競走部特集第5弾はスーパールーキー・山縣亮太(総1)。高校時代には千葉国体優勝やインターハイ準優勝など、輝かしい実績を持つ。その勢いは慶大入学後も留まらず、10月8日に行われた山口国体では10秒23を記録して17年ぶりに日本ジュニアを更新。しかし、その裏には意外なドラマが隠されていた。新記録の裏側から19歳の素顔まで、日本短距離界の至宝のインタビューをたっぷりとご覧ください!
――慶大を目指した理由は
自分は広島にある私立の中高一貫校で勉強もやってきたので、大学としてもそれなりのところに行きたいというのもありました。陸上をする上で志望校はいくつかあったんですけど、早稲田でも筑波でもなく慶應を選んだ理由は一度練習に来たんですが、かなり自由な雰囲気を感じたからですね。もちろん最低限の縛りはあるんですけど、窮屈に縛られるわけではなく、速くなる、強くなるための方法を思いっきり試せる、そんな環境と思って志望しました。高校時代も自由な感じだったので、同じような雰囲気で出来ればなと思って慶應にしました。
――入ってみての印象は
実際に入ってみるとルールが厳しいっていうところもあって、アレって思いました(笑)でも、他大学に比べれば全然だと思いますし、そもそも自分が人として成長していく時に当然だよなって感じます。練習環境に関しては自由なので、「こんな感じだろうな」とは思っていました。
――部内で仲の良い選手は
同期のメンバーはみんな仲が良くて、やりやすいです。記録とかが出た時には「おめでとう」とか声を掛けてくれますし、居心地が良いなって思います。本当にそういうチームだからこそ、個人とは別にチームとして勝ちたいなっていう思いはありますね。
――広島から上京してきて戸惑いは
正直、広島から離れたくないなという思いはありましたし、住んでいるところも毎日見る顔も全然違って、戸惑いはありました。慣れるにはすぐに慣れたんですけど、親がいない中で生活していく難しさを身をもって実感しました。
――専任のコーチがいない環境ですが
僕がそういう環境に対して思うことはハイリスクハイリターンだなと思っています。従来通りのものを全て正しいと教え込まれても、僕は今までのことを全て正しいとは捉えていなくて、本当に新しい方法を考えることが必要だと思っています。それは本当に難しいことですが、強くなれるのは慶應だと確信しています。
――陸上を始めたのは何歳ですか
僕が小学4年生の夏なので、10歳ですね。その時に広島市の小学生の大会がありまして、そこに小学校としてちょっと足が速かったっていうのもあって出させてもらいました。そこから陸上クラブに通うようになったのがきっかけです。
――昔から変わらない強みは
昔から変わらないのは陸上競技に対する姿勢ですかね。小学生の時からないがしろにしてこなかったというか、真面目に取り組んできました。聞く話によれば、一時期辞めそうになったみたいな話はあるんですが、僕の場合は全くそういうのは無かったですね。実績がある時も無い時もどうやったら強くなれるか考えてきました。唯一変わっていないのはそういうところですかね(笑)
――今まで大きなケガはしたことあるんですか
半年以上走れなくなったケガでは高校2年の春に左足の親指の付け根のところが欠けて、骨折したような形になって、痛くて走れなかった時期がありました。それは手術までして、中にはピンが入っていて、それで止めています。高3のシーズンには間に合ったので、それは良かったんですけど、かなり練習もできなくて大変な時期がありました。
――ケガをした時期に感じたことは
あの時は「本当にもうダメかもしれない」って思いました。骨がついて走り始めた時にも全く走れなかったんですよ。感覚も戻ってこなかったですし、今までこなしてきた練習もできなくなって、走るスピードも戻ってこなかったんです。シーズンぎりぎりまでそういう状態が続いていたんで、本当にダメかと思う時期はありました。それでも、周りにいろいろと助けてもらいながら最後の最後は折れないでやっていくことができました。それが高校3年生のシーズンにつながったことを考えると、どんな時も諦めずに折れちゃいけないことは身をもって感じることができました。
――ケガをした後に体のケアに対する意識は変わったか
