【競走】三四会からの新戦力/医学部ランナー対談 金丸蒼×澤田薫(前編) 箱根駅伝予選会直前特集⑤

競走

箱根駅伝予選会まであと6日!慶スポでは本番を直前に控えた選手方・スタッフにインタビューを行いました。箱根駅伝予選会特集5日目の本日は、共に医学部體育會・三四会競走部より慶大競走部の仲間に加わった医学部ランナー!慶大競走部に入ったきっかけや三四会競走部について、本番の意気込みまでを2部構成でお送りします!これを読んで是非当日も声援を送りましょう!

プロフィール
 
(写真左)金丸蒼(医学部5年・国立)
(写真右)澤田薫(医学部2年・渋谷教育幕張)/三四会競走部主将
 
慶應義塾大学医学部・三四会競走部とは?
慶應義塾大学の医学部・薬学部・看護医療学部の学生が主体となって活動する陸上競技部。医療系学生を中心とした部であるため、医学・看護・薬学といった専門学部の勉強と運動の両立をしている人が多く在籍する。主に、東日本医科学生総合体育大会(東医体)や東日本医療系学生対抗陸上競技大会(東コメ)など、他大学の医療・医学生との大会に向けて練習を重ねている。2025年現在も、6学年でおよそ50人の部員が所属している。(参考文献:慶應義塾大学医学部三四会競走部公式サイト「三四会競走部について」慶應義塾大学医学部三四会競走部
 

――他己紹介をお願いします

澤田選手 → 金丸選手

金丸さんは、僕が慶應の三四会競走部(医学部競走部)に入部した時の上級生で、その中でも一番長距離が速いという印象でした。当時からずっと追いかけている存在です。練習面でも普段の生活でも、陸上にかける思いや姿勢がまるで違うなと感じていて、これまでもずっと陸上に関して追い続けている存在です。「いつか追い抜きたい」と常に思っていて、しかも陸上だけでなく勉強の面でもしっかり取り組んでいる、本当に尊敬する先輩です。今、僕は三四会競走部の主将を務めていますが、金丸さんはその前年の主将でした。主将としての姿勢や在り方も非常に勉強になっていて、常に僕の一歩前を走っている存在です。

競技会で競り合う金丸(左)と澤田(右)

金丸選手 → 澤田選手

澤田は学年では3つ下ですが、年の差は2歳です。僕も澤田も一浪していて、僕が3年生の時に1年生として入部してきました。三四会競走部は少し事情があって、僕の1つ下の学年にはほとんど後輩がいなくて、特に長距離ブロックはほぼゼロで、後輩が欲しいと思っていた時に澤田が入ってきてくれて、本当に嬉しかったのを覚えています。彼は僕と違って中学・高校の頃から実力があり、「いつ抜かれるかな」と正直不安もありましたが、意外となかなか抜かれずに2年ほど経ちました。けれど今年に入ってからは、もう抜き返せないくらいの差がついてしまい、非常に悔しい状況です。この半年で一気に実力を伸ばしてきた、その陸上に対するひたむきさは、後輩ながら本当に尊敬できる部分です。彼はさっき僕のことを「目標」と言ってくれましたが、今ではむしろ僕が澤田を目標にしています

――お二人が陸上を始めたきっかけは?

「単に成長が早かっただけで6年生のときだけ妙に足が速くなって」(金丸)

金丸陸上を始めたきっかけは、小6になって急に身長が伸びたことです。今は175cmくらいあるんですが、小6のときにすでに165cmくらいあって、当時の同級生と比べても明らかに大きかったんです。そうすると、足も長くなって筋肉も少しついてきて、特別才能があったわけじゃないんですけど、単に成長が早かっただけで6年生のときだけ妙に足が速くなって。それで「もしかして自分、陸上いけるんじゃないか」って思って、中学に入ってからも陸上を続けることにしました。そこから身長はあと10cmくらいしか伸びなかったのでアドバンテージはなくなったんですけど(笑)、あのときの経験で自信を持てたのが、陸上を始める一番のきっかけだったと思います。

澤田陸上を始めたのは中3のときです。途中から陸上部に入ったんですけど、それまでは野球をやってました。で、学校のマラソン大会でけっこういい順位を取って、「あれ?これ意外といけるかも」と思って(笑)、中3から陸上を始めた感じですね。

――澤田選手は、箱根駅伝に出場することが、小さい頃からの夢だったんですよね?

