【ラグビー】早慶戦直前特集③主務、副務対談

 

左:岡副務 右:氏橋主務

早慶戦直前特集第3弾はチームを支える屋台骨、氏橋伸太郎主務(法4)と岡真太郎副務(経3)。慶大蹴球部という伝統あるチームを作るために様々なことを考え、実践するお二人。華やかな舞台の裏にある苦労から勝利の瞬間の嬉しさなど、多くのことを語っていただきました。最後までじっくりとご覧ください!

――マネージャー業を始めたきっかけは

氏橋 僕は普通部(慶應普通部)と塾高(慶應高)で主務をやっていまして、そこの経験からですね。選手と主務業を兼任していたんですが、この裏方の仕事が慶應ラグビーの中で重要なものだと体験から学びました。大学で続けるか考えた時に、自分からやる人があまりいない役職は、自分が小さい頃から憧れてきた慶應ラグビーの日本一に一番貢献できるものと考えました。そこで2つ上の川邊さん(政卒)にそういう方向で部に入りたいと相談させていただきまして、2年の夏まではプレーヤー兼任、それからはマネージャー専任でやらせてもらっています。

 僕の代は誰が主務をやるかが中々決まらなかったんですけど、最終的に僕が自分で手を挙げてやらせてもらいました。その理由としては同期の43人、当時は45人のうち40人近くが「岡しかいない」と言ってくれまして。残りの5人は昔からの友達とか、浪人して自分と同じ境遇のやつらが「一緒にラグビーがしたい」から票を入れられなかったけど、最終的に任せられるのは僕しかいないと言ってくれて、みんなが自分を推してくれるならその期待に応えようと思ってこの役職に就きました。氏橋さんは専任なんですけど、僕はこの時期までプレーヤーもやらせていただいています。

――昨季の澤野さん(経卒)もプレーヤーと兼任でしたが、何かアドバイスは

 澤野さんももちろんそうだったんですけど、絶対にマネージャー業優先だと。チームが日本一になるためにこの役職に就いているのであって、それを果たせなかったら何も意味がなくて、どんなに自分が練習で辛くてもチームのために裏方の仕事をすることが第一と。それが澤野さんの考えで、僕もすごく共感を覚えます。

――氏橋さんは黒黄ジャージを着ることを諦めるのに迷いはなかったか

氏橋 塾高の時もリザーブまでにしかなれなくて、3年生の新人戦の前にレギュラーだったんですけど肩を脱臼してしまって、それ以来うまくプレーできなかったんです。もちろん今でも選手たちが着て出ていくことを見ると悔しい気持ちはありますけど、僕は一生着れない立場ですし、僕はマネージャー業で貢献しないとこの組織にいる意味がないと思うんです。黒黄を諦めてもよりチームのコアな部分に関わって貢献できるのなら、そっちの方が僕にとっては価値があると言い聞かせています。今は迷いとかはないですね。

――マネージャーの主な仕事内容は

氏橋 男子マネージャーは全体を把握する立ち場で1,2,3,4の各学年にいます。男子マネージャーのイメージとしては監督の側にいつもいて、要望に迅速に応えることですね。それがチーム運営において一番大切なことでもあると思います。ラグビー的な指示以外を浸透させるのは難しいので。あとは対外的なことが多いですね。学校の対外事務室にアプローチするのは岡の役割で、僕は協会や他校の主務と関わりを持ちますね。

 1,2年生は3,4年生を見て学んで、経験を積むのがメインですね。

氏橋 最初は雑用が多いですね。外に行く準備は1,2年生のマネージャーがやっていて、学年を重ねるごとに対外的な仕事が増えていきますね。

――特に大変な仕事は

氏橋 1,2年で大変なことと、3,4年の主務、副務で大変なことはガラッと変わりますね。1,2年は体力的に大変なことが多いですね。部員がこなしている練習に加えてマネージャー業をやるので、体力的に大変ですね。3,4年生は責任としてのプレッシャーが大きいですね。大げさに言えばチームの方向性が変わってしまうと思います。あとはジュニア選手権の試合日程を決めることですね。対抗戦は協会が決めるんですが、ジュニア選手権は各大学同士で決めるので、思ったような日程が組めない時は焦りますね。

