4年生の苦戦、人員不足や主力のコンディション不良により、総合30位という結果で幕を閉じた今年の箱根駅伝予選会。そんな中でも2年生たちの好走が、慶大の挑戦に一筋の光を与えた。初レースで会心の走りを見せたランナー、けがを繰り返していた中で結果を出したランナー、淡々と自身の役割を全うしたランナー。喪失感や不安を拭い去り、彼らは箱根路への挑戦を続ける。長距離ブロックの未来を担う存在として。
箱根駅伝予選会の激闘を部員たちの証言をもとに振り返る「もう一つの箱根駅伝予選会」(全3弾)。第3弾の今回は、3人の2年生の好走と慶大駅伝チームの未来にスポットライトを当てる。
「自分の想像より出来過ぎてたなっていうか、ちょっと自分を褒めてもいいかなと思うぐらいいいレースができたなって感じでした」
2年生田口涼太(政2・慶應志木)は予選会の自身の走りを振り返った。彼の脳裏には、あの21キロのコースがありありと浮かんでくる。

チームトップの走りをみせた田口
田口の結果は、1時間4分27秒/個人順位160位。これは慶大選手12名の中で最速タイムだった。彼は慶應義塾志木高校ではバレーボール部に所属していた。陸上を本格的に始めたのは大学から。陸上初心者の田口にとって、これが初の予選会、さらに言えば初のハーフマラソン公式戦だった。会心のレースだったわけである。
第102回箱根駅伝予選会。主力の不調や棄権という想定外の事態が重なった慶應義塾大学は、前年よりもさらに一つ順位を落とし総合30位に沈んだ。それでもチームのレースが完全に崩れなかったのには理由がある。

チーム3位に入った弓田
弓田一徹(環2・法政二)、石野日向(商2・横浜国際)、そして田口ら2年生が力走をみせたからだ。
弓田は1時間5分30秒でチーム3位、石野は1時間6分13秒の自己ベストをマークしチーム5位。チーム内上位5傑に2年生3人が食い込んだことは、来年以降の活躍に少なからず期待を抱かせる好材料となる。

チーム5位に入った石野
彼ら3人はいかにしてこの好記録を残せたのか?
大会前、3人全員が万全のコンディションであったわけではない。
「メンタル面では、もうやるしかないかなと思って上手く割り切れてはいたんですけど、身体の面では2週間前にやっと練習を再開できたという感じで、不安な部分はかなり全然ありましたね」(田口)
こう語る田口と同様に、弓田も予選会2週間前までは走っては痛めての繰り返しであった。
「4月にした怪我がなかなか夏まで治らなくて、走っては痛めてっていうのを予選会の2週間くらいまでずっと続けていたので、身体の面は痛みに耐えながら練習を続けてるって感じで、流れは良くなかったんです」(弓田)

「痛みに耐えながら練習を続けてるって感じで」(弓田)
その一方で石野は、夏合宿で怪我をしたものの、その後は練習を継続できていた。
置かれた状況は三者三様だったが、予選会当日、3人はいずれも自分の現状を受け入れたうえで、もてる力を出し切る走りを見せることとなる。
例年設定ペースについて監督からの指示がある。しかし、今年は違った。
「コーチから、自分たちが考えた5キロごとのラップタイムで走るという指示がありました。僕たちは【10キロ通過を最低限30分台】という目標を共有していて、僕個人の場合は【5キロごとのタイムを16分台にしない(15分台でまとめる)こと】を目標にしていました」(石野)

「設定タイムは自分で決めていました」(石野)
予選会のコースでは、14キロ過ぎからフィニッシュ地点まで7キロにわたり昭和記念公園を走る。細かいアップダウンやカーブが続く難コースは、これまで数多くの慶大のランナーたちを苦しめてきた。
この判断は、ここ数年の選手たちの後半の失速を踏まえての対応だ。石野のコメントにもある通り、2年生の3人も自身で設定したペースをもとにレースに挑んでいた。
弓田は単独走を避け、自身の設定ペースに近いラップを刻む他大学の集団に混ざっていた。
「レース序盤に日体大や大東文化大の集団を見つけて、ついていこうと思いました。ペース的にちょうど良いくらいで、集団についていった方が気持ちとしても楽なので。実際に、大東文化さんの集団と一緒に公園内まではついて行けました」(弓田)

力走する弓田
田口は、チームの目標順位から逆算して自身の立ち回りを考えていた。
「チームは18位が目標で、1位(を狙う)とかではありません。だから、10位前後の大学(の選手たち)と走れればいいと思っていました。8位から12位あたりの大学――それこそ東農大や法政大の選手たちと同じ集団で走れる位置につけられたら、というイメージでした」(田口)

