25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第31回となる今回は、ソッカー部女子の坂口芹(総4・仙台大学附明成)。ルーキーイヤーからレギュラーとしてプレーし続け、4年間でリーグ戦72試合のうち71試合に出場し、1年目途中から引退試合まで66試合連続出場を果たした坂口。ピッチに立つ中で芽生えた使命感と、4年間での成長に迫る。
宮城県出身。三姉妹の三女に生まれた坂口は、サッカーをしていた次女の影響で小学校3年生の時にサッカーを始めた。中学時代は部活で男子選手に混じってプレーし、さらにはクラブにも所属するサッカー漬けの日々。高校も女子サッカー部がある仙台大学附属明成に進んだ。高校2年生の際には、県内の強豪である常盤木学園と聖和学園を退け、宮城県の新人戦優勝を果たした。しかし、高校入学時に掲げた“2強(常盤木学園と聖和学園)を倒して全国大会に出場する”という目標には最後まで手が届かず。どこか物足りなさを感じたこともあり、大学でもサッカーを続けることを決意した。
仙台大にはインカレ常連の女子サッカー部があり、内部進学することを軸に考えていた。そんな中で、高校の監督に慶大、そしてソッカー部を勧められた。慶大を受験すれば、仙台大への内部進学権はなくなる。迷いもあったが、Youtubeでソッカー部の試合を観戦した際に、「人数が少ないながらも一人ひとりがチームのために体を張り、最後まで戦う姿に感銘を受けた」ことにより、慶大を目指すことを決意。合格を果たした。
ソッカー部入部直後はレベルの高さに驚かされた一方、1年目から出場を重ねた。チームは2部5位。目標の1部昇格には届かなかった。この頃は、人前に立って自分の意見を主張することが得意ではなかった。ルーキーとは言え、試合に出ている中で「自分がチームを引っ張る」という意識をあまり持たないままシーズンを終えてしまったことを悔いた。
その後悔が、坂口を変えた。2年目。組織のためにどう立ち振る舞うのか、常に考え、レギュラーとしてピッチに立つ者としての使命感を持ち始めた。チーム戦術の変更も転機となった。4―4―2から3―4―2―1へとシステムが変わり、坂口のポジションは左サイドバックから左ウイングバックに。慣れ親しんだ攻撃的なポジションに移ったことで、貢献度はたしかに上がっていった。しかし、チームは6位。また、昇格には届かなかった。
3年目は、同期が相次いで故障し、戦線を離脱。チームも苦しむ中で、使命感はいっそう高まっていった。「ピッチに居るからには居続けないといけない」。ジムでのトレーニングやケアを見直し、練習にも試合にも、常に万全のコンディションで臨むように努めた。使命感の高まりは、性格の変化にも現れていた。「チームや同期で話し合いをするときも、間違っていることがあったら「それは違うんじゃない?」と言ってくれる」(中村美桜、理4・慶應湘南藤沢)。「ミーティングや2人で話すときに、しっかりと自分の意見を言ってくれる」(守部葵、環4・十文字)。下級生の頃は、自分の意見を主張することが得意でなかった坂口。学年を重ねるごとに組織の中での自らの役割を考えるようになり、想いや意見を積極的に伝えるようになっていった。「自分と全く違った視点で物事を考えられるし、言葉にできるので、すごく頼りにしていた」(小熊藤子、環4・山脇学園/スフィーダ世田谷ユース)。しかし、3年目のシーズンも昇格ならず。1年目から追い続けてきた目標は、最終年まで持ち越しとなった。
ラストイヤーも、開幕戦を引き分けると、第2節で敗戦。「また、昇格できないかもしれない」。そのムードを払拭したのが、坂口のゴールだった。第3節の前半6分。ペナルティエリア内で右足を振り抜くと、ボールはサイドネットへと吸い込まれた。このゴールからチームは勢いに乗り、第3節から破竹の13連勝。4年目にしてついに昇格を争うこととなった。坂口も左ウイングバックで出場を続け、風を切る翼のようにサイドを駆け回った。
誰よりもピッチに立ち続けた坂口のラストマッチは、勝てば1部昇格が決まる一戦となった。坂口は左ウイングバックで先発出場。4―1とリードで迎えた後半30分。こぼれ球を拾うと、「芽衣(=髙松芽衣、新環3・植草学園大学附/ジェフユナイテッド市原・千葉レディースU18)とずっと練習していた」というカットインシュートを決めた。“引退試合でゴールを決める”。多くのサッカー選手にとって、理想の終わり方だろう。それを見事にやってのけた。チームは勝利し、ついに1部昇格を果たした。
2025年12月。関東大学女子サッカーリーグ戦の表彰式が行われ、坂口は出場記録特別賞を受賞した。出場記録特別賞とは、4年間で多くの試合に出場した選手に贈られる特別賞のことである。坂口は4年間でリーグ戦72試合のうち実に71試合に出場し、1年目の途中から引退試合までは66試合続けて出場した。もちろん、プレイヤーとして不可欠な存在であったことを示す賞であることは、言うまでもない。それに加え、けがをしないためのケアや準備など、彼女が実践してきた地道な努力の成果でもあるのだ。「人数が少ないながらも一人ひとりがチームのために体を張り、最後まで戦う姿に感銘を受けた」。ソッカー部を目指す決め手となった先輩たちの姿を、継承し、体現してきたことへの勲章だ。
ソッカー部女子の左サイドを見れば、常に坂口芹がいた。荒鷲の左ウイングバックと言えば、坂口芹だった。そんな彼女も、ソッカー部引退をもって、サッカー選手としての翼をたたむ。そして、清廉で高潔なその翼を再び広げ、社会へと飛び立っていく。

(取材・記事:柄澤晃希)


