【Last message】「頑張るだけじゃ足りない」結果にこだわった長距離のエース/4年生特集「Last message〜4年間の軌跡〜」No.18・木村有希(競走部)

競走

24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡~」。第18回となる今回は、長距離ブロックのエースとして結果でチームを牽引した木村有希(総4・葵)。度重なる故障やスランプを経験したランナーはどのようにして“真のエース”となったのか。速さに加え“強さ”を追い求めた4年間の記憶。

 

小学生から陸上を始めた木村

木村の陸上人生のルーツは、中学生の頃に遡る。陸上がさかんな福島県・会津地方出身の木村は、もともと「母親が陸上をやっていて、一家みんな足が早かった」という家系。自身も小学校高学年から長距離を始め、中学校では陸上部に所属していた。

そんな折、保科(光作)コーチの関係者から「慶應で駅伝の強化が始まるから行ってみたら?」と声をかけられたことがきっかけとなり、高校卒業後、木村は慶應義塾大学競走部の門を叩く。

 

入学後、木村は1年次から頭角を現す。5千mでは入学時のPBを1分近く更新する14分12秒32の好記録をマークし、箱根駅伝予選会でもチーム3番手の記録で好走。2年次も9月には1万mで29分台中盤の自己記録を出すなど、順調に走れているかに思われた。

しかし、10月に行われた箱根駅伝予選会では、ケガの影響でスタートラインに立つことができず。その後も、本人が「特に2年次の予選会からは走れない時期が続いた」と語るほどのスランプに陥った。

「2年の予選会の前後は走れない時期が続いたんです」

 

そんなときにモチベーションになったのは、「周りの人の支え」だった。仕送りなどで欠かさず助けてくれた家族、共に練習を積んだチームメイト、そして地元の先生(陸上部の顧問)やOBという、自分のことを気にかけてくれていた存在、「自分が一人で競技を続けている訳では無い」ということをリハビリの期間で実感できた、と木村は語った。

そして、その人たちのために「頑張るだけじゃなくて、結果を残さないといけない」という強い思いが、日々の練習の原動力になったという。このときの経験で「自分も強くなれた実感がある」と自信をつけた木村は、3年次に獅子奮迅の活躍をみせる。

共に練習を積んだチームメイトの存在によりエースとしての自覚が芽生た(写真中央右)

 

4月に行われた5千mの記録会で13分54秒42、その翌週には1万mの記録会で28分47秒04という好タイムをマークし、自己ベストを更新。この記録は慶大競走部所属者の中で歴代最速となり、塾記録を打ち立てた。前年の悔しさを晴らすべく臨んだ箱根駅伝予選会でもチームトップ、全体24位の1時間2分30秒で走りきり、自身3つ目となるハーフマラソンでの塾記録保持者となった。

4年次も箱根駅伝予選会ではチーム内2番手でフィニッシュ、最後まで慶大競走部の中心となって走り続けた4年間だった。

予選会で力走する木村 (第100回大会)

 

慶大競走部での4年間を振り返って木村が感じたこと、それは「結果に執着する意識」の大切さだった。もともと「結果が出なくとも競技を続けていれば、何か得られるものがある」と考えていた木村。だが、大学で競技を続けるうちに「人間的な成長も結果を求めてしっかり活動していくからこそ生まれるもの」であり、「結果という言い訳できない目標を持つ事で、自分の意識に変化を感じる事ができた」という。

 

卒業後も実業団で競技を継続する予定の木村。「1万mで27分台」「マラソン挑戦」の2つを目標に掲げるとともに、「自らの陸上などに対する考え方や見方を、競技人生を通して深めていく」ことにも取り組んでいくつもりだ。

4年間慶大競走部を支え続けた木村が、次のステージでどんな活躍を見せてくれるのか。結果に貪欲な彼の生き様に、これからも注目してほしい。

【Last message】

「大学4年間お世話になりました。競技場などの設備やいろいろな方のご支援、何よりレベルの高い選手たちと一緒に練習できる環境が自分を強くしてくれました。縁があり、卒業後も競技を続けさせていただきます。選手として強く、人として成長できるようにこれからも頑張ります!」

(取材:野村康介、記事:鈴木拓己)

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