25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第40回となる今回は、男子バレーボール部・渉外主務の河村歩奈(経4・慶應湘南藤沢)。バレーボール未経験ながらアナリストとして入部も、1年生の途中で渉外担当に転向。慶大バレー部の看板を背負って、大会運営、広報、外部との連絡など部を支える様々な業務に携わってきた。結果に直接貢献できないもどかしさに直面しながらも、渉外の存在意義と向き合い続けてきた河村。悩みながらも見つけた“自分なりの答え”とはー。慶應バレー部を想い続けた4年間の軌跡を辿る。
未経験ながらアナリストとして入部
河村がバレー部に入部したのは、1年生の5月。「勝敗により関われるのではないか」という憧れから、バレーボール未経験者ながらアナリストでの入部を決めた。星谷健太朗 前監督との面談の中で、未経験者であることについて聞かれた際も「部のために全ての時間を捧げます。できることは全部やります」と答えたという。しかし、実際に業務を任されると壁に直面。「案の定作戦も分からないし、コードの連携も全然覚えられなくて…一個上の陽大さん(=田鹿陽大/25卒アナリスト)とかにたくさんクイズを出してもらって覚えてました」と入部当初を振り返った。春リーグ終盤に渉外を担当していた同期が体調を崩して退部。欠員が発生した。2年ごとに必ず必要な役職であることから、頭の片隅で渉外への転向という可能性を認識するようになった。実際に星谷 前監督から渉外への転向を相談された際は「アナリストで頑張ろうと思って、もがいて努力していたから悔しさもあったけど、授業時間を割いてデータの修正をしていても時間がかかってしょうがなくて。将来的にもベンチに入ることも厳しいんじゃないかなと思い始めていたし、自分でもしんどいかなと思っていたから、先輩たちが心配するよりも受け入れられたかな」と語っていた。選手が相談のためにアナリストのもとを訪れるため、入部初期から選手とのコミュニケーションも取りやすかった。戦術面の疑問を解消するためにも、同期とは積極的にコミュニケーションを取っていた。

先輩の厳(右)とスタンドから応援する河村(中央右)
渉外は”無力”なのか
渉外に転向して迎えた最初の試合は1部残留をかけた入替戦。1部で4勝を挙げた慶大が2部の大学に負けるわけがないと、誰もが思っていた。しかし、結果は国際武道大に敗れて2部降格。「コロナ禍だったから観客も応援の部員もいないし、私と厳さん(=厳欣怡/24卒・渉外)は写真と動画を撮って、叫ぶことしかできなくて。渉外でどうやってチームに貢献できるんだろうと感じてしまった」と降格の瞬間を振り返る。さらに「厳さんが涙を堪えながら氷を作っているのを見て、渉外主務って無力だよねって言ってるのを聞いて、その時は渉外主務という仕事に絶望したというか…できること全然ないじゃんって思ってしまった良くない記憶がある」と正直に語ってくれた。それでも、3週間後の早慶戦を盛り上げようとスタッフが中心となって様々な企画を行い、当日も超満員の観客の中で楽しそうにプレーする選手たちの姿を見た時、「自信を取り戻すきっかけを渉外主務が作っているのが分かったので、存在意義をちょっと見つけられた気がした」という。試合には敗れてしまったが、早稲田相手にフルセットの激闘を繰り広げた。
1年生の12月にはお世話になっていた4年生が引退し、モチベーションを見失いかけたこともあった。そんな時でも、慶應主催となる次年度の早慶戦のためにやるべき仕事山積みだったため、立ち止まっている暇はなかった。2年生ながら早慶戦のグッズ統括を任せてもらい、先輩やOBOGとも連携を取りながら準備を進めた。「やってきたことが形になってくるとモチベーションにも繋がったし、だんだん部活が楽しくなってきた頃かな。4年間で唯一、通年で1部にいた代。厳さんも最後だからいろんなことに挑戦していて、そのお手伝いをさせてもらってすごい充実していた1年間だったと思います」と振り返る。河村にとって「存在意義を悩んでいる場合なんてない。ミッションは自分で作るもんなんだ」という大事な気づきを得られた2年生だった。