僕が骨折をなんでしたかというと、遊んでいてやってしまったんです。本当にムダなことというか、そういうことは止めようと思いました。そのケガからはケアに関しては少し気を付けようくらいにしか感じなかったんですが、大学1年のシーズンで体の疲れを感じるようになってきたので、今は体のケアにすごく気を使うようにしています。
――大学になって遠征が続くこともあると思いますが
高校生の時は全国大会級の大会が続くことは無かったので、そういった意味では環境は違いましたね。やっぱり試合は続くと辛いです。大学1年の時は試合続きで、試合になっても「やってやるぞ」という気持ちが起きなくなりました。走るメンバーも変わらないので「またこの人たちとやるのか」とも感じてしまいました。そこで、このままではまずいと感じて、試合を詰めていたのを空けるようにもしました。
――次に今シーズンの話を伺います。春シーズンを振り返るとどうでしょうか
やっぱり大変でしたね。グランプリレースが織田記念とか川崎とか静岡国際とか、そういうのを初めて経験して、さらに関東インカレや日本選手権も続いたので。本来ならば、自分としてはちゃんとそれをこなしていきたいんですけど、結果的には今シーズンはうまくいかなかったというのはあります。自分の走りにしても、体の疲れもあまり考えずにやってしまったので、そういった意味で悔いが残りますね。
自分の走りができればタイトルは付いてくると思っていたので、狙ってはいません。自分の走りはできなかったと思っていて、一つのタイトルでは取れていませんし、やっぱりうまくいっていないんだなと思います。
――夏にはユニバーシアードがありましたが
気持ち的には盛り上がっていた部分があって、自分の走りに関してはまだ全然よくなっていないのがあります。世界大会は一つの大きな目標でありますし、ユニバーシアードで結果を残したい気持ちももちろんあったので、そういう気持ちで臨みました。ですが、上手くいかずにもやもやした感じで終わってしまいました。
――世界陸上に出たい想いはあったか
周りからはいける、リレーメンバーに絡めると言われてきました。僕としてはリレーメンバーに入るのはもちろんなんですけど、個人で出て戦いたい想いはありました。結局はリレーメンバーにも絡めなかったんですが。大邱に関して今思うのは、例え今年出ても、出るだけで終わっていたと思います。そういった意味で、悔しいですけど次の年にロンドンオリンピックがあるので気持ちはそっちに切り替わっています。
――国体で五輪B標準記録を突破しましたね
国体で出たタイムは自分の中ではまぐれで出たタイムじゃなくて、出るなと思って出たタイムなんです。そういった意味でも本当にオリンピックが手が届くところまできた実感はあります。例えば、無我夢中で走ってでたタイムが今回のものだったらまだ厳しいんじゃないかという想いはあったと思いますが、今の自分の気持ちとしては、いよいよだなというところまできています。現実味を帯びてきたと。もう一回走れるのかっていう不安ももちろんあるんですけど、ロンドンオリンピックはかなり近いなと思っています。
――タイムが出る自信はどこからあったのか
春とか夏には自分のレースができなかったという話をしてきたと思うんですけど、その一つの原因にスタートがあったんです。自分はスタートが得意なんですけど、スタートブロックが全然出れない感じを国体までずっともっていて、それが改善されたのが大きな要因です。
――スタートを改善するためにやったことは
簡単に言えば、高校時代は姿勢がすごく低かったんですけど、それを高くしたことです。それをやった時に自分の実感として、前にうまく出られてしっくりきました。これが今の自分の状態にあっているものだったらこれからタイムも出せると思いますし、安定はしてくると思います。
――スタートで低い姿勢から高い姿勢にした理由は
僕は国体の予選でトップ通過したんですけど、10秒52で追い風1.4mのかなり強い追い風だったんですよ。そこではかなり本気を出して走ったんですね。でも10秒5くらいで、これは今までのシーズンから良くなっていないと。国体の2週間前には早慶戦があって、その時も記録が悪くて、あの時から変わっていないって。じゃあ、せいぜい向かい風で10秒5くらいが精一杯で、そういうレベルって決勝に行けるかどうかも危ういレベルなんですね。自分の中で半ば諦めに近いものが出てきたんですよ。これじゃあ優勝争いなんてとんでもないって。それで、その気持ちがスタートに表れてしまったというか、「早くゴールしたい。さっさと終わらせた」と思うようになっていたんです。それが自然と構えに表れて、高い姿勢になってパッと行ってやると思って出たら、結果的にスタートを上手く出れてタイムも良かったという。そういう風に至ったのはただの偶然だったんです。自分は早慶戦が終わってから2週間ずっとスタートと向き合ってきてここが改善されないと自分は良くならないと思ってきたんです。当日までやってきた努力は直接は結びつかなかったんですけど、準決勝でたまたまなった形が自分にしっくりきていたスタートだったんです。
