24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡~」。第8回となる今回は、ソッカー部男子の村上健(政4・國學院久我山)。ラストシーズンでは念願の「2部優勝、1部昇格」を成し遂げ、有終の美を飾った慶大ソッカー部。高校時代の栄光とソッカー部時代に味わった挫折。その先に村上が得たものとはなんだったのか。慶大の絶対的守護神・村上のサッカー人生に迫る。
「ソッカー部の体現者であること」。慶應義塾大学ソッカー部のゴールを守り抜いた村上は、そう自身の存在意義を表現した。苦しみ抜いた2年間、そして「2部優勝・1部昇格」を成し遂げたラストイヤー、すべてを通して、彼はチームを勝たせる選手であろうとし続けた。

村上は「ソッカー部の体現者」だった
サッカーを始めたのは小学1年生の頃。仲良くしていた姉の友人がサッカーをしていたことがきっかけだった。フィールドプレイヤーとして活躍していた村上だが、プロの道を見据えたとき、全国の選手たちの強さに「このままだとプロになれない」と、目標とのギャップを感じたという。その後、当時全国でも強豪とされていたFC東京U15深川から「キーパーとして挑戦しないか」と声をかけられ、新たな挑戦を決意した。

高校時代は選手権でも活躍を見せた
高校時代、村上は東京都の國學院大學久我山高校でプレー。村上のサッカー人生における夢の舞台・全国高校サッカー選手権のピッチに立つことを目指し、3年間を駆け抜けた。彼は、サッカー人生の中で最も印象に残る試合として、高校2年時の第98回全国高校サッカー選手権東京予選Aブロック決勝、帝京高校との一戦をあげた。この試合に村上はスタメンとして出場。4−2で4年ぶりに夢の全国大会の切符を手にした。「選手権の舞台を自らの手でつかみ取れたところにも喜びを感じたし、あの場に駆けつけてくれた仲間とか、応援してくれる生徒のみんなとか、そういった人たちの思いに一番応えられた瞬間だった」と振り返る。チームメイトと共に戦い抜いたこの試合は、彼にとって大きな自信となった。

3年時には憧れの早慶戦にも出場
大学進学の際には、いくつもの選択肢があった。しかし、村上の心を動かしたのは高校2、3年生の頃に観戦した早慶戦だったという。「慶應に入るなら体育会ソッカー部でプレーしたい」。そう心に決め、迷いなくソッカー部の門を叩いた。しかし、大学2、3年時、村上は試合に出られない日々を経験した。実力不足、怪我、自分の努力が結果に結びつかないもどかしさ。そして何より苦しかったのは、「サッカーを取り上げられたら、自分がこの部に貢献できることが何もない」と感じたことだったと語る。仲間たちが試合で輝く姿を見ながら、自分には何もできていないという現実に直面。村上にとって、それを痛感するにはあまりにも長すぎる2年間だった。ただ、そんな日々を支えたのは同期の存在だった。「試合に出られない間も、チームを3部から2部に昇格させる為にがむしゃらに戦う茅野優希(政4・慶應)とか山口紘生(商4・國學院久我山)とか、同期の姿っていうのが本当に支えになりました」。仲間のひたむきな努力原動力となり、村上を奮い立たせた。

同期の活躍が原動力となった
そして迎えたラストイヤー。村上はついにチームの守護神としてピッチに帰ってきた。慶大ソッカー部という組織の一員として苦しい日々を乗り越えたからこそ、彼の中で変わったものがあった。「高校時代までは自分が活躍したい、自分がシュートを止めてチームを勝たせたいという気持ちが強かったです。でも、大学での経験を経て、原動力は周囲からの期待や使命感へと変わっていきました」と語る。1年時からトップチームで活躍し、降格も経験。その悔しさを胸に、チームを1部へ昇格させるためにひたすらやれることをやり続けた4年間だったという。

第3節の早大戦ではゴールも決めた村上
そんな「チームのために」という村上の思いが深く刻まれた試合が、関東リーグ2部第18節・法政大戦だ。1ー0で迎えた85分、PKのピンチを村上のビッグセーブが救った。しかし、PKを止めた瞬間、肩に激痛が走った。「これ、本当に引退レベルだなと。あの瞬間にもう分かっていました」と話す村上。それでも彼は「肩が外れたとしても、自分がどうなってもこの試合だけは勝たせたい」と交代を求めることなく最後まで試合に出続けた。「高校時代だったら、あの場で交代を求めてしまっていたと思う」とも語る。このプレーは、村上が大学4年間で得た、チームのために戦う覚悟の象徴だった。自分の原動力になってくれる、応援し続けてくれる仲間の存在が、何よりも尊いものとして村上の脳裏に浮かび、彼を突き動かしたのだろう。

怪我に負けることなく戦い続けた
そして、4年間の最後にチームとして「2部優勝・1部昇格」を成し遂げ、村上は「ベストイレブン」にも輝いた。「関東リーグ優勝に導く守護神」としての役割を全うし、「1部の舞台に返り咲く」という最終目標を果たした。「1部の舞台を取り戻すことは、(ソッカー部に)残せたものというより、返せたもの」だと語るように、2度の降格を経験した彼にとってこの4年間は、責任を背負い続けた時間でもあった。

ベストイレブンにも輝き、まさに「体現者」であった村上
「ソッカー部の体現者であること」。
その言葉の通り、村上健は慶大ソッカー部の歴史に確かな足跡を残した。彼が守り抜いたゴールや仲間と築きあげた1部の舞台は、後輩たちに託される。後輩キーパーに対しては、「来年の開幕戦で誰が出ているかはそれぞれの努力次第。そういう意味では、全員がレギュラー争いをできるところまで成長して、慶應を勝たせるキーパーに育ってほしい」と、全員に大きな期待を寄せる。村上がこの4年間でチームに残したものはきっと後輩たちにも届き、これからも慶大チームの躍進を支え続けるだろう。

ラストイヤーで1部の舞台に「返した」
(記事:愛宕百華)