【競走】「高校時代の戦友2人が箱根を目指す!」関口功太郎×鈴木太陽(前編)箱根駅伝予選会直前特集⑥

競走

箱根駅伝予選会まであと4日!慶スポでは本番を直前に控えた選手方・スタッフにインタビューを行いました。特集6日目の本日は、関口功太郎(経4・宇都宮)、鈴木太陽(環4・宇都宮)の高校時代からの親友/ライバルである“宇高コンビ”!慶大競走部に入ったきっかけや、高校時代からのエピソードトーク、予選会本番の意気込みに至るまで、2部構成でお送りします。これを読んで是非当日も声援を送りましょう!

プロフィール

(写真右)関口功太郎(経4・宇都宮)

(写真左)鈴木太陽(環4・宇都宮)

――他己紹介お願いします

鈴木選手➡関口選手

彼は関口功太郎という男です。自分とは高校から一緒で、高校・大学時代ともに最初の1、2年は長期の怪我をしていて、その間ちょっと周りと揉めたりもしていました。同期内でもミーティングを重ねて、高校の頃は「駅伝はもうやりません」「自分はトラックに専念します」ということがありました。しかし、高校最後は彼も戦力になってくれてました。

「自分を奮い立たせてくれる存在です」(鈴木)

彼は大学でも長期の離脱していたんですけど、3年生の時に、自分が怪我して全く走れない中で、彼が一気に早慶戦後にデビューして、予選会もチーム内3番というかなり快進撃を見せてくれました。

一気に突き抜ける力はすごく高い選手で、高校の頃は自分の方が多少上かなという感じだったんですけど、去年は完全に負けたなと思っています。それも自分の悔しさとなって、功太郎に絶対もう1回勝ちたいっていう強い思いがあって、奮い立たせてくれる存在です。

関口選手➡鈴木選手

鈴木太陽くんです。彼はもうその名の通り太陽のような存在で、周りの人に1番応援されている選手だと思います。自分の関わってきた中で、これほど応援されている選手はいないなと思うくらい彼の人柄を尊敬しています。

「周りに1番応援されている選手だと思います」(関口)

競技においても、常に自分の1歩前を走ってきた存在ですし、常にボケっとしているような感じもあるんですけど、実はものすごく考えていて、大会などのいろんな目標に向かってビジョンの組み立て方とか、そういったところは高校時代から学ばせてもらっていました。常に刺激を与えてくれる存在だと思います。

大学では、彼の中では思ったような結果ではなかったかもですが、その中でもしっかりとラストシーズンで結果を残してくれているのは流石の一言です。

――お互いの第一印象は?

鈴木:初めては中学校の時の試合で、彼が「太陽くん!」みたいな感じで、妙に明るいやつがいるなと思いました(笑)。高校、大学と最初の1、2年はダーク気があったんですけど、そこからは想像つかないぐらい明るいやつがいて。第一印象は飛び抜けて明るいやつが話しかけてきたなという感じでした。

関口:意外だね(笑)。陸上の友達をいっぱい作りたいと思っていたから、多分そういう感じ話しかけたと思います。僕の当時の印象は、髪の毛が茶色かったから、なんかハーフなんじゃないかというのが第一印象で。第一印象はアメリカンな男の子(笑)。

鈴木:中学の時は水泳専門でやっていたので、髪の毛の色が抜けちゃっていました。

関口:競技面ではスタミナが強いなというのが第一印象でした。

――お互いの意外な一面は?

鈴木:イヤホンとかつけて、寮でも話しかけるなオーラ出している時はあるんですけど、でも実は意外とグイグイ来る人が意外と好き。“話しかけるなオーラ”を突破して「おい、功太郎!」みたいな感じで言ってくれる人が意外と好きですね、彼は(笑)。

関口:意外というか、彼に対してすごいと思っているのは、人のことをよく観察しているところです。それこそ自分の今の印象を語ってくれたのも含め、よく見ているんだなと思うことが多々あります。普段はボケっとした感じなんですけど(笑)。そういった面では、高校時代にキャプテンを務めていたのも、こういう力に繋がっているのかなと思います。

「よく人のことを見ているなって」(関口)

――慶大競走部に入部された経緯は?

鈴木:自分が高3の時点で、慶應の練習会の方に参加させていただいて、その時に保科(光作HC)さんともお話ししました。他にも候補の大学はあったんですけど、「保科さんの元でやりたい」という気持ちが強くて、AO受験をすることを決意しました。

その時点で競走部に入ることは確定していたんですけど、某大学さんの監督にも声をかけられていて。その時に「どこに行きたいの?」と聞かれて「慶應を受験すること考えています」と伝えました。強豪大学の監督さんに声をかけていただけたので、自分の気持ち的にも揺れたんですけど、「慶應じゃチームで出られないでしょ。学連選抜ならいけるかもしれないけれど。チームで出た方が楽しいよ」と言われた時に、「いや、慶應で行くわ!」と思っちゃって。

そう思った時に「それぐらい自分は慶應に惹かれているんだ」と気がつきました。一瞬心は迷いましたけど「慶應に行って、某大学の選手を潰すぐらい強くなってやろう」という気持ちで慶應に決めました。

「『某大学の選手を潰すぐらい強くなってやろう』という気持ちで」(鈴木)

関口:僕はまず大学選びの基準が「文武両道できるところ」というのと、もう1つが「箱根駅伝を自分の当時の競技レベルでも目指すことができる」というのを軸としていました。そういった中で、高2の3月に慶應の方からzoomの説明会に招待されて、慶應が選択肢の1つになって、受験シーズンを通していく中で最終的に慶應になりました。

――鈴木選手は、慶大競走部のどういった部分に惹かれたんですか?