――ドラマですねそうですね
自分の中でこれはすごくドラマで、2週間向き合ってきた姿勢が偶然を呼んでくれたのかなと思う時もあります。「こうしたらいい」みたいのは無くて、偶然そうなっただけですね。
――スタートは陸上を始めた時から強みだったんですか
そうですね。僕は昔からスタート低い姿勢を取っていたんです。小学生の時は下向きながら走っていて(笑)そこで「あの子スタートが速いね」とか言われていたんで、自分ってスタートが速いんだっていうのはそこから意識しています。中学校入っても、背が小さかったのもあったので、スタートでリードして後半に抜かされるみたいなレースをずっとしてきたので、自分の武器はずっとスタートですね。小中高大とそれできているので、僕の100mの生命線といっても過言ではないと思います。
――昔は背が低かったんですか
僕は149センチで小学校を卒業したので、全国大会とか県大会決勝くらいになるとみんな巨人のように見える中で走ってきました。そう考えると親にもよく言われるんですけど、少しはマシになったかと(笑)
――今は何センチなんですか
176センチです。
――中高でかなり伸びた
中3くらいから伸びていきましたね。176センチで普通になったと言われますが、世界大会になると、周りはすごく大きくて見上げるようなので、そういった意味では変わっていないと思います。
――背が伸びていくにつれてタイムも伸びていったそうですね
背が伸びている間は最悪練習はしなくても伸びていた時期がありました。伸びるのがだんだんなくなっていくにつれて、性根入れてやらないと記録がやばいんじゃないかっていう気持ちになってきますね。
――記録が出ての周囲の反応は
本当におめでとうって言ってくれる友達もいますし、親も言ってくれましたね。親は今までは「お疲れ」っていう感じだったんですが、「やったな」って。全国大会で勝ったときはいつもそんな感じだったので、自分がそういう記録を出したんだって思います。あとは、慶應のニュースになったらしく、学校の方でも声を掛けられるようになった気がします(笑)
――国体の場所が地元・広島と近い山口でしたが
広島からの応援に来てくれる人が多くて、地元の後輩たちが現地まで来てくれたり、親がきてくれたり、知っている人がいたり。アットホームな感じはしましたね。
――記録が出た反面、江里口選手と川面選手には後塵を拝しましたが
川面さんとは日本選手権、関東インカレ、全日本インカレとすごく縮まった気がします。今回は100分の1秒差は良くやった方だなとも思いますが。江里口さんの方で言えば、強いなと思うのと同時に自分が今後日本の単距離会を引っ張っていく気があるのであれば越えなければいけない存在だとは思います。その点では差を開けられたとは思いますが、江里口さんとは思ったほどの差は感じずに、順位は3番でしたが去年千葉国体で優勝した時ぐらい嬉しかったです。冬にはまた違ったトレーニングをして、春にはまた違った自分になれるようにしたいです。その時には江里口さんにも勝てるようになっていたいですね。
――冬はどんなことに取り組まれるんですか
あまりやってこなかった補強的なところをやろうと。イチローのトレーニングであったり、伊東浩司さんのトレーニングであったり。まずは読んで分析して、そういうのに取り組んでいこうと思っています。やっぱり、そういうトレーニングは考えての決勝だと思うんですよ。参考にしたいと思っています。 日本インカレでは準優勝に輝いた
――日本インカレについて伺います。100mで2位でしたが、振り返るとどうでしょうか
向かい風もあってそんなにタイムが出なかったことはあるんですけど、まだ自分の思ったような走りじゃない、自分の思ったような状態じゃありませんでした。川面さん(中大)が失格にならなかったら多分3位だったと思いますし、そういった意味でまだまだだと思います。
