【應援指導部】激動の2022② 前三将対談~自らの思いを次世代へつなぐ~

應援指導部

ツールの共有や2部門体制への移行。應援指導部89年の歴史の中でも2022年は大きな変革があった1年だった。今回お話ししてくださったのは2022年に三将を務めた小竹栞さんと齋藤英里伽さんと乃坂龍誠さん。歴史を作り「最後の三将」となった3人に2022年を振り返っていただき、後輩たちへバトンをつなぐ。

※三将:應援指導部全体を統括する3人。主将が3人いる体制。過去の反省を踏まえ2020年にできた役職で、立ち位置仕事内容は全員同じ。以後横のつながりの強化など大きな役割を果たした。2022年、2部門体制での活動が発表されたことで、2023年度より「三将」という名前の職はなくなることになる。

 

――他己紹介お願います

小竹(→齋藤):英里伽はメジャレッツに所属していて、とにかく部活に懸ける熱量がすごく「どうしてそんなにそこまでできるの?」と思えるほど、最後までやり切れる人です。その限界突破の具合が並大抵ではないところがすごく尊敬できます。

(→乃坂):乃坂も打ち込める人でいろいろなところで活躍していて、一個一個に対しても本質的なところに抜けがなく向き合ってやり切って、自分や組織の理想を実現する実行力がある人です。

乃坂(→齋藤):齋藤英里伽と言います。應援指導部がすごく好きでゼミの卒論でも應援指導部を取り上げたと聞いてびっくりしました。誰よりも部員のことをしっかりと考えてくれて、細かいことも全力で対応してくれる心強い仲間です。

(→小竹)小竹栞さんと言います。社会学を研究しています。優しくて様々な方に寄り添って一人一人と向き合える、強さと優しさを兼ね備えた人です。

齋藤(→乃坂):国際政治を研究されています。一言で言うのは難しいのですが、誰よりも應援指導部に誇りを持っている人だと思います。今年は変革の1年でしたが、彼が先頭にいたからここまで変革に踏み切れたと思っています。とにかくキャパも広いし、同じ人間とは思えないです(笑)。

(→小竹):社会学を……

乃坂:もう1個……(笑)

齋藤:(小竹は)感情社会学を学んでいます(笑)。応援の資本は人の感情だと思いますが、誰よりも感情を読み取るのがうまく、寄り添えるし、乃坂が先頭で引っ張るタイプで小竹が後ろから押すタイプだったと思うので、人の背中を押すのが本当にうまい人です。應援指導部の応援をしている人だとつくづく思ってきました。

乃坂:研究会の名前も言う?(笑) 宮岡勲研究会です。

小竹:岡原正幸ゼミ(文学部)です。

齋藤:SFCの清水雄一郎研究会です(笑)。

対談の様子

――三将になった経緯は

小竹:應援指導部では、4年生になると、責任を負う役割に一人一人が就くので、そのために3年生の頃から話し合いが始まります。私たち3人は他薦されてこの役割に就きました。

 

――三将に選ばれた時のお気持ちは

齋藤:何で自分なんだろうと思いましたが、自分がやるしかないとも思いました。応援もコロナ以前に戻ってきつつありましたし、部にとっても勝負の1年だと思っていて、自分で務まるのかという不安もありつつも、自分の手でどうにかしたいという思いもありました。「やってやるぞ」と自分も三将全体としてもエンジンがかかっていたと思います。

乃坂:考えてきたことを実行できる立場になったので、しっかりやろうという気持ちでした。

 

――1年間務めてきた感想は

小竹:すごく良い景色をこの立場になったからこそ見せてもらったと思います。良いものだけではなく見たくないものも見ましたし、この立場だからこそ苦しかったことも経験しました。しかし、それらをこの2人と分かち合えたこと、私は温度差があることが苦手なのですが、この2人には一片たりともそれを感じたことがなく、むしろ自分よりも高い熱量で同じ困難に立ち向かって解決してくれて、頑張っている姿を誰よりも近くで見ていました。その景色がすごく良いと思いましたし、それ以外にも改革をする中で、いろいろな部員がいろいろな活動をしていき、部の可能性が広がった1年だったで、本当に良い景色をたくさんの部員に見せてもらったと思っています。

神宮球場で指揮をする小竹さん

――4年生はどのような代

乃坂:個の力が非常に強い学年だと思います。一人一人に個性がありそれぞれが活躍するところを持っているので、一人一人の力で全体を作っていくという特色がある代だと思っています。

小竹:個の力も強いですし、質も高く尊敬できる部分があり、劣等感にかられてしまうくらい何かを持っている人が集まっている代だったと思います。

 

