25年度に卒業を迎える4年生を特集する特別企画「光るとき」。第35回となる今回は、ソッカー部女子の中村美桜(理4・慶應湘南藤沢)。フィールドプレイヤーとしてチームの中心となっていった矢先、3年時にキーパーに転向した中村。転向後の苦悩と、努力が描いた成長曲線を振り返る。
「練習ハ不可能ヲ可能ニス」。小泉信三元塾長の名言だ。ソッカー部女子には、その言葉を体現したキーパーがいた。
中村は小学校1年生の時に兄の影響でサッカーを始めた。小学校2年生の頃からはシンガポールで暮らし、スウェーデンで行われた世界大会ではシンガポール代表として出場すると、準優勝に輝いた。男子が圧倒的多数の500人超の強豪サッカーチームで創設以来初となる女子キャプテンも担い、大会での全学年優勝も経験した。小学生時代、ほとんどのポジションでプレーしたが、唯一経験しなかったのがキーパーだった。
サッカーを始めた頃、運命的な出会いがあった。父が知り合った“リフティングの上手い女子大生”に、公園でサッカーを教わっていた中、パスやトラップの技術に感銘を受け、女性でも練習すればサッカーが上手くなれる事を強く認識した。その女性は毎週、朝練に参加してくれるようになり、朝練後に自宅で朝食を食べながらサッカーや学校の話も聞くようになった。SFC中・高出身のソッカー部の副将で、早慶戦に出場するとの話を聞き、チームメンバーと共に応援に行き、国立競技場の盛り上がりに感動を覚えた。いつかこの場でプレーしたいと思った。SFC中・高やソッカー部への憧れを抱き、シンガポールから帰国した際に慶應湘南藤沢中等部を受験。面接では憧れの先輩のようになりたいと話し、合格した。SFC中・高では女子サッカー部に所属し、競技に打ち込んだ。決して強豪と言えるチームではなく、人数も少なかった中で、主将の中村がメンバーを集め、朝早くから練習するなど誰よりも努力し、士気を高めていった。この6年間、メインのポジションはボランチ。キーパーを務めたことは一度としてなかった。
大学に進学し、もちろんソッカー部に入部。「ついていくのに必死だった」と語る1年目。試合に出られない時間が長かったが、早慶定期戦などではフィールドプレイヤーとして躍動した。2年目はリーグ戦18試合のうち13試合でスタメン出場を果たした。自信のあった体力と気持ちの強さで、欠かせない選手となっていった。
そんな中で訪れたのが、キーパーミーティング。チーム事情で、誰か一人がキーパーにならなければならない。自ら立候補する者はいなかった。どんな人にやってほしいか。誰になら任せられるか。決定方法は、他己推薦という形になった。
中村も、キーパーになりたくなかった一人だ。サッカーを始めてからキーパー経験が全くないこと。自らの強みである体力や運動量を活かせないこと。また、身長が高くないため止められる範囲が狭いことなど、自分がキーパーになったところで、チームに迷惑をかけてしまう事を懸念していた。
しかし、ミーティングを重ねる中で推薦対象に中村の名前が挙がるようになった。推薦理由は、チームのために努力をできること、練習での取り組みの姿勢の良さなど、中村への厚い信頼の表れだった。中村を推薦する声は徐々に増えていき、春の沖縄遠征。リーグ戦開幕2ヶ月前に、中村は転向の決断を下した。
同期も全員、最終的には中村を推薦したが、葛藤していた。「美桜の今までの努力が認められてキーパーに選ばれたけれど、努力をしていたからこそ美桜がやりたくないキーパーになってしまうという事実が悔しかった」。(小熊藤子、環4・山脇学園/スフィーダ世田谷ユース)
受け入れたくない気持ちも大きかった。しかし、チームメイトが、そして同期が、勝つために中村を推薦した。「信頼があるからこそ選んでくれた」。中村は覚悟を決めた。女子部の全体練習後には居残り練習。朝練での自主練習に加え、男子部の練習にも志願して参加し、徹底的に鍛え上げた。苦手だったハイボール処理について、小学生時代のコーチから「野球のフライ捕り練習がいい」とアドバイスを受け、即座に父と公園で実践した。左への反応が遅いと言われ、左手中心の生活を開始。左手で1時間超をかけて食事するなど、技術向上に向けて何ができるかを徹底して考え、できる事は全てやった。ただ、シュートが向かってくることへの恐怖心は、なかなか拭えなかった。
忘れられない試合がある。3年秋のリーグ戦。1部昇格に望みをつなげるためには、負けは許されない立大戦。スカウティングで相手のロングシュートに警戒しなければいけないことは分かっていた中で、1点リードの状況からロングレンジのフリーキックを立て続けに2本決められた。いずれも中村の頭上を越えるものだった。前年までゴールを守っていた先輩キーパーであれば防げていたゴール。1―2で試合に敗れ、1部昇格の目標は潰えた。「自分に失望した」。思わず試合中に涙を流した。しかし、前を見れば、誰ひとりとして諦めている選手はいなかった。失点を取り返すため、そして、大きな決断を下してキーパーを務める中村のために、戦う仲間がいた。信じてくれる仲間のために、シュートへの恐れを振り払い、ゴールを守る。中村は心に誓った。
4年時は主務に就任。継続していたハードなトレーニングに主務としての仕事も加わり、多忙を極めた。その中村を支えたのは、フィールドプレイヤー時代に強みであった体力。そして、気持ちの強さだった。やるとなったらやりきる。初心者からのスタートだったが、とてつもない努力を重ね、経験の少なさを全く感じさせないほどに成長していった。
小学校時代からの憧れであり、ソッカー部員にとっての晴れ舞台である4年時の早慶定期戦。後半15分。ゴール右隅への強烈なシュートに横っ飛びで反応し、見事にセーブ。等々力陸上競技場の電光掲示板にリプレーが上映され、観客席に大歓声と拍手が鳴り響いた。キーパーになる前に懸念していた止められる範囲の狭さは、弱点ではなくなっていた。さらに、後半22分には相手FWとの一対一となるが、抜群のタイミングで飛び出し、身体でシュートを防いだ。一番の課題だったシュートへの恐怖心もなくなっていた。キーパーとして最も輝いた試合であり、転向からの努力が目に見える成果として現れた試合だった。
4年時のリーグ戦は全18試合にフル出場し、失点はわずかに12。唯一のキーパーであった中村がゴールを守り続け、チームはついに1部昇格を実現した。
キーパーに転向した当初、掲げた目標がある。「自分が成長曲線を見せることで貢献したい」。毎日努力を重ねた。何度ネットを揺らされようと、決して諦めなかった。不可能を可能にした中村の成長曲線は、たしかにチームを変えた。「今までに見たことがないくらい、自分に厳しく、いろいろなものを犠牲にしてまで決めたことに取り組める人で、彼女の凄まじい成長ぶりと努力があったからこそチームの努力の基準が上がったと思います」。(黄大城監督)
「誰かのために頑張ることが、人の全力以上の力を発揮させることができる」。キーパー転向の決断は、中村の可能性を大きく拡げた。
桜が美しく咲く季節。その努力で、チームに大きなものをのこした小さな守護神が、社会へと旅立っていく。
(取材・記事:柄澤晃希)


