スポーツの祭典、オリンピック。今年8月フランス・パリにて開催された2024年夏季大会に、日本からは400人を超える選手が参加し、そのプレーで多くの人々に感動と勇気を与えた。その中には、慶大在塾生の名前もあった。ケイスポではパリ五輪特集と題し、日本代表として男子400mハードルに出場した豊田兼選手と男子フルーレ個人・団体に出場した飯村一輝選手にロングインタビューを行いました。第2部では、2人の大会期間中の出来事、オリンピックの感想、そして今後の目標について取り上げます。
第2部
Q先ほど豊田選手は大会直前に怪我をされたとおっしゃっていました。改めてその時の気持ちはどうだったんですか?
豊田:そのときはちょっと唖然としてましたけど、怪我をしたという事実を受け止めて、オリンピック本番まで5週間しかなかったので、その期間でしっかりリハビリをして、当日は出来る限り万全の状態で走ることを目標にしてました。
Q怪我が悪化するリスクもありながら出場したのはどういう思いからだったんですか?
豊田:本番前の脚の状態をみる限り、走り切ることはできるだろうとは思ってました。実際オリンピックのところ、レース本番では足の怪我のせいでスタートして一歩で棄権する選手も中にはいたので、それをやるんだったら棄権した方がいいという考えはありました。ただ最終的には、「走り切れるんだったら絶対に経験した方がいい」ってコーチやスタッフと相談した上で決めました。走り切れるかわからないし、足も痛いし、試合前は本当に恐怖しかなかったですけど、それでも今はこの選択をして良かったなと思います。
Q飯村選手も個人・団体戦を振り返っていただけますか?
飯村:僕は初出場だったので、オリンピックでの初めての試合となった個人の一回戦、それと団体の準決勝フランス戦、この2試合が震えるくらい緊張しました。特に緊張したのが団体準決勝。連日メダルラッシュだった中で、フルーレ団体は最終日だったんですよね。最終日のメダルをかけた地元フランスとのマッチ。「早く終わらせたい、帰りたい、でもやるしかない」っていう感じでもう必死でした。それを乗り越えることができたのは一つ自分の自信になりましたね。
Qその他の試合は?
飯村:他の試合はほんとに全部楽しかったんですよ。まだ戦っていたいと思っていました。総じて楽しいフェンシング、楽しいプレーをすることができたので、今回のオリンピックで今まで感じたことのなかった”フェンシングの新たな楽しさ”を知ることができて良かったなと思います。
Q試合中は何を考えていたんですか?
飯村:準決勝/決勝では試合をするピストが1つだけになるので、観客全員に見られるんですよね。当時は何も考えずにプレーしていたのであまり考えなかったですけど、後から振り返ってみると、あの時は自分でも怖いくらい冷静だったなと思って。頭空っぽの状態で1試合1試合、1点1点を獲ることだけに集中していて、今あの試合を再現しろと言われても出来ないクオリティでした。もう絶対に戻りたくないです(笑)。
Q個人戦では快進撃を見せたものの、準決勝・3位決定戦で敗れ惜しくもメダルには届きませんでした。個人戦でのご自身の戦いを振り返っていただけますか?
飯村:準々決勝までは無心で戦えていて、いつも通りのプレーを発揮できていたんですけど…。フェンシングは下剋上がある競技で、勝敗が本当にその日のコンディションとかにも影響されるんで、どの選手が勝つかわからない。結局はいつも通りプレーできる人が強いんです。準々決勝まではそれができていて、でもオリンピックっていつも通りのプレーを発揮出来ないんですよね。メダルが見えた瞬間“いつも通り”が出来なくなって負けてしまったんです。
Q個人戦で敗退してから団体戦までの期間はどうやって気持ちを立て直したのですか?
飯村:その後2、3日は悔しくて夜も眠れなかったんですけど、負けた後悔とか過去の結果に囚われていたら今やることや今後にまで影響してしまうなと思って、団体戦まで1週間時間があったので、”今”だけに集中して出来ることを1日1日準備してました。そこで切り替えることができたことが、いい結果につながったのかなと思います。
Q団体戦ではチームのアンカーを務め、ご自身のプレーで優勝を手繰り寄せました。金を獲得した瞬間というのはどのような心境でしたか?
