【野球】〈4年生卒業企画⑧〉日本一までの365日 vol.3~主務・藤井快が振り返る「チーム廣瀬」~

野球イベント・その他

2022年11月6日、秋季リーグ戦連覇を狙った慶大は早慶戦に連敗し、「チーム下山」の戦いが幕を閉じた。当時主力だった主将・下山悠介(現・東芝)ら多くの4年生が抜け、チーム事情は厳しかった中で、堀井哲也監督は廣瀬隆太(令6商卒・慶應)を次期主将に据えて賜杯奪還を目指した。そして1年後、「チーム廣瀬」は2年ぶりの秋季リーグ戦優勝、明治神宮大会制覇を成し遂げることになる。今回は偉業の当事者たちであり、今春卒業する4年生たちが「チーム廣瀬」の1年間の戦いぶりを振り返る。

明治神宮大会決勝・青山学院大戦の9回表、慶大は2-0でリードして迎え、4年ぶりの日本一を目前としていた。その時、チームを主務として支えた藤井快(令6商卒・札幌旭丘)は、緊張とは程遠い感情を抱いていたという。「なんかフワフワした感じだったんですよ。(現実を)信じられていないというのはありました。『あれ、ホントに優勝しちゃうの?』みたいな(笑)」と、当時の心境を振り返る。1年前の秋、新チームが始動し藤井が主務に就任した頃は、想像もできなかった光景だった。

「そもそも入部した当初から、他大学の同期の入部選手とかを考えると差はあったなって思うんですよね。特にワセダの4人なんてとんでもない選手たちだったんで。それに、(新チームには)軸になる廣瀬がいましたけど、キャプテンらしいキャプテンでは全然ないですし、正直(日本一を)イメージはできなかったですね」

また藤井個人も、一マネージャーであった下級生の頃から、20人前後のマネージャーたちを束ねる役割となり、ミーティングやオープン戦のセッティングなど、これまで以上に激務となった。しかしどのような仕事でも、藤井はマネージャーの環境がチームに与える影響を常に意識していたという。

「難しい表現なんですけど、僕らがプラスを作ることはできないですし、作るのは(チームの)土台までなので、そこをいかにしっかりやり切るかを重要視していました。やり切った上で選手たちは0%からスタートしますし、僕らが何もやらなかったら選手がマイナスからスタートするだけなので、極力0からスタートさせられるようにってことを考えていましたね」

また堀井監督や選手との会話を欠かさず行った。堀井監督とはグラウンドレベルでよく対話をし、練習中でも監督の意識や考えを汲み取り、オープン戦の組み方やオフの過ごし方など、他愛もない話から発展させて気分転換を図る。一方選手たちとは、近々の調子や試合での出来事を寮内で聞いて回るなど、「今選手がどう感じているか」を聞き出すよう意識する。そうして藤井の中で首脳陣や各選手の、いわば「トリセツ」を把握することで、監督や選手が過ごしやすく、また野球に打ち込める環境の形成に努めていたのである。しかし、春先に迎えた鹿児島キャンプのオープン戦では、連戦連敗の日々が続いた。

「あの時はチームは負けっぱなしでしたね。廣瀬の調子は良かったですし、外丸(東眞、新環3・前橋育英)も鹿児島で148km/hとか投げていたんで、前年の何倍も良いだろうなって思っていたんですけど、ポジションが固まっていなくてどうやってチームになればいいか分からなかったですし、今振り返れば勝ち方を知らなかったんだと思います」

不安を抱えたまま春のリーグ戦に突入し、チームは開幕戦の法大1回戦で10-0の大敗を喫する。続く明大戦も勝ち点を落とし、勝ち点0のままリーグ戦の折り返しを迎えた。経験不足な選手たちが試合に入るまで、そしてベンチ内でどう動けばいいか分からず、それは藤井も同じだった。そして「気付けば試合が終わっている」状態が開幕2カードは続いてしまったのである。しかしチームは早慶戦も含め残りの3カードで勝ち点を挙げ、春のリーグ戦3位に食い込んだ。藤井は後半のチームの巻き返しについてこう振り返る。

「後ろの3カードは選手たちが慣れてきて、どうやったらうまくいくかを分かってきたからこそ、後ろ(の勝ち点3)につながったと思います。あと春は(優勝した)明治が1敗だけなんですけど、その1敗はウチがつけたものでした。その1勝は秋への自信につながる1勝だったかなと思います」

実力を出し切ることができず、また選手たち自身が個々の役割を理解し切れていなかった中での3位という成績。「春の最後の段階で(秋へ向けた)ある程度の土台が出来上がっていた」と藤井は語ったが、それを象徴するエピソードがある。藤井が引退後にスタメン表をふと目にすると、春の早大1回戦と秋の早大1回戦は、打順こそ違うものの先発出場している9人のメンバーは全く同じだったのである。あくまで結果論ではあるが、チームの核となる選手が春の最後に固まりはじめ、同時に選手たちが春の戦いを経て大きな自信を手にしていたことは間違いなかった。