――今年で印象に残っている応援

乃坂:10月8日のアメフトの試合です。アメフト部はキャプテン以下(慶應)普通部の時から仲良くしていて、頑張ってきている人が多く、彼らも彼ら自身で大変なことを乗り越えて、一緒に切磋琢磨しながらやってきました。今年はあと一歩でなかなか結果が出ていなかった中で、その前や前々の試合では負けて「来てもらったのにごめん」という言葉を掛けてもらいました。自分たちももっと応援しないといけないと思っていた中で、(10月8日は)日大という強豪に勝つことができて選手がうれし涙を流して喜んでいる姿を見て、本当に良かったと思いました。

齋藤:野球の(秋)慶早1回戦が一番印象に残っています。野球部に勝ってほしいという應援指導部としての思いもあったのですが、今年は應援指導部の卒部生の思いを託されて叶えるようなことをしてきた1年だったとも思います。野球ですと、メイン台を立てるということもそうですし、今までできてなかった応援指揮や塾旗などのツールを新しい形で行えるようになりました。2年前にも蛭間(拓哉)選手が打って(優勝できず)、次こそは早稲田を倒してねと言われてきた中で、最後にそれを私たちが達成することに意味があると思っていました。今まで卒部されてきた方たちの思いを叶える代でありたいと思っていたのですが、1回戦では最後に挽回されて、悔しい思いをして、結局達成できなかったという自分の無力さを感じた試合でした。ただ、應援指導部の卒部生などが優勝ではなく「應援指導部はこの1年頑張ったね」ということに目を向けてくれたことが、(野球部が負けてしまったという)結果ならではのことであり、私たちがたどり着いた結果なのだと捉えています。私たちができる全てを出し切れたとも思うので、印象に残っている試合です。

小竹:自分がエールに行かせていただいた応援はすべて印象に残っていて、正直選べません。その中でも1つ挙げるとしたら、自動車の慶早戦です。自動車部は慶早戦が年に1回だけで、この時期(12月)なのですが、昨年は代交代後初の応援で、齋藤が初めてエールを振るのが自動車部の応援でしたが、今年は代交代前だったので私が振る最後の応援でした。また、今年は代交代前で、今回を経験しないと次の3年生が自動車応援を経験せずにサブ(=その部の応援活動の責任者)をやることになるので、代交代前ですが今の2年生がサブとして応援を作っていく活動でした。本来なら私たち4年生は引退したら2個下のサブの姿は見られず、OBOGとして外から活躍を見るのが普通ですが、ありがたいことに最後応援人員として行かせていただいて、2個下の子たちがフレッシュに応援を作っていく姿を見ることが出来て、とても感化されました。自動車は観戦応援でレース出発時や入場の時に曲をかけたりチャンパ(チャンスパターン)をやったりして、1回のレースが30秒くらいなので曲の途中で終わってしまったり、自分の体を使って応援したりするという原始的な応援をやっていくため、波が作りにくいことが特徴です。野球では投球練習時には少し小さくして、選手がバッターボックスに立ったら上げるという強弱を付けられますが、そういうのも肉声だと難しいです。その中でもサブを含めそこにいた人たち全員が協力して、ベストタイムを更新した選手には帰ってきたときに「おめでとう」と言ったりコールをかけたりしました。自動車部の方も嬉しそうにしてくださっていて、それに反応したりもして、一体感を感じられた応援だと思っています。後輩たちが、それを作り出していたことがすごくうれしく、これから楽しみで仕方ない、いい気持ちで今年の活動を終えられました。

 

――定期演奏会を振り返って

小竹:定期演奏会が終わってやり切れなかったところもあって、失敗したところやもっとこうしたいと思ったところなど悔いもありました。私は、高校2年生の時に應援指導部の定期演奏会を見に来ていて、その様子を知っていたので、定期演奏会に懸ける思いが人一倍強かったと思います。入部以前から描いていた私の理想の形で最後の定期演奏会を迎えられたわけではないのですが、いい景色を見られて、晴れやかな気持ちで終えられました。特に1部や2部での演奏や4部の応援ステージでは、その時の景色を焼き付けたくて、(自分が演奏している)パーカッションは全体を見回せる位置にいるので、みんなの顔を見ることができて、すごく良い表情でしたし、4部で応援指揮をやっている人たち全員が突き出しをやっている姿は圧巻でした。この1年間かけていろいろな人の思いが報われて、見たかった景色を見せてもらえていると思いました。自分が最大限成功したわけではないですが、應援指導部全体としては輝いている姿を見られたので、本当に良かったと思いました。

