2025年に連盟結成100周年を迎えた東京六大学野球。ケイスポでは、この伝統ある舞台で活躍し、いまなお野球界の第一線で輝き続けるOBの方々にインタビューを行いました!今秋は大久保秀昭(平4卒)さんです。大久保さんは慶大野球部主将としてチームを日本一へ導いたのち、日本石油での社会人時代、さらにはアトランタ五輪の日本代表として銀メダルを獲得するなど国際舞台でも活躍。その後はプロの世界に進み、現役引退後は2015年から母校・慶大の監督として5年間で3度のリーグ優勝、19年秋には大学19年ぶりに日本一を達成。またENEOS野球部監督としては、社会人野球チーム監督歴代最多となる4度の都市対抗野球大会優勝に導きました。現在はENEOSチームディレクターやU-12日本代表監督を務める”名将”大久保さんにとって「東京六大学」とは(全2回)。前編では慶大野球部時代の思い出や、大久保さんが大切にする野球観など現役生活について語っていただきました。
――桐蔭学園高校から慶大を進学先に選ばれた理由は
自分の兄(=大久保孝昭)が桐蔭学園から法政に進んだんですけど、その兄の同級生に志村さん(=志村亮、平1卒)がいて。桐蔭から慶應へ指定校制度が何年か前にできて、先輩方が活躍されていたので当然六大学に行きたいし、できたら早慶みたいなイメージはあって。兄も「やっぱり早慶はいいぞ」と。早慶戦の人の入り方みたらみんなそう思いますよね(笑)。なので早慶を目指しながら、当時早稲田、筑波は甲子園のベスト4進むとスポーツ推薦みