【ソッカー(男子)】「俺にしかできないことを」直向きに武器を磨き、組織と向き合う/4年生卒業企画「光るとき」 No.47・洪潤太

ソッカー男子

25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第47回となる今回は、男子ソッカー部の洪潤太(政4・東京朝鮮中高級学校/三菱養和SCユース)。1年時から着実に経験を積んで成長を遂げ、4年時は正GKとして慶大ゴールを守ってきた。試合の中でボールに触れる時間が圧倒的に少ないGK。そんな彼は、ピッチに立つGKとして、慶大ソッカー部の一員として何を想い、この4年間を過ごしてきたのか。

 

サッカーがとにかく楽しかった

保育園の頃にサッカーを始めて以来、気づけば当たり前のようにボールを追い続けていたという洪。当時はGKではなく、フィールドプレーヤーとしてピッチを駆け回っていた。「人より少し器用にこなせたことで、小さな成功体験を味わううちに、気づけば夢中でサッカーを続けていた。ただサッカーが楽しかった」と当時を振り返る。

GKに転向したのは小学校5年生の時。Jリーグの下部組織のセレクションを受ける中で、偶然GKで登録した浦和レッズのジュニアチームに縁があった。当時のチームでGKは洪と、現在日本代表でも活躍する鈴木彩艶(現・セリエAのパルマ・カルチョ1913)の2人のみ。「小学生の頃は始めたばかりで上手くなかったから成功体験もないし、彩艶くんと比較されるのがすごく苦しくて正直GKを辞めたかった。この人みたいになれないよってずっと思ってた」と当時の胸の内を明かしてくれた。それでも中学生からは、「こんなすごい選手と一緒にやれている俺すごいなって、GKが楽しいと思えるようになった」という。中学生でもGKを続けたことから、洪がプロを目指すにはGK以外に道はなかった。高校時代はユースに上がれなかったこともあり浦和レッズを離れて、三菱養和SCユースでプレーした。

三菱養和SCユースでは主将・田中雄大と一緒だった

ソッカー部での4年間は“計画通り”だった

高校卒業後も、大学でサッカーを続けることに迷いはなかったという洪。大学4年間を振り返り「サッカー選手という夢は叶えられなかったけど、自己実現という意味では計画通りだった」と話す。彼は大学に入学する時点で自分なりのビジョンを描いていた。それは「大学1年時はひたすら練習をして、2年時に徐々に試合に出て、3年時にもう少しレベルアップして、4年時に試合で活躍する」というものだった。特に1年時はカテゴリに対してGKの人数が少なかったことから、多い時は4部練をするほど練習に打ち込んでいた。人に恵まれ、温かい環境で伸び伸びとプレーさせてもらえたことで、失点への過度な恐怖心を感じずにプレーできるようになったという。

 

2年生は、サッカーの楽しさを再認識した1年だった。シーズンの初めは怪我で思うようなスタートを切れなかったものの、B1のIリーグ(インデペンデンスリーグ)に出場したほか、トップチームの練習へ呼ばれるようになった。中でも、9月9日に行われたIリーグの日体大戦は洪にとって忘れられない試合となった。大学での初勝利だけでなく、高校時代に伸び悩んだ洪にとって2年半ぶりの勝利だった。「自分なりにも勝利に貢献できた感覚があったから改めてGKって面白いなって思えたし、サッカー楽しいな、勝ちっていいなって気づけた2年生だった」と振り返る。

関東リーグでベンチインも経験した

3年生を迎えるタイミングで、監督が交代。「中町監督のプレースタイル的に、今年出られるかもなって思ってた。慶應の中だったら足元、ボール回しとかが俺の武器だと思っていたから。でも、そんなに甘くはなかった」という。この年は1つ上の村上健がスタメンで出場しており、ベンチには根津拓斗が控えていた。その中で「自分が出たいとか、勝たせてやるという思いは本当になくて。おこがましいけど、正直俺が出るくらいなら根津くんに出てほしいなという思いで、1年の時みたいにひたすら練習してたかな」と振り返った。