飯村:自分的にはあれを超えるゾワゾワ感とか、達成感とか、観客の方の歓声をただ全身で浴びる瞬間は多分もう無いなと思います。実は僕、団体メンバーに入ってから1回もアンカーをしたことが無くて、それまではずっと3番手でゲームチェンジャーや起爆剤としての役割を担っていたんです。それが決勝の2時間前に急に「アンカー頼む」って言われて…。
めちゃめちゃ緊張したんですけど、「自分が最後の1点を獲らないと負ける」って腹をくくりました。終わった瞬間はその1点を獲り切ることが出来た安心感と達成感でいっぱいでした。実動で3秒、5秒ぐらいの話だと思うのですが、本当に1分以上に感じられて、すごい充実した時間だったというのは今でも覚えています。
Q先ほど飯村選手はオリンピックに出たことで、“フェンシングの楽しさ”を実感したと仰っていました。豊田選手の場合はオリンピックを通して、自身の競技、スポーツに対する考え方に何か変化はあったのでしょうか?
豊田:自分の場合も、自分がやるハードルという競技の楽しさを再確認した大会だったと思います。考え方に特に大きい変化は無かったのですが、世界最高峰の舞台の雰囲気を当事者の一人として経験できたことは、競技人生続いて行く中で本当に大きな糧になりましたし、 次もその舞台で戦いたい思いはより一層強くなりました。
Q最後にお二人の今後の目標を教えてください
豊田:今年のオリンピックで本当に悔しい思いをしたので、逆にそれが4年後を見据えるいいスタートラインになったと思います。中途半端に続けるんじゃ絶対に次は戦えないし、こういうどん底に落ちた今だからこそ、また4年計画でやっていく自信もついてきているので、“次のオリンピックで日本記録出してメダルを獲ること”、これを目標にまた4年間やっていきたいなと思います。
飯村:今のところはロサンゼルス五輪を目指してるんですけど、なんで個人金団体金がいいのか、なんでフェンシングがいいのか、なんでオリンピック金がいいのとか、答えられないんですよね。その答えを探すために目指すのかなとも思いつつ、明白な目的がないといずれぶれることになるので…。豊田さんはなんでハードル?なんでオリンピックに出たいですか?
豊田:究極を求めたいという思いですかね。陸上の場合は、練習の努力や試合に出た経験とかが記録に直結するんで、自分が頑張った分だけ記録が上がっていく楽しさが競技を続ける原動力になります。それを極めた先にあるのがオリンピックで、その舞台で勝てれば“陸上を一番極めた人間”になれる、そういうイメージです。
飯村:なるほど
――日々の積み重ねの最終形態に究極の姿がイメージしやすい競技だということですか?
豊田:そうですね。
――飯村選手の場合はどうですか?
飯村:ぶれない芯を見つけたいなと思っています。例えば“究極になる”とか“最強になる”とか、そういうものを持っていれば試合の勝敗で一喜一憂しなくなるので。ただそう考えたときに、“フェンシングで金を取りたい理由”、“そもそもフェンシングである理由”みたいな問いにぶつかるんです。まだ自分の中で答えが見つけられていないですし、しっくり来て無い部分があるので…、そんな感じですかね。
――そういった問いの答えを見つけることが今後の目標ということですか?
飯村:そうですね。一つはっきり言えるのは、フェンシングは好きだからやっているってことです。好きな競技を続けたいという思いはもちろんあるので。ただ“何で金メダルが獲りたいのか”って聞かれると「昔から目指していたから」になっちゃうんですよね。あまり金を目指し始めた頃の記憶はないけど、北京・ロンドンで銀メダルを獲得された太田さんがすごくカッコ良かったのは覚えています。
――会場に向かってガッツポーズされていましたよね
飯村:あのかっこいい姿、あの場所で戦いたいという思いはあるので、明確な何かっていうのはないんですけど、そういったものを見つけられたらと思ってます。
【第2部・完】
続く第3部では、二人が所属する慶應體育會競走部、慶應體育會フェンシング部について取り上げます。入部の経緯、體育會の魅力、OB/OGの存在など様々な質問に答えていただきました!ぜひお楽しみに!
(取材:竹腰環、岡澤侑祐 編集:大塚隆平、河合亜采子、キムムンギョン、野村康介、小田切咲彩)