「『うわ、これめっちゃかっこいいな』って思って」(澤田)

そうですね。家ではお正月になるといつもテレビで箱根駅伝が流れてて、自然と見るようになりました。小学生の頃から毎年見てて、「うわ、これめっちゃかっこいいな」って思ってたんですよ。お正月にみんなが見てるテレビ番組で、この東海道を走って、沿道の人たちからあんなに応援されるっていうのはほんとにすごいなと思って。当時は、早稲田の臙脂(えんじ)のユニフォームがすごくかっこよく見えて、ちょっと憧れてましたね。ただ、その頃は別に陸上をやってたわけじゃなかったんですけど、「いいなあ」ってずっと思ってました。

――慶大競走部に入部した経緯を教えてください

澤田僕は大学に入っても「やっぱり陸上を続けたいな」と思っていて、最初は三四会の方に入りました。ただ、箱根駅伝への憧れがずっと頭の隅にあったので、1年の4月の新歓の時期に、何回か競走部の練習にも参加させてもらってたんです。そのときに東さんとか安田さんと知り合って、すごく刺激を受けたんですけど、結局その時は入部しませんでした。

そこからしばらく時間が経って、今年度に入って競技場で安田さんに会ったときに「もう一度やってみない?」と声をかけてもらって。長距離ブロックって途中入部が基本的には難しいんですけど、ありがたいことにチャンスをもらえて、「やるなら今しかないな」と思って、4月か5月頃から練習に参加して、8月から正式に入部しました。

「『やるなら今しかないな』と思って」(澤田)

金丸自分は高校のとき、正直そんなに実力がなかったので、大学に入ってすぐ競走部に入っても練習についていけないだろうなと思ってたんです。それでまずは医学部の三四会競走部に入って、そっちで4年間しっかり力をつけようと考えました。そしたら、三四会で練習を続けていくうちに少しずつ力がついてきて、「これなら全学の競走部でも練習できるかも」と思えるようになって。

そのタイミングでちょうど安田から声をかけてもらいました。「一緒に競走部の練習にも出てみない?」という話をもらって何回か参加していたところ、駅伝主将の東くんやヘッドコーチの保科さんから「本格的に一緒にやってみよう」と誘ってもらって、今回入部することになりました。

――金丸選手は、三四会競走部での4年間で高校時代から大幅にベストタイムを更新しています。その要因をご自身ではどう考えていますか?

「目に見える目標を1つずつクリアしていけた」(金丸)

やっぱり医学部陸上部の大会って、関カレ(関東インカレ)とかに比べると、入賞や表彰台を狙いやすいレベルにあるんですよね。だからこそ、段階的に目標を立てやすかったというのが大きいと思います。例えば「15分台で走れれば入賞できる」みたいに、目に見える目標を1つずつクリアしていけたのが良かったです。そこから徐々にレベルを上げていって、1500mでは神奈川選手権で入賞、次は関東選手権で入賞、みたいに少しずつ上の大会を目指すことで、無理なく力をつけていけたのが、成長の一番の要因かなと思います。

――澤田選手は現在、三四会競走部の主将も務められています。慶大競走部との違いをどんなところに感じますか?