夏のオープン戦では、藤井がさらにチームの成長を感じる瞬間があった。それは北海道キャンプ中に迎えた東海大札幌キャンパス戦、相手先発投手に対して一巡目に全く打てなかった中で、打線は二巡目に対応して捉え始め、攻略することができた。

「キャンプ中ずっと良かったんですけど、その時のベンチの盛り上がりや試合の運び方を見ていてすごく良いなって感じたんです。キャンプ後に監督からも良いキャンプだったと声をかけてもらったりしましたし、本当にチームにとって実のあるキャンプになったと思いますね」と、チーム内の雰囲気の変化を藤井は感じ取っていた。

ベンチから冷静に試合展開を見つめる

秋のリーグ戦では開幕カードの立大戦を制して、春に勝ち点を落とした法大とのカードを迎えた。「2年生の時のフレッシュ(リーグ)でも負けていたので、勝ちたいなって強く思っていた」相手との戦い。1勝1敗で迎えた3回戦では延長12回の末に引き分け、4回戦では再逆転の末に勝ち点をもぎ取った。

「4回戦は逆転に次ぐ逆転で、春は明治と4回戦まで戦って負けましたけど、秋(の法政戦)は最後まで粘って勝ったのですごい嬉しかったですね。4回戦勝った瞬間に僕は1人で大号泣してしまって、みんなに『まだ引退じゃねーよ』って言われたのは覚えてます(笑)」

チームは勢いそのままに東大、そして春王者の明大を破って勝ち点4とし、優勝を懸けた早慶戦に突入する。4年生は一度も秋の早慶戦での勝利がなく、強い思いを持って臨んだ初戦だったが、1点リードして迎えた最終回に「ベンチとグラウンドの指示のずれ」から逆転サヨナラ負けを喫してしまう。昨年と同様に嫌な流れがチームを襲ったが、翌日の2回戦からすぐに気持ちを切り替えることができていた。2回戦を完封勝利で制し1勝1敗とすると、勝てば優勝が決まる3回戦では廣瀬の先制弾で優位に試合を進め、リードを守り切って2年ぶりの秋季リーグ制覇を成し遂げた。

「2回戦は基本的に日曜日はベンチに入らない加藤(孝太郎、現・JFE東日本)が入っていて、『ワセダは今日絶対勝ちに来ているから、今日ウチが勝てば明日勝機はあるぞ』という話を試合前にしていました。そして3回戦の時は、廣瀬が打ってくれた流れで試合運びができましたし、森下(祐樹、令6総卒・米子東)が人生最高のピッチングをしてくれましたし(笑)、あと月曜なのに応援も大きくて、あれは嬉しかったですね」

秋の早慶戦を終えて明治神宮大会までの期間、データ班が出場する大学の分析を進めていたが、全国大会は映像資料も少なくノーデータになりがちだと藤井は言う。「トーナメント表を見ながら、ほぼ青学が来るんじゃないかってヤマを張っていた」というほど分析に苦労したというが、そこで役に立ったのが経験と地の利だった。2021年の慶大は全日本選手権を優勝し、同年の明治神宮大会でも準優勝の成績を収めているが、当時2年生だった藤井は2度の全国大会を経験した上で、「六大学で勝てれば全国でも通用する」と東京六大学代表の実力に自信を持っていた。また普段から神宮球場でプレーしている選手たちは、普段通りリラックスしてプレーできるだろうと考えていた。初戦をコールドで突破するも、準決勝・日体大戦では相手先発・寺西成騎(日体大新4年)に苦戦。この場面でも選手たちは至って冷静だった。6回以降廣瀬の2本塁打で逆転して逃げ切ると、決勝・青山学院大戦も0-0の展開が続く中でも動じずにプレーし、藤井の目論見通りの戦いぶりで8回の先制劇、そして勝利へ結びつけた。

歓喜を分かち合った

「正直最後は打たれる気がしなくて、すごく安心して試合を観ていました。なんなら試合後のことを考えられるくらい余裕だったんですよ。早慶戦の時は連盟の動きとかスタンドの挨拶とか頭の中が真っ白になっていて全然上手くいかなかったですし、その点では神宮大会の方が冷静に、良い意味で第三者的に観れていたと思います」と日本一の瞬間を振り返った。

この春からは野球を離れて一般企業に就職することが決まっているが、「最近いつか(野球部に)戻ってきたいと思う時があって、それがいつになるかは分からないけど、その時に日本一の経験だったり、4年間培ってきたこととか、人とのつながりだったりとかを活かしていきたいと思います。僕たちは堀井監督の下で4年間学んだ第1期生なので、監督から学んだことを新生活に向けてたくさん活かしていければいいなと思います。」と今後の可能性について藤井はこのように語った。社会人になっても、そしていつの日か野球部に戻ることがあっても、藤井快の中には「日本一の主務」としての経験が根付いている。

(記事:宮崎秀太)

タイトルとURLをコピーしました