【Last message】走攻守でチームの”幹”となったオールラウンダー /4年生特集「Last message~4年間の軌跡~」 No.39 古野幹(野球部)

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24年度に引退を迎えた4年生を特集する「Last message~4年間の軌跡~」。第39回となる今回は、野球部の古野幹(理4・岸和田)。怪我明け間もない1年秋のフレッシュトーナメントで鮮烈なデビューを果たすと、リーグ戦では内外野できる守備に加え、代走、代打などあらゆる場面で期待に応えてきた。そんな古野が歩んできた慶大野球部での4年間を振り返る。

大阪の公立高校・岸和田高校から一般入試を突破し、野球部としては珍しい理工学部に入学した古野。怪我明け間もない中、1年秋のフレッシュトーナメント初戦の早大戦では、5回に代打で神宮初出場初安打を記録。東大戦では“6番・指名打者“として初スタメンに選出されると、2打数1安打3得点でチームのコールド勝ちに貢献した。明大戦でも指名打者として先発出場すると、内野安打でこの日も出塁。「人生であの秋の2試合しかDHをしたことない」というが、”古野らしい“活躍をみせ、上々の神宮デビューを飾った。

2年次フレッシュリーグで打席に立った古野

2年に進級すると、学部の勉強が本格化。Aチームに帯同していた古野はリーグ戦ベンチ入り、さらに出場機会を狙っていく中で、毎週課される実験レポートに追われ、睡眠時間が3時間程度の時もあったという。「勉強と野球以外の時間は全て削ってでも、両方でベストを尽くすことを意識していた」という古野に、秋季・明大2回戦で遂にチャンスが舞い込んだ。3点ビハインドで9回2死から同点に追いついたその裏。遊撃手として守備につき、リーグ戦初出場を果たすと、対する明大の先頭打者は、飯森太慈(政経4・佼成学園)。「早くプレーしないとすぐセーフになってしまう」というプレッシャーで「一番緊張した」という古野。結果は四球で、チームもそのまま連打を浴びサヨナラ負け。古野の守備機会はなかったが、リーグ戦初出場で俊足・飯森と対峙したことで、メンタル面で成長できたという。

遊撃の守備位置につく古野

3年になると代走や代打、守備固めなどあらゆる場面での出場が増加。日本一となった明治神宮大会では控えメンバーとして、ベンチから声でチームを盛り立てた。そして最上級生となった古野は、キャプテン決めや様々なミーティングを重ねていく中で、チームを作ることの難しさを痛感。「日本一の後で周りからいろいろマークされる中で、前の年のままでは日本一になれない」。古野は自分自身の活躍でチームを引っ張った。春季リーグ・東大1回戦。初回に村岡龍(新商3・慶應)の負傷で途中出場すると、「自分の代の初戦というのもありましたし、すごく気が引き締まっていて、スタメンだったかのような気持ちでいけました」と1点リードの4回、ダメ押しとなる2点適時三塁打を放ち、見事に起用に応えた。翌日の東大2回戦でも、リーグ戦初スタメンを掴み取ると、勢いそのままに初盗塁も記録。「神宮でスタメンで出て、思いっきりプレーできるのは本当に楽しかったです」。

春季開幕戦で適時三塁打を放った古野

春季3位に終わった悔しさを晴らすべく、古野は夏の北海道キャンプで、個人練習の8割を「自分に足りない」と感じていたバッティングに費やした。すると秋季リーグ・立大1回戦、2死二塁から同点適時打を放ち、練習の成果が実を結んだ。さらに打撃と並行して大学3年から始めた外野守備を磨いて、秋は主に守備固めとして13試合に出場。「守備ではとにかく焦らないこと。平凡な打球をしっかりアウトにする」と堅実なプレーで首脳陣からの信頼を勝ち取った。

何度も好プレーでチームを救ってきた

内外野できる守備、代打はもちろん、代走での起用も想定し、その度に最高の準備をして“オールラウンダー”な役割を果たしてきた古野。その真価が最も発揮されたのは、間違いなく秋季早慶2回戦だろう。

8回先頭の渡辺憩(新商2・慶應)が左安打で出塁し、続く打者がリリーバー・小川琳太郎(新経4・小松)の場面。「出番的にユーティリティ選手として、秋のシーズン全体でバントの練習をしていたので。無死一塁、ピッチャーの場面で絶対代打でバントで、僕かなって思いました」。古野の想定通り堀井監督から指名を受け、ネクストに入った古野。「打席前に勝負ところで初めて(監督に)話しかけられて。何言われるんだろう、アドバイスかなと思ったら『バントしてこい』と(笑)。『あ、わかってます(笑)』みたいな感じで、監督も緊張している場面で意図してかは分からないですけど、逆に緊張がほぐれました」。1ボールからの2球目、古野は投犠打を決め、その後の林純司(新環2・報徳学園)の勝ち越し犠飛に繋がる大事な役割を果たした。

秋季早慶2回戦、決勝打に繋がる犠打に成功

「『終わり良ければすべて良し』じゃないですけど、早慶戦前は勝ち点1で本当に苦しい、こんな感じで引退か、悔しいなっていう気持ちがあって。自分のやることはやったんですけど、心からやり切ったかって言われると、最後勝てなかったしな、っていう気持ちになってしまうだろうなって思っていました。でも早慶戦2連勝して終わった時は、本当に心からやり切ったっていう気持ちになりました。試合後には自然と涙が出てしまったんですけど、4年生の顔を見ると『やり切ったな』って。本当に頑張ってよかったと思います」。

試合後に涙ぐむ古野(写真中央)

古野は大学卒業後、2025年シーズンより本格始動した社会人野球チーム・サムティ硬式野球部に入部。「野球は体が動くうちにしかできないですし、すごく野球が好きなので」と野球継続への想いを打ち明けた。一期生で不安を感じつつも、地元・関西に帰ることができる点や、『ゼロからのチーム作り』への期待感が入部の決め手となったという。大学2年次に念願だった背番号1桁の希望が通ってからずっとリーグ戦でも着用を続けた、愛着の深い背番号「4」を社会人でも選択。「初年度で日本選手権日本一」を目標に掲げた慶大屈指のユーティリティプレーヤーは、社会人野球でもチームの“幹”となる。

社会人野球でもマルチな活躍に期待だ

(取材、記事:加藤由衣)

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