――川面選手のフライングの時に全く釣られていなかったが
スタートってピストルの音が鳴った瞬間に出るというか、そういう練習をしてきているので、周りを見ることもないですね。結果的には川面さんが鳴る前に出ただけであって、一発失格であることもルールとしてありますし、鳴ってから出ようというのがあるので、釣られて出ることはないです。そういうレースで緊張で周りが見れないほどになってしまうと伸びやかなレースはできないと思うので、冷静な自分は持っていないといけないと思います。緊張はするんですけど、どうしようもないほど緊張することは無いですね。
――この時もスタートは不調だそうですが、レース序盤は山縣選手が引っ張っていました
スタートは早いと言われているんですけど、僕の実感としては走れていないと思って走っています。小谷さんについて言えば、加速が上手な選手なのでそこでいかれてしまう。自分が同じスタートを切ってしまうと、加速のところで差を付けられてしまうので、もっと前にいないといけなと思います。周りの人は自分が勝っているように見えたかもしれないんですけど、自分がもっと上手くスタートしていればもっと前にいると思います。あの時もスタートが良かったとは思えませんね。
――200mで棄権したのは
エントリーをさせてもらって、競技者として棄権は一番嫌いなことの一つなんですけど、あえてそうさせてもらったのは、100mの決勝と4×100mリレーの決勝があって、200mがその間にあったんですね。うまく走れていたら「もう一本いける、もう一本いける」ってなると思うんですけど、その時はうまく走れていない時期なので、一本一本の疲労が顕著な感じで集中力もなくなってしまいそうな時だったんです。本当にこの一本に出たら、4年生と一緒に走る全カレの4継の決勝で「出なかった方が良かったんじゃないか」と思いかねないと感じたんです。なので、欠場させてもらいました。自分の実感として、あのまま200mのレースを3本走ったとしても満足のいく結果は得られなかったと思うんですね。それもあって今回は止めておこうと思いました。
――リレーでは慶大記録も出ましたが
メンバーが関東インカレと一緒で、関東インカレの反省もあったので、最後の一本で納得のいくように仕上げるぞと臨みました。タイム自体は良かったと思いますが、順位が1番を狙っていての3番だったので、先輩は悔しがっていましたし、自分としても勝ちたかった想いはありました。
――関東インカレでの課題は
バトンパスをするときに、歩数が重要なんです。歩数の調整が関東インカレで不完全燃焼だったので、ドンピシャの距離を保とうという感じで練習から取り組んできました。
――来年はリレーメンバーが4人中3人残りますが、もっと上を目指せる実感はありますか
僕は38秒台が出ると思っています。タイムで言えばそれくらいで、中央大学は強いですけど、38秒台を出せれば近いと思います。
*日本インカレで出たタイムは39秒32。優勝した中大は38秒85
――狙っているタイムはありますか
タイムを直接狙うというよりは、自分の納得いくような走りをして、そしたら結果的にタイムもついてくると思います。自分が良かったなと思うレースをできるようにしたいです。
――理想とするレースは
今シーズンで言えばスタートがずっと上手くいっていない中で、スタートからスムーズにゴールまで駆け抜けていく。そういうレースをしたいという想いはありました。今はスタートが良くなっているのであれば、中盤から後半の走りが自分は課題だと思うので、減速区間の最後にスピードが落ちてくるとこをいかに抑えて走るかですね。そういう努力もしているので、この走りが良かったと思えるようにしたいですね。
――最後にWebを見ている方にメッセージを
今回の記録もピンとこない方もいらっしゃると思います。今はジュニア1位ですがいつかはシニアの方でいけるように頑張っていきますので、頭の片隅にでも僕のことを入れといてください。それで「あ、あいつじゃん」みたいに思ってもらえれば幸いです。これからの活躍に注目してください!
――お忙しい中、ありがとうございました!
By Tomoki Kakizaki
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