 そうですよね。今年の東海大戦は夏合宿から帰ってきて、1週間後に試合だったので。

氏橋 本当はもう少し遅くしたかったんですが、他校の日程の兼ね合いもあったので。

――ジュニア選手権以外のマッチングは

氏橋 基本的には監督と話し合いながらですね。主務から主務に連絡したり、場合によっては監督がきっかけを作ってくれてですね。僕たちがラグビー的な方向や技術的な方向は決められないので、そこは監督の意向に従いながらです。夏合宿も春ぐらいにやりたい相手を聞いて、相手の都合を聞いたりして決めます。

――やりたくない仕事は

 僕は...今はもう無いんですけど、朝と夜の戸締りですね。今は自動ロックで夜は誰も入れないようになっているんですけど、僕の時まで毎晩夜12時に鍵を閉めて、朝7時に起きて鍵を開ける生活が365日続いていました。それは正直しんどかったですね。

――氏橋さんもやられた

氏橋 そうですね。これは通る道なので。そこに本質的な意味は無いんですけど、単純にキツかったです。

――やりがいを感じるとこは

氏橋 自分がオーガナイズしたようなことが予定通りうまく行った時とかですね。些細なことで言えば、招待試合で地方に行った時に組んだ予定が上手く行った時は、些細な喜びがありますね。僕が一番感じるのは、主務がチームの代表みたいに見て頂けるので、「頑張ってね」とか声を掛けられた時はモチベーションになりますね。何か問題が起きた時は全部自分に最初にお叱りがくるので辛い部分はありますけど、慶應が、ラグビー部が評価される時はが一番嬉しいです。

 僕は試合に勝利した時ですね。全ての試合にマネージャーは絶対に関わっているので。他の部員は応援しかしていないかもしれない中で、マネージャーは絶対に何かしら関わっているので、誇りのようなものは持っています。自分が選手としてプレーしていなくても勝った時は嬉しいです。勝利した瞬間にマネージャー陣だけど泣きながら抱き合うのも日常茶飯事ですし、そういった瞬間ですね。 

氏橋 当事者意識を持とうと言っていて、裏方なんですけど、常に行動に関わっていると思っています。そういう意識を持ってやろうというのが目標であり、そういう意識を持っていると対抗戦でも本当に自分が勝ったかのような喜びを味わえるんです。試合に出ていないのに、めっちゃ疲れているんですよ。

――どういった組織を作りたいのか

氏橋 難しいですし、実現できているかは分からないんですが、チームのことや組織のことを常に前向きに関われる人間になって欲しいです。マネージャーにも総務コーチという方がいらっしゃいまして、去年の総務コーチの方に組織は絶対に引っ張っていく人間が2割いて、下に脱落してしまう2割に馴染めなかったり自分の目標が持てなかったりする奴がいると。そういう下の2割をいかに巻き込んでいくかがチームにとって永遠の課題であって、僕はその2割を減っていけば強いチームになっていくと思っています。153人いる中で難しいんですけど、後輩たちにもそこを目指していって欲しいです。 

岡 大学スポーツ全部に言えることだと思うんですが、組織を築いていくのは4年生であって、僕自身がどういう考えをもっていようと、それに付いていくのが役割だと思っています。自分がどうしていきたいかは勉強中ですし、主務になってみないと分からないと思います。今年のチームは仲宗根主将と氏橋主務を中心にまとまっていて、下の2割というのは本当に少ない素晴らしい代だと思います。

――マネージャーは模範的な行動を取らなければいけないと思いますが、注意することは

氏橋 真面目な人がマネージャーになる傾向はありますし、僕はルールを守ることは苦に思いませんね。OBの方と一番近いところにいて、模範になるように、と言われるので、自然と模範的な行動を取るようにはなりますね。 

 自分が注意するには自分がずっとやっていなければいけない、きちんとした行動を取っていかなければいけないと思います。当然という言い方はおかしいですけど、そういった行動はできていると思いますね。

――慶應らしい規律は

氏橋 一番は挨拶ですね。挨拶はどこの大学よりも徹底するようにしています。少し機械的になってしまっている部分はあるんですけど、挨拶だけはどの部より、他大学と比べても一番できるように指導しています。規律は厳しいわけではないですし、まだまだできていない部分は大きいですが。入部の時にもまず始めに言うところではあります。他にはある? 