「10位前後の大学と走れればいいと」(田口)
レース開始時刻が前回大会より30分早まったこともあり、今大会はより走りやすい気象コンディションでの競技開始となった。そのため、オーバーペース覚悟で前半から突っ込み後半粘るレースプランをとる選手が例年に比べ多かった。
対照的に、今大会好走した3人はいずれも前半は抑えたペースを刻んだ。
「本来なら、最初の5キロは15分で入ってその後は15分10~20秒で耐えるのが理想だったのですが、脚の怪我が不安だったので実際少しペースは落としました。でも、前半は抑える形でプラン通りいけたかなと思います」(弓田)
「コース後半に体力を温存しておきたいと考え、前半はペースを抑えて入りました。もう少し早く入れるような感覚もありましたが、公園に入ってからのことを考えてペースを維持していました」(石野)

「もう少し早く入れるような感覚もありましたが…」(石野)
この冷静な判断が功を奏し、田口は14キロ過ぎの公園内に差し掛かってもペースを落とすことなく後半大幅に順位を上げ、弓田と石野は終盤に耐えるレースとなったものの、大きな失速なく走り切った。
自分の現状を把握し、それをもとに最善のレースプランで走る。この“前半我慢”する選択を選んだ勇気と自身のコンディションに応じた“レースマネジメント力”がこの3人の持ちタイム以上の好走につながったと言える。
田口は試合後に他の2年生2人とこんな話をしたという。
「2年生的には、それぞれ大満足ってわけではないですけど、各々の役割は果たせたと思ったので、みんなで『よかったな』『来年に繋がるな』みたいなことは喋りました」(田口)

「各々の役割は果たせたと思った」(田口)
石野と弓田も今回の走りに満足はしていないものの一定の評価を見せた。
「目標が【65分台】だったので、それをクリアできなかった悔しさがありました。また、同期の弓田には1分、田口には2分ほど離されてしまったので、それも悔しかったです。ただ、従来の自己ベストは70分台だったので、それを4分近く更新できた嬉しさも当然ありました」(石野)
「15キロまではペース的には完璧だったんですけど、怪我もあって長い距離の練習が思ったより積めてなくて、そこの量の差がラスト5キロの公園で顕著に出てきたなと思います」(弓田)

「ラスト5キロで差が出たなと」(弓田)
2年生の好走があったものの、チーム全体の結果は総合30位。主将東叶夢(環4・出水中央)など、4年生は皆ラストランで涙をのんだ。だが、彼ら最上級生の存在こそ2年生の原動力となっていた。

主将として田口ら下級生を引っ張ってきた東
寮で東と同部屋として生活し、普段からその言葉と競技への姿勢で強い影響を受けてきた田口はこう語る。
「(今年の)東さんのチームめっちゃ好きだったんですよ。だから、走ってる時も『後ろ、どうにか来てくれ』ってずっと思って振り返ってたので。走り終わったあとも、なかなかみんなが帰って来なくて、『みんな相当きついんだな』って感じて。もう終わりなのかと思った瞬間、僕、こみ上げてきちゃって……」(田口)

「『後ろ、どうにか来てくれ』って」(田口)
この言葉には、4年生が築き上げてきたこのチームのメンバーと共に少しでも長く走っていたい、そんな思いが滲んでいた。
箱根駅伝は2028年/第104回大会から、出走チーム数がこれまでの21チームから3枠増え、通常大会で24チーム、記念大会ではさらに2チームを加えた26チームが出場可能となる。
また、記念大会の開催頻度も、5年に1度から4年に1度となり、より多くの大学へと本戦出場の機会が広がっていくことは確実だ。

それでも
慶應義塾大学は2017年より始動した「慶應箱根駅伝プロジェクト」をもとに、選手へのサポート体制の整備を行い、選手たちも箱根駅伝出場を目標に日々練習を行っている。
プロジェクト始動以降の最高順位は19位。これまでの結果を考慮すると、慶應はさらに本戦出場から遠ざかってしまったと言わざるを得ない。気づけば、白地に「K」のユニフォームが箱根路から姿を消して、既に30年以上が経過していた。

その歩みを止めない限り
箱根駅伝は特別な大会である。個人のトラックレースとは違って走力などタイムだけが求められるものではない。1秒をどれだけ削り出すことができるか、どれだけ本戦に出場したい思いがあるか、“チームのために”という情熱があるかがとても重要だ。
今大会、チームトップで走った田口はその思いを強く体現した1人だった。そして、その思いを強くさせる原動力となったのは、これまでチームをけん引してきた4年生たちの存在である。
想いの継走こそ、箱根駅伝には欠かせない。

この先も
今大会を通して、2年生にとっての箱根予選会は、出場して走ることが夢となる場から、好走して本戦へと夢をつなぐ場へと変わった。
思うようにいかない状況でも、自分の走りに集中し、チームのために1秒を削る。その姿勢は、これまで先輩たちが示してきたものそのものだった。
今の2年生は来年3年生となる。駅伝チームの希望として今後彼らがどのような成長と遂げてくれるのか。そして、いつの日か三色旗の襷が箱根路を走り抜ける光景を目にすることとなれば、これほど嬉しいことはない。

想いの継走は続く
(記事:森田紗羽、取材:吾妻志穂、片山春佳、竹腰環、中原亜季帆、野村康介、森田紗羽)