鈴木:高校時代も、自分たちが入学する前までは、短距離から駅伝メンバーを駆り出すぐらいの野良チームのような感じでした。そんな中、2個上にたまたま強い先輩がいて、その人が朝練も何もなかった状態から朝練をはじめたんです。そこから自分たちも集まることで、学校初の関東駅伝に出場することができました。それがすごく楽しかったので、敷かれたレールの上で部内選考争いに勝って出る箱根駅伝よりも、みんなでどうしたら箱根駅伝に出られるか、どうしたらもっと強い大学、それこそ某大学みたいなところに勝てるかを考える方が、自分的にはワクワクします。泥臭くてもいいから、慶應で上を目指したいなと思いましたね。

「泥臭くてもいいから、慶應で上を目指したいなと」(鈴木)

――高校と大学の部活動における違いについて感じることはありますか?
関口1番変わったのが練習の量です。分かってはいたことなんですけど、入部当時の自分には多すぎて、その量をこなそうとしたら怪我する、というのを繰り返したのが1、2年の時でした。それで、ある時に安田(陸人=商4・開成)から「減らしてもいいんじゃない?」と言われたのも含めて、その時自分で変えなきゃいけないと思いました。緊張したんですけど、保科さんに言って、練習の量をちょっと落としてでも結果を求めようとしたくらいなんで、そういう意味でも本当に練習量が変わりましたね。

“量を落としてでも結果を求める”(関口)

鈴木1番は保科さんの存在です。高校時代は先ほど言ったように、学生同士でメニューを決めて、運営も全部自分たちでやるという状態でした。慶應では保科さんという存在がいて、自分の場合は1、2年生の時、それに甘えちゃっていた部分もあったというか、仮に試合で結果が出なかったとしても「保科さんに言われたことを愚直にこなしてたのに、これだったら仕方ないね」みたいな。自分が知らないうちに、保科さんに従うことに甘えていた自分がいました。でも、それじゃいけないと思って。チーム内で順番が上の人は、自分で考えることができると思うんですよ。

「保科さんに従うことに甘えていた自分がいました」(鈴木)

でも、功太郎はチーム内で3年生の最初の方は下から数えた方が早かったのに、保科さんと臆せず会話をして、「自分はこういう意図があるので、距離減らしたいです」とかコミュニケーションを取っていて、そういう姿勢が去年の快進撃に繋がっているのかなと思っていて。

結果に対するハングリーさみたいな。仮に過程を抜いてでも“結果を求めに行く“というのは、監督の存在の有無という点で高校との違いであり、またそこから自分がもう1度功太郎のおかげで取り戻せた部分、うまい塩梅で監督の力を借りつつ、自分も考えつつというバランスを取れるようになったのかなと思います。

――7年間一緒に陸上を続けてこれて良かったと思うことはありますか?

関口:僕は、1、2年の時怪我をしていて、太陽が言っていたように自分の殻にこもってしまった時期もありました。高校時代にも同じような状況があって、その時は2年の時に復活してチームにフィットするという形が多少取れました。当時の僕を知ってくれてる存在が身近にいたというのは、心強かったというか、いい時も悪い時も知ってくれてる存在が近くにいると、周りとの橋渡しをしてくれるかもしれないし、そういった面でメンタル的に支えられたと思います。

「当時の僕を知ってくれてる存在が身近にいた」(関口)

鈴木:自分は、去年すごく勇気をもらえました。功太郎は高校の時、ミドル(中距離)寄りかなと思っていたんですけど、今年の関東インカレで怪我からの弾丸調整で出た中「そんな走りできるのか、じゃあ俺もできるかな」みたいな。ミドルでも練習を詰めればハーフまで対応できるんだと、功太郎のおかげで自分も思えて。勝手ながら彼の成功体験が自分の支えになっています。自分的に1番支えられているのは去年、今年で、今年も信頼感は正直チームの中でも1番あるので、一緒に爆走したいなという思いがあります。

「そんな走りできるのか、じゃあ俺もできるかな」みたいな(鈴木)

 

(取材:鈴木拓己、竹腰環 編集:河合亜采子、小林由奈)

 

最後までお読みいただきありがとうございます。後編記事では箱根駅伝、そして予選会にかける意気込みなどを記載しております。

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