 あまり思い浮かばないですね。厳しい規律っていうのはあまりないと思います。人として当たり前のあいさつなどはやっていきますが。

氏橋 そういう部分をしっかりさせるのがマネージャーに課せられた仕事ですね。

――一人称が「僕」というのは

氏橋 そこもみんな自然とできていると思います。 

 僕も入部当初は「俺」だったんですけど、今はもう言いたくないですね。 

氏橋 3年、4年のマネージャーになると、大人の方と接する機会が本当に多くなるので、僕たちはもう染みついていますね。学生レベルで「俺」がなくなるのは違和感がありますが、最前線にいくとそんな言葉を使わないのは当然なので、ルールとは感じないですね。

――歴代の主務から受け継がれているものは

氏橋 それはもう「花となるより根となろう」ですね。極端に試合に出ている選手や練習をしている選手が花とすれば、マネージャーは根だと思います。花は根がないと育たないように、根幹を担っているのはマネージャーで、地味な立ち位置ではあるんですがそこにいるのは僕たちの根本にあると思います。今年総務に来られた柴田さんにその話をして頂いて。目立つわけではないんですが、絶対不可欠な存在、そういう意識や自負を持ってやっていっています。歴代、歴史で言えばそういうことだと思います。 

 その通りだと思います。近いレベルで言えば、僕は澤野さんに頂いた言葉ですね。本当に言葉で言うというよりも、日々の姿勢なんかで見えてくると思います。

――暗黙的に受け継がれている

氏橋 一つ一つの仕事自体にすごく意味があるかと言われたら、僕はそうではないと思っていて、トータルで見た時に、その部を見る、把握することに意味があると思います。

――試合中に選手たちはどう映るか

氏橋 みんなの思いを背負っている感じがしますね。特に早慶戦ではそう感じます。僕たちもその人たちに思いを託すしかないので「頑張ってほしい」思いだけで見ています。

岡 早慶戦だけじゃないんですけど、ロッカールームを出る前には必ず部歌を歌う習慣、儀式があるんですね。その時に選手全員が泣いて感極まっているのを聴いて、この人たちに託すしかないと思います。グラウンドに立っているのを見ると、「勝ってくれ」って祈る、それしかないですね。 

氏橋 負けた時は本当に呆然とするだけですね。それから悲しさ、マネージャーとしての後悔がこみ上げてきてきます。特に泣いている選手なんかを見るとそうですね。 

 今まで2回先輩たちの引退を見ているんですけど、試合前には泣けるのに試合後に泣けないんですよ。本当に「なんで?」って呆然とするだけで。負けた時は言葉が出ないですね。ロッカールームに引き上げてもそういう感じで、先輩たちが引退した日に、1人1人から話しを聴く機会があって、その時に初めて「終わったんだ」って感じます。

――印象に残った言葉は

氏橋 負けた瞬間にも22人になれなかったことが悔しいとおっしゃる先輩がほとんどで、チームにポジティブな姿勢でやっていって欲しいと言ったのはそういう後悔がないように関わって欲しいと思っています。 

 僕は去年で言えば、竹本さん(前主将・環卒)が引退をされて最後に言った言葉は「自分はこの優勝できなかった責任をずっと背負って生きていく。本当に申し訳なかった」とみんなの前で言ってその後に竹本さんはその場からいなくなっちゃったんです。フラーっと。呆然と歩いている感じで、その竹本さんが印象に残っています。

――早慶戦とはどんな舞台か

氏橋 慶明戦にも通じることなんですけど、僕は去年までと今年で全然違いますね。今までは負けると本当に悔しい存在、不思議と闘争心が湧く相手でした。それが震災の影響で募金活動をやって変りました。早稲田と明治の主務や主将と話しをして、OBの方たちがおっしゃる早慶戦で戦った相手とずっと付き合いがあることの意味がやっと分かりました。今年はそれが変わって、負けても心から相手を称えることができる、勝っても自分たちのことだけでなくて早稲田のことも気にかけられると思います。

 僕も募金活動で早稲田や明治の副務と関わるようになって、慶明戦でも明治の副務と挨拶しましたし、本当に変りましたね。

――試合前に選手たちに掛けたい言葉は

 実際に試合に出る前にロッカールームで選手に声を掛けることはないんですよ。 

氏橋 僕たちは少しでもエネルギーをあげたいんですけど、集中しているので。出れないメンバーの分まで頑張ってくれと。個人的にはそれですね。みんなの寄せ書きをロッカールームには貼ってあるので、それを見て欲しいです。

 寄せ書きで選手1人1人に言葉を送っているので、ここでは恥ずかしいので言いません(笑)

氏橋 それぞれ思いはありますし、個々へのメッセージはそこに綴っています。

――お忙しい中、ありがとうございました!!

By Tomoki Kakizaki

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