正GKとして戦ったラストイヤー

新体制となり、最上級生として戦った3年時の天皇杯予選。慶大の新チームは早大に完封勝利を収め、幸先の良いスタートを切った。「ここまで3年かけて準備してきたつもりだったから、年末の天皇杯予選は成果が出たなと思った」と話す。しかし、その後は彼にとって満足のいくシーズンではなかったという。「天皇杯予選が唯一の無失点試合だったことに象徴されるように、試合に出たけどあまり貢献できなかったなと思う1年。楽しく充実してたけど、結果としては2部降格ですごい不甲斐ないなと思った」と振り返る。それでも「後悔はない。やり切ったことは間違いない」という。特に印象に残っているのは、アミノバイタルカップの明大戦だと語る洪。「唯一貢献できたのかなと思う試合で、最後は相手のロングスローからパワープレーでどんどんボールを放り込んできたけど、ほとんどキャッチして攻撃を止められた。大事な場面で貢献できたからポジティブな意味で印象に残っている」と話してくれた。

洪のセーブで試合が終了した瞬間

原動力は「チームのために」

大学4年生になったタイミングで、プロの道は厳しいと悟ったと話す洪。それでも走り続けられたのは、チームのためだった。「GM(グラウンドマネージャー)とか、試合に出られずともチームのために何かしようって行動する同期とかの存在も大きかったし、親に勝っている姿を見せたかった。あまり試合に出られている、勝っている姿をこれまでのカテゴリでは見せられなかったから、それが原動力だったかな」と振り返る。ソッカー部の絆の深さについては「どの部にも負けてないと思う。組織と同期に向き合う数が違う。その自負がある。練習が終わった後も別に何するでもなく残ってるし(笑)練習後の今日ご飯どこ行く?の会話が好きだった」と話してくれた。「(プレーオフの)法政戦が終わった時に、俺って悔しくて泣けるんだと思った。今までは別に泣かなかったから。サッカー終わる虚しさもあったけど、申し訳なさかな。それだけソッカー部を想ってたってことかな。これだけ組織と向き合ってどうやって動くか考えたのは大学が初めてで。大学が一番充実してたかな」と口にした。

仲間の存在が洪にとって大きな力になった

そんな洪でさえ「チームの一員になれたなと感じたのは3年生の時だった」と正直な思いを明かしてくれた。「それまでは傍観者というか、もちろん応援は全力でしてたけど、自分はトップチームで出られないから同期が出たら応援するくらいの感覚だった」という。だからこそ後輩には4年間をより充実したものにするために、ソッカー部という組織としっかり向き合ってほしいと語る。「本当に頑張ってほしい。OBは応援することしかできない。1、2年生の頃ってこの組織とどう向き合うかって想像しにくいし、俺もその筆頭株だったんだけどね(笑)」と彼らしく後輩にエールを送った。

 

GKとして駆け抜けた4年間

洪にとって、GKの先輩たちはライバルというよりも本気で活躍を願えるほど大切な存在だった。「本当に俺が出るくらいならというのも本当におこがましいけど、(一つ上の)4年生の活躍を心から願ってた。俺もこういう先輩になりたいなって常に思ってた」と振り返る。また先に登場した「計画通り」という言葉は特に印象的だった。「早い段階から計画をする癖があってイメージをより具体化できたから、この人には勝てないからこうしようとか、想像を膨らませられたから。現実を受け入れて、実現可能な目標を描けた。でも、俺にしかできないことはあると思っていたから、その武器を磨き続けて気づいてくれたらいいなと思っていた」と自分なりの戦い方を明かしてくれた。洪がGKとして大事にしていたのは、声を出し続けること。「シュートを止めるポジションって思われがちだけど、ボールを触るのって少ない時だと10分に1回あるかないか。それ以外の時間は常に声を出して、リスク管理したり、チームを鼓舞するっていう役割かな。キャプテンとは違う形でリーダーシップを常に取り続けていた」と振り返る。また洪が左足のキックを強化したことで、左足のボール捌きを練習する後輩を多く見かけるようになったことが嬉しかったという。

仲間の応援を背に左足でボールを蹴る洪

洪にとって「サッカーは人生だった」

これまでを振り返り「サッカーは人生だった」と話す洪。練習の2時間以外は、サッカーのための22時間を過ごしてきた。食生活をはじめ、明日の練習のために、試合のために走り続けてきた。「社会人チームでサッカーは続けるけど、人生を懸けるサッカーは終わり。これからは人生を豊かにするサッカーができたら良いかな。サッカーだけじゃないこれからの人生が楽しみ」と語っていた。

人生を懸けるサッカーから、人生を豊かにするサッカーへ。

新たな生活を楽しみに、自らの人生を彩っていく。

 

(取材:長掛真依)

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