【ソッカー(男子)】「支えてくれる人のために」真っ直ぐな憧れを胸に、誰よりも泥臭く/4年生卒業企画「光るとき」 No.45・立石宗悟

ソッカー男子

 

25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第45回となる今回は、男子ソッカー部の立石宗悟(法4・桐蔭学園)。高校生の頃に観た早慶戦の舞台に憧れて、慶大への入学を、ソッカー部への入部を志した。大学入学後は、1年時の開幕戦からFWとして関東リーグに出場。怪我や競争に苦しみながらも、真っ直ぐな憧れを胸に、泥臭く走り続けてきた。そんな彼の人生にとって、ソッカー部での4年間とはー。

 

慶應で早慶戦に出て、活躍したい

2人の兄の影響を受けて、5歳の時にサッカーを始めた立石。幼い頃から国内外を問わず引っ越しを繰り返してきた立石は、「どこに行っても、サッカーをきっかけに友達と仲良くなれた。サッカーが楽しいのはもちろんだけど、サッカーを通して得られる友達、サッカーを通じて人と繋がれることに喜びみたいなものを感じていた」という。

その後、高校1年時に兄がメンバー入りした早慶戦を観た時の感動が立石の人生に大きな影響を与えた。「大学の試合とは思えない観客とか、等々力の雰囲気がすごい魅力的に映って。自分もこの舞台で活躍したいと思ったのが原点」だと教えてくれた。それからは慶大に入るべく受験方法を模索し、最終的に法学部のFIT入試(総合選抜型入試)で合格を勝ち取った。桐蔭学園高に入るまではサッカーも上手い方ではなかったという立石。それでも、高校2年時の神奈川県大会決勝でスタメン出場を果たし、得点で優勝に貢献できたことが自信に繋がったと語る。この試合を機にサッカーに懸ける思いがより強くなり、慶應でレギュラーを取りたいという大きな目標を抱くようになった。

苦しい経験を乗り越えた“4年時の活躍”

慶大ソッカー部への入部を果たすと、1年時から関東リーグ開幕戦に出場した立石。順風満帆なソッカー部人生の幕開けに思えたが「大した活躍をしてなくて…最初の2年間で点とったのは1点とか2点くらいで、試合には出ていたんだけど自分的には納得のいかない2年間でした」と当時の心境を話してくれた。高校と大学で決定的に違ったのは、守備のレベルの高さ。「普通に打ったら入るようなシュートも止められていたし、まず打たせてくれなかった。相手の守備のレベルが高校とは違くて、個人的にはそこの決定力の部分で未熟さとかを痛感させられた1年でした」と振り返る。こうした難しさに直面した一方で収穫もあった。「自分がうまくプレーして点を決めるタイプではないので、とにかく良いボールが来た時にゴール前で100%の状態で待っているようにする。間に合わないということがないように常に足を動かして、ゴールから逆算した位置にいるというのは意識するようになりました」と教えてくれた。

2年時の関東リーグ共栄大戦での一枚(右) (一応説明すると、永澤昂大のリーグ戦初出場&初スタメン&初得点を喜ぶ)

3年生になるタイミングで監督が変わると、立石のプレースタイルも大きく変化した。「(以前は)ボールを収めるプレーが求められていたんだけど、パスを繋ぐスタイルになったから難しかった。健人(=塩貝健人/24年まで慶大ソッカー部在籍。現・VfLヴォルフスブルク)とかもいたから、3年時は本当に出場機会がなくて苦しいシーズンだった」という。ただ、ここでの苦しい経験があったからこそ、4年目でしっかり活躍できたと立石は語っていた。「試合に出られなくて苦しかったからこそ、ソッカー部に憧れを抱いた自分の思いを大切にしようと思った。お兄ちゃんに連れて行ってもらった早慶戦を思い出した時に、やっぱり4年生こそはしっかりスタメンで活躍したいなという思いがあったから、トレーニングも一生懸命頑張った」と話してくれた。

国立開催の早慶戦もベンチから見守った(中央)