 

――齋藤さんと乃坂さんもチアリーディング部員としてステージに立たれる

齋藤:全体的に、今年は私たちの代らしい定期演奏会だったと思います。例えばチアステージでは、今年はスケジュールが、みんな顔色が悪そうに練習に来るくらいカツカツで、間に合うかと思っていました。今年は応援活動が土日に応援に行かせていただくことが圧倒的に多かったり、月曜神宮(野球部リーグ戦の各カード第3戦の応援)で練習がずれ込んで、練習ができなかったりしましたが、例年のクオリティは保たないといけませんでした。その中で一人一人の裏での努力がすごかったと思います。また、「やばい」となっても一人一人が裏で頑張っているので最後どうにか形になって、結果的にステージもうまくいったのも私たちの代らしいなと思いました。今年から司会を應援指導部員が行うなど、今までは裏方だった男子部員も、対等にステージに立てましたし、一言で言うと、アットホームな定期演奏会だったと思っています。最後の4部ではチャンスパターンを踊っていましたが、応援指揮を振っている男女の子たちを見ていると家族だなと思いましたし、司会が「どうでしたか、感想は?」とお客さんに問いかけてしまうようなシーンもあって、私たちの代らしいと思いました。1年間駆け抜けてきた集大成を見せられたと思います。

乃坂:すごく楽しかったです。今年の定期演奏会は應援指導部の一つの完成した形だと思っています。私自身も4年間で初めてステージに立つことができましたし、全員がそれぞれの役割を持ってステージに立つことができ、その役割が過去にはない新しい取り組みで構成されていました。應援指導部として表現できる最大限の感謝を見せられたと思います。我々がやってきた1年間の改革活動の集大成でしたし、それを支えてくれた皆さんの前でお見せできることがうれしかったです。

 

――4年生は唯一「昔の應援指導部」を知っている代、今年の新しい應援指導部は

乃坂:いい部になったと思います。そして、大きく変わったと思っています。形や制度で出ている部分もそうですが、部内の気風や空気が良くなってきたと思っていて、我々だけでなく、過去2年間上級生の方々の力が出てきていて、我々がその遺産の上に乗ってやらせていただきました。それを一つの形として結実できたことが我々がやったことだと思うので、その達成感はある程度あります。ただまだ完璧ではないので、来年以降の後輩に期待しています。

乃坂さんは応援企画責任者も務めた

小竹:変わりましたし、それを見ていいなと感じます。應援指導部は昔は全員が輝ける場所であったかと言われるとそうではない部分もあり、学年制などもあってステージに立てる人が限られていたと思います。今は一人一人がしっかりと役割を持ってその責務を全うできる場所が一つではなくやりたい分だけ獲得できるようになりましたし、スポットライトを浴びられる場面も提供できるようになったと思います。スポットライトを浴びて輝いている部員たちを他の部員たちが見守るというという姿勢も、見守っていた、一部員としてすごく良いと思いました。一方で全てが正解だったとは思っていないので、やってみて不具合が生じた部分やもっとこうした方がいいということもあったと私たち自身も思いましたし、やり残したこともあると思っています。3年生以下も巻き込まれながら一生懸命やってくれる中でいろいろ感じてくれていたこともあると思うので、来年以降3年生を筆頭に部を変えてくれると思うので楽しみです。これを土台にして駆け上がってほしいと思います。

齋藤:私は應援指導部が大好きで入部して、「應援指導部が大好きキャラ」でここまできたので、應援指導部への愛も交えて話させてもらいます。もともと自分が憧れた部を、2年間の上級生の方々の努力や周りの支えもありつつも、自分が三将として変えるということに抵抗がなかったかと言われれば嘘になります。ただ一人一人が輝けるような居場所を今年1年で作れたと思います。例えば、昔はチアリーディングは踊りがうまい人が活躍できるという限定されたものがあった部でした。そうではなく、ツールの共有や他部門への理解により、「女子だけど塾旗を揚げられる」「吹奏楽団だけど応援指揮ができる」という部門ではなく應援指導部という部として一人一人が輝ける場所を少しでも作れたのであれば良かったと思います。應援指導部としての魅力を少しでも作れたのであれば幸せですし、自分が應援指導部を好きだからこそ、できたことだと思っています。これが終りというわけではなく、ここから應援指導部として発展していってほしいと思うので、来年以降下級生に期待したいと思います。

 

