声をかけていただいたこともあるんですが、一番は大学2年のときの予選会で大失敗してしまって「辞めたいです」と打ち明けた際に、「お前が必要なんだ」と引き止めて下さったんです。ずっと期待をかけ続けて下さっているので、今年こそは自分の走りで箱根本戦出場に貢献して保科コーチを胴上げしてあげたいなと思っています。

 

田島:自分はやっぱり両親ですね。慶大入学時に熊本から初めて上京して寮生活をはじめたんですけど、4年間ここまで競技を続けてこれたのは両親の支え無しでは考えられないと思います。そういった支援の他にも自分が精神的に参ってしまった時とかには、母も父も察したかのようにいろんな言葉をかけてくれたので、最後はレース後に昭和記念公園で泣かせて抱きつきに来て欲しいなって思います。いつもは「うるせえな」とか思っちゃうこともあるんですけれど、今年の関東インカレで入賞した際に賞状を持っていったら本当にうれしそうな顔をしてくれたので、来週土曜日もそういう顔を見せてもらえるように頑張りたいと思います。

 

Q最後に、今後慶大競走部に入部するかもしれない未来の後輩達に向けてメッセージをお願いします!

安倍:慶應には、オリンピアンの豊田(兼・4年)のような人もいれば、学業やバイトと両立しながら競技に向き合う人もいて、本当に多種多様な人とふれあいながら練習できる環境が揃っていることがこの部活のいいところだと思います。自分の価値を高めに行けるような部活だと思っているので、是非その志の高い人は入っていただきたいです!

 

田島:慶應一泥臭い4年間を満喫できるチームです。特に長距離ブロックにはそれを強く思います。せっかくの4年間なので、ぜひ慶應競走部で一生懸命汗を流して見てください!

 

ーーお忙しい中、ありがとうございました!当日の活躍期待しております!

 

(取材:竹腰環、編集:河合亜采子、鈴木拓己、ウジョンハ、小田切咲彩、山口和紀)

 

最後までお読みいただきありがとうございます。特集は明日以降も続きますのでお楽しみに。

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