同期の活躍もあった2年時の全日本インカレ
渉外主務として走り続けた2年間
一番大変だったと振り返る3年生。渉外のトップとして、広報や試合運営で慶大バレー部の看板を背負うようになったのがこの年だった。チームを思うが故に、先輩から厳しい意見を受けることもあった。それでも「この代の幹部の一員として、仕事を任せてもらえているという感覚は確かにあった」という。そのほか、渉外の後輩ができたことで人に教える難しさを実感した1年でもあった。「強い言い方とか怒るのが苦手なタイプ。教え方も下手だから申し訳なかったけど、頑張って成長してくれてありがとうって思ってます」と話していた。
ラストイヤーは就職活動に加えて、Sprout Camp、早慶戦、全早慶明定期戦など慶應主催の試合が多かったこともあり、目の前のことに追われていた1年だったという。一方で「同期や幹部陣が一定のリスペクトを持ってくれていたのか、スタッフに裁量を与えてくれたおかげで様々なことに挑戦できた年でもあった」と振り返る。さらに1年生に女子マネージャーが2人入部してくれたおかげで、精神面でも業務面でも助けられた部分が大きかったという。「本人たちはそう思っていないかもしれないけど、私は何も教えてないのに積極的に選手とコミュニケーションを取ったり、頼もしく仕事をしてくれている。それは彼女たちの人柄とか人間性の賜物だと思うし、本当にありがたかった」と後輩たちに感謝を述べた。

後輩と笑顔で写真に映る河村(左)
同期である山木の存在が大きかった
「恥ずかしいからあまり言わないんだけど、本当に山木(=山木柊/文4・慶應湘南藤沢)がいてくれたからなんとかなった」と河村は話していた。「山木がいろんな複雑な気持ちで主務になったのを知っているから言いづらいけど、私の立場では柊が主務で本当に良かったなと思います」と山木への感謝を口にした。決断力のある山木は、河村が描いたやりたいことを実現すべく筋道を立てて導いてくれる存在だった。「私は理想論者だけど、柊はリアリストだから。そこで衝突したり言い合ったりもしたけど、バランスが良かったのかな」という。
慶應主催となった最後の早慶戦は、今までの中でも「早稲田と一緒に創れた」感覚があったと振り返る。「準備がしんどすぎて楽しかった思い出があまりないけど(笑)…当日はそれが全部報われて。朝から泣いてました」と恥ずかしそうに語ってくれた。河村たちは「日本一の大会」を目指していた。そして、日本一人を動かして、お金を動かして、日本一の試合内容にするために、前年度から進化する部分を作ることを大事にしていた。早稲田開催の1年時はコロナ明けということもあり沢山の人が集まった。慶應開催の2年時は再現性のある形で盛り上げるために、エンタメ性を持たせて一部座席を有料化。3年時は完全有料化に加えて“ワセメシ弁当”の販売を行った。そして、最後の早慶戦では翌年以降のステップアップに繋げるために、値段の傾斜、フロア席への特典付与、入場の演出など細部までこだわり尽くした。特に入場の演出にスモークを取り入れたいという河村の要望に対し、同期の山木柊だけでなく、副務の林航大(商3・慶應)も尽力。自ら業者を探して実現に貢献するなど、林の成長も感じる早慶戦となった。また最後の早慶戦を通して、河村は新しいことに挑戦する面白さに気づけたという。「ダメ元で新しいことに挑戦するのはプラスでしかないなと思った。できなくても0だし、できたら誰もやってなかったのにできたの?!ってなるし、ノーリスクハイリターンだなって思えるようになった」と語っていた。