そうですね、やっぱり三四会の部員は、陸上をやりつつも、それ以外にも頑張りたいことがある人が多い印象でした。長距離に関しては基本的に指導者の方がいなくて、自分たちでメニューを考えて練習する形だったんです。

一方で、体育会の方は長距離ブロックだと特に「箱根駅伝」という大きな目標に、全員が同じ方向を向いて取り組んでいて、すごく熱量を感じます。指導者の方々もしっかりサポートしてくださっていて、陸上に真剣に向き合える環境としては、本当にいい場所だなと感じています。

――今の三四会競走部の雰囲気について教えてください。

「自主性に任されている部分がより多いなと」(澤田・写真奥)

三四会は、部員それぞれの自主性に任されている部分がより多いなと感じます。特に今の6年生の投擲の選手なんかは、すごくモチベーション高くやっていて、いい刺激になってますね。自分のペースで陸上に取り組める環境がある一方で、大会の時は関東委員会の大会など、医学部の選手が集まる場で上位を目指すという共通の目標もあるんで、そういう意味では、全体としてとてもいい雰囲気だと思います。

――三四会競走部と慶大競走部との部活動の兼部を決断された当時はどういった心境でしたか?

そうですね、やっぱり「三四会の主将としての仕事がおろそかになってしまうんじゃないか」みたいな不安はありました。あと、三四会として一番大事にしている大会が、今年は8月にあって、それがちょうど全学の蔵王合宿と重なってしまったんです。なんとか特別に許可をいただいて、3日間だけ抜けて大会に出場して、また合宿に戻るという形を取ったんですけど、やっぱり医学部の大会に100%の状態で臨むのは難しい部分もありました。

主将としての責任を考えると、そのあたりは正直迷いがありましたね。でも、三四会のみんなに相談したら、「行ってみなよ」と背中を押してくれる人が多くて。そういう言葉もあって「じゃあ頑張ってみよう」と決断しました。

「3日間だけ抜けて大会に出場して、また合宿に戻るという形を取ったんですけど」(澤田)

――金丸選手は、現在医学部5年生。ご自身の今後の競技人生については、どのようなビジョンをお持ちですか?

三四会競走部で長距離をやっていた先輩方の中にも、卒業後も陸上を続けている方が多いので、自分もこれからも走りは続けていきたいなと思っています。ただ、やっぱり学生時代と同じ強度や意気込みでやるのは難しいと思うので、基本的には健康維持のためにマラソンをやる形で続けていけたらと。あとは、先輩の中には最近トライアスロンに挑戦している方もいるので、そういった新しい分野にもいつか挑戦してみたいなと思っています。

――そもそも、医者を目指すようになったきっかけは何だったんですか?
現役のときは、特に医者になりたいって気持ちは正直あまりなかったんですけど、浪人していた時に、祖母が慶應義塾大学病院で手術を受けてお世話になったんです。そのとき祖母が「慶應の先生は本当に素晴らしい」って何度も話していて、それを聞いて、「慶應で医者になれたらすごくいいな」と思うようになって、浪人の時に慶應の医学部を受験することを決めました。

「『慶應で医者になれたらすごくいいな』と」(金丸)

――将来、医者としてはどの分野を専門にされるんですか?

自分は外科というよりは内科志望で、将来的には大学院にも進んで、研究とかもできたらいいなと思ってます。

――学業と部活動を本気で続けるコツなどはありますか?

効率よく勉強することが大事なのかなと思ってます。自分は結構ランニングマシンで走ることが多いんですけど、その時に前にiPadを置いて、国試の予備校の授業動画を見ながら走ってるんです。やっぱりそうしないと、勉強時間と走る時間の両方を取るのが難しいんで。でもそのお陰で、走ってる時って脳も活性化されてるので、授業にも集中できるんですよ。だから一石二鳥というか、それが両立できてる秘訣かなと思ってます。

 

(取材:鈴木拓己、竹腰環 編集:竹腰環)

最後までお読みいただきありがとうございます。後編記事では二人の箱根駅伝、そして予選会にかける意気込みなどを記載しております。

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