24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡~」。第19回となる今回は、競走部で跳躍ブロック長を務めたイベルブランドン(総4・洛南)。高校時代から取り組んできた走幅跳と三段跳を専門に結果を残すとともに、チーム運営にも尽力した。競技人生の集大成として臨んだ4年間。競技と指導の両面で遂げた成長の過程を振り返る。
イベルが陸上を始めたきっかけは小学5年生の時。外部のクラブチームで競技を本格化させ、中学では京都府の強豪公立中学へ進学。高校は全国屈指の洛南高校でさらにレベルの高い環境を経験し、大学では慶應を選んだ。
「きっかけは山縣亮太選手でした。小学生の時、たまたまテレビで山縣選手を見て、『勉強もスポーツも両立しているなんて、めちゃくちゃかっこいい!』と憧れたんです。実際に入部してみると、山縣選手が日吉の競技場で練習していて、一緒に練習できることに驚きました」

「4年目にして初めて入賞できました」(関東インカレ2024)
イベルにとって最も印象的な試合は、大学4年時の関東インカレだ。ここで一つ、彼は一つ大きな壁を越えた。
「関東インカレはずっと苦手意識がありました。最初の3年間は14位、12位と入賞に届かず、『いつも通りやれば入賞できる』と言われながらも結果を出せませんでした。そして4年目、ついに初めて5位入賞を果たすことができました。この3年間の経験が全て活きた大会だったと思います」
技術面の向上には手応えがあったが、最大の課題は精神面だったという。
「跳躍種目は試技が複数回あるため、試合の流れの中で精神的な影響を受けやすい。だからこそ『いつも通りのことをやる』というシンプルなことを徹底し、ウォーミングアップから本番まで冷静に繋げることを意識しました」

技術力に精神力が備わった4年目
慶應での競技生活は、記録だけでなく環境づくりの面でも大きな学びがあったという。
「与えられたものをただ受け身でこなすのではなく、自分で目標を達成するための環境を作ることが大切だと学びました。単に努力を重ねるだけでなく、それを正しい方向に導く工夫が必要だと実感しました」
4年次には跳躍ブロック長としてチーム運営にも尽力した。特に力を入れたのは、後輩たちが成長しやすい環境づくりだ。
「当時、関東インカレに出場できる記録を持つ選手は2人しかいなかった。でも、あと少しで基準に届く2年生の選手が3人いたので、彼らを中心にレベルアップを図ろうと考えました。そこで、練習メニューを部員主体で考える形に変えました」

「努力を正しい方向に導く工夫が必要でした」
それまではコーチやブロック長が決めたメニューをこなすのが一般的だったが、イベルの代からは選手が主体となり、必要な練習を話し合って決める方式に変更。
「選手自身が考えて練習することで、目標に対して何が必要なのかを理解できるようになりました。モチベーション向上にもつながり、より効果的な刺激を得ることができたと思います」

引退時、チーム走幅跳
後輩たちには「こうなってほしい」という具体的な希望はないという。ただ、「やりたい練習や目標に向かって全力で取り組んでいる姿を見ると、心から応援したくなる」と語る。
大学卒業後は、仕事を最優先としながらももう少し競技は続けるようだ。
「社会人としての生活がどんなものか分からないので、まずは4月5日の六大学対抗戦を一区切りにし、その後は仕事をしながら様子を見ていこうと思っています」

共に戦った107代の同期たち
大学4年間、競技者として、そして跳躍ブロック長としてチームを牽引してきたイベルブランドン。その経験を糧に、彼は次のステージへと羽ばたこうとしていた。
【Last message】
「公式戦でのチームの一体感は本当に素晴らしかった。誰か一人の活躍だけでなく、皆が競争を通じてチーム全体の勢いを生み出している姿はとても印象的だった。これからもその向き合い方を大切にし、長期的な成長を目指して頑張ってほしい。いつも応援しているよ!」
(取材:山口和紀、記事:竹腰環)