早慶戦の入場演出
慶大バレー部は「元気をもらえる場所」
河村にとって慶大バレー部は「元気をもらえる場所」だ。毎日部活に行って、先輩や同期、後輩と話す時間が何よりも楽しくて好きだった。「暇だと考えすぎちゃうから、みんなと話すだけでポジティブになれた。結構しんどいことなのに毎日自分の弱みと真正面から向き合い続けるみんなを見て、自分も負けていられないなとパワーをもらっていた」という。印象に残っている試合には、2年時の全日本インカレ愛学大戦を挙げた。前年度敗れた愛学大相手に、シーズンを通してスタメンを張っていた同期のL・山元康生(法4・慶應)に加えて、同じくLの平山一之心(商4・甲南)がディグで大活躍。「リベロが2人とも同期で。まじでこの人たち神だな。まじで誇らしいと思った」と当時の興奮を振り返る。また4年時の秋リーグでの日大戦勝利、全日本インカレでの学芸大戦の勝利についても、「自分の代は主に入来(=OP・入来晃徳/環4・佐世保南)しか試合に出てないけど、後輩たちが4年生のためにって言って頑張ってくれた。気持ちで実力を上回るプレーを発揮して勝ってくれたのがすごいありがたかったし、楽しかった。應援指導部とかも来てくれて、最後に愛を感じて幸せでした」と話してくれた。

学芸大に勝利した際の集合写真
一人では見られなかった景色を見られた4年間
経験者ではないにも関わらず、幼少期からバレーボールに向き合い続けてきた部員、日本代表に選ばれるような選手たちと同じチームで、同じ目標を見られることは決して当たり前のことではないと話す河村。「本当にこの部に入っていなかったら経験できていなかったことばかりで本当に恵まれていると思います。自分の持っている実力、本来の力以上のことをさせてもらったし、見せてもらった4年間でした」と語った。

試合前の練習をサポートする河村
そんな河村には、大学4年間で2つのターニングポイントがあった。1つ目は、入部を決断したこと。人生の中で勇気のいる決断をして、それを決断で終わらせずに4年間引退まで走り抜けたことは彼女の人生において大きな成長だった。2つ目は2年時の早慶戦でグッズ販売班を統括したこと。先輩やOBOGの方々ともコミュニケーションを取りながら、いかに部活のために立ち回るのかという点で主体性が身についたという。「自分がやらなければどうにもなりませんという状況に置かれたのが初めてだったから、あの時に乗り越えられたのは3年生で渉外主務になった時の自信にも繋がったかな。うまくいくことばっかりではなかったけど、すごく良い経験でした」と振り返った。
目の前の瞬間を、感情を大切に
河村が大事にしていたことは、「どうせやるなら前向きにやろう」という気持ち。「文句を言いたくなることもあるけど、そう思ってもしんどくなるだけだと思うから。渉外は自分がやらなくても良い仕事の方が多いかもしれない。でも、誰かがやらなければいけない仕事をいかに自分が楽しんで、いかに効率化してやるかっていうところは大事にしていたから3、4年生は楽しめた」という。また慶應バレーの歴史を繋いでいくために、慶大バレー部に入りたいと思う高校生を増やすべく広報活動にも注力していた。アナリスト時代に培った戦術理解やプレーへの理解は、広報活動でのリール動画作成などにも役立ったと話す。
来年度のチームを率いる後輩たちに対しては、「大学4年生は戻ってこない。人生で戻りたくても戻ってこない時間だから、その時にしか感じられない感情を大切に頑張ってほしい。ずっと応援しています」と背中を押した。さらに、スタッフの後輩に対しては「誰かのための4年間にするのが美徳に思えるかもしれないけど、それだとすごくしんどいと思うから。部活に入った自分なりの目的があると思うから、自分のために頑張ってもいいんだよって伝えてあげたいです」と、その温かい言葉に河村の人柄が溢れていた。

バレー部を想い続けてきた河村
河村の残した温かさと、部活との向き合い方ー。
その継承者たちが慶大バレー部の未来を明るく照らすだろう。
(取材:長掛真依)