そして、迎えたラストイヤー。トレーニングの成果もあり良い状態でシーズンインを果たすと、立石は見事スタメンを確立。「監督の評価とか、味方の評価をずっと気にしてたんですけど、4年目はそんなの全部捨てて自分の悔いのないような練習とか試合にしようと意識を180度変えてやった。もちろん練習もちゃんとやってたけど、自分の意識とか思いが4年目により一層強く出たのかな。それがパフォーマンスとかに繋がったのかなと思います」と話してくれた。さらに、憧れの舞台・早慶戦でも初のスタメン出場を果たし、4年目にして初の早慶戦勝利を掴み取った。「早慶戦は最高でしたね。1、2年の出場経験があったから、浮き足立たずに地に足つけてしっかり開始から試合に入れていたので、個人的には結構良い状態だったし、他の選手も力むことなくしっかりピッチで表現できたのが良かったのかなというふうに思います」と喜びを噛み締めた。

早慶戦で優勝トロフィーを持つ立石

そのほか印象に残っている試合には、最後のホームゲームとなった関東リーグ第21節の日大戦を挙げた。前期の対戦では5失点で大敗を喫した強敵なだけに、試合は終始日大のペースで進んでいた。この試合を、立石は「出ていない選手も含めて4年生全員が最後まで諦めずに応援し続けてくれて。本当に苦しい展開だったんですけど、それでも諦めずに全員で勝利に向かっていくというのが表れた試合だった」と振り返る。立石が同期の角田惠風(商4・慶應/横浜F・マリノスユース)のクロスから決勝弾を決めたのも、90+2分のロスタイム。「応援が目の前にいてくれたからすごい力をもらえたし、惠風がボール持った時もあいつならここで出せるというのを信じて走り込めたし、本当に総和で勝てた試合。メンバーだけじゃなくてメンバー外も含めて勝ち取った試合だった」と語る。4年生を振り返り「本当にサッカーに向き合えた4年目だったし、味方の大切さ、仲間の大切さを一番知れた年だった」と口にした。

立石が決勝弾を決めた日大戦

仲間を元気づけるプレーを

立石が大事にしていたことは、ピッチ上で誰よりも泥臭く走り続けること。「自分は全然上手いプレーヤーじゃないので。小手先でプレーするというよりかはチームの誰よりも体を張って二度追い、三度追いする粘り強さを自分の武器だと思っていたし、そういう選手がピッチにいたらみんなも元気付くかなと思っていたので。そういう理屈じゃない泥臭い部分は昔からずっと大事にしていましたね」と話してくれた。

 

またこの3月に卒業を迎える4年生の代は、1年時に3部降格、2年時に2部昇格、3年時に1部昇格、4年時に2部降格と、様々な局面に立ち会ってきた。「高校時代から慶應の試合を観に行っていて、その頃は1部で、この強度の中でやりたいなと思っている中で3部に落ちちゃったので、最初はそのギャップというかめちゃくちゃ辛かったんですけど…組織全員が、一人ひとりがチームのために動いてくれているので。出られない選手とかマネージャーが準備してくれて、自分たちの舞台が出来上がっていたので、そういうのを見た時に下を向いていられないなというのを強く感じて、だからこそやっぱり1部に戻るために頑張らないとなというのを強く実感しましたね」と語る。

 

サッカーと向き合い、仲間の素晴らしさを知った4年間

ここまでのサッカー人生を振り返り、「いや〜良い人生でしたね。サッカーを通して得られる悔しさとか、超みんなで抱き合える瞬間とか、サッカーを通していろんな人と幸せを共有できる時間が好きだったので。今の自分がいるのも本当にサッカーのおかげで、いろんな人に出会えたので本当に感謝している。辛いことばっかりだったはずなのに、楽しい思い出ばかりが蘇ってきて、すごいかけがえのない4年間だったなと思います」と率直な思いを明かしてくれた。立石にとって、辛い経験を一緒に乗り越えてきた仲間と練習後の部室で他愛もない話をする時間こそが、何よりも好きな瞬間だった。そして「まず自分がこの4年間毎朝早く起きてサッカーに打ち込めたこと、目標に向かって走り続けられた自分にも自信を持てた。その中で辛い練習を一緒に乗り越えた仲間、早慶戦とか試合を一緒に作り上げてくれたケイスポとか、マネージャーの支えとか、自分たちが試合に出るためにいろんな人が支えてくれるっていうのがすごい素敵だなというのを実感しました。本当にありがとう」と続けた。気づけば立石の原動力は“早慶戦への憧れ”だけでなく、“仲間のために”という思いにも支えられていた。憧れの慶應ソッカーを卒業し、新たなステージへー。

自分の“思い”を大切に、泥臭く走り続けろ。

 

(取材:長掛真依)

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