――メジャレッツの後輩が応援指揮をしている姿を見て

齋藤:「やってくれたな」と思って、本当に言葉にできないくらい感謝していまいます。相当なプレッシャーがあり、特に「六旗の下に」では他大学ではリーダー部の男子が振っている中で、チアリーディング部の女子が振るということはなかなかないことです。応援指揮を振っている3人は妹のように可愛がっているのですが、「應援指導部の伝統を自分たちがつなぎたい」と言っていて、彼女たちがいなかったら應援指導部はここまで来られてないと思います。「やってくれるな、この子たちは」とつくづく思ったのと同時に、その子たちのプレッシャーを自分が一番わかっている存在でありたいと思いました。

応援指揮を務めるJさん

※応援指揮務めているJさんへのインタビューはこちらから

 

――2部門体制に移行し、来年からは「三将」という名前の役職はなくなる

齋藤:「三将」は聞きなれない言葉だと思うのですが、三将という役割ができたことが再建活動の第1歩だと思っています。應援指導部は部門ごとで横並びになることがなかったと思っていて、昔は「リーダー部が上」というのが正直あったのですが、應援指導部全体が団結しないといけないというスタートを切ったことが、三将という役割ができたことだと思っています。3年間三将という役割があって全体を統制してきたのですが、横のつながりが本当に強くなったと思うので、「三将」という名称が無くなってしまうのが少し寂しい部分もありますが、横のつながりはこれからもなくならないと思います。三将を務めた3年間9人がつないできたものは下級生がつないでくれると思うので、名称がなくなっても大丈夫だと思っています。

乃坂:3代続いた三将の9人は今の原型を作り、歴史を作った人たちになると思います。それが昔を知っている我々の代で終わるということには運命的なものを感じますし、来年から新しくなることは、新しい部のスタートになると思います。来年も代表・副代表になったとはいえ、同じ仕事を協力しながらやっていくので、やること自体が変わることはないです。別の形で新しいスタートを切るということに自覚を持って頑張ってほしいという応援する気持ちを持っています。

小竹:三将という形で作ってきた歴史があって、来年があるという運命的なこともあると思いますし、今までの9人がやってきたことは意味のあったことだと思います。私自身は2人がいて良かったと思っています。代表・副代表という2人体制だったら、1年間やり切れたという自信は正直ないです。それぞれの強みがあったからこそ、ここまでやって来られたと思うので、今年は三将でいて良かったと思っています。自分が得た同志に対する強い気持ちもありますし、リーダーはひとりぼっちではないので、(次の)代表・副代表もそれを受け継いで協力して部を引っ張ってくれたらうれしいです。

 

――後輩たちはどのような存在

齋藤:「安心して引退できる」ただただその一言に尽きます。特にこの1年は部の改革で下級生の力を借りることも多かったですし、彼女・彼らの協力なしにはここまで来られなかったと思います。彼らに背中を押された部分もあったし、熱意がすごく、底上げしてくれました。私たちを踏み台にしてほしいと思っていて、彼らだったら大丈夫ですし託したいと思うので、「あとは頼んだよ」という気持ちでいっぱいです。

應援指導部が大好きだという齋藤さん

小竹:今は時代が変わっていて應援指導部員がやること、やらないといけないことがレベルアップしてきたと思っています。今年は本当に応援に行けるようになりましたし、今の3年生は全面オンラインの状況で入部してきて、夏から活動が始まって半年間経験がない中でサブの代を経験してやり切って、初めての内野席での応援も経験しました。1、2年生もいろいろなところで活動に着手してくれて、昔以上に應援指導部員のレベルが上がっていると思いますし、自分が1年生だった時にはそんなことできなかったということばかりなので、今の子たちは本当にすごいと思うことがたくさんあります。私は広報も務めていますが、広報の子たちを見ていても、何でも一生懸命にやれる後輩たちだったので、やらないといけないことをやってくれるという期待もあります。一方で4年生を経験して、良いことばかりではなく苦しい場面もありました。時に應援指導部にいることに疑問を抱いてしまったり、自分にとって苦しい場面に直面したりするとも思いますが、それでも後輩たちには、なお應援指導部を好きでいて楽しんでほしいと思っています。楽しむためのきっかけや楽しめるようなきっかけはこの部にはたくさん転がっているので、最後まで華々しく後輩たちらしく活動してほしいです。

乃坂:まだまだこの部には高められることがたくさんあるのでそれに正面から挑んで変えていってほしいです。常に、いるからには自分の理想を追い求めてそれを実現していってほしいと思うので、なぜこの部に入ったのか、どういう人間でありたいのかを問い続けて全力で頑張ってほしいです。

 

――ありがとうございました!

(取材:長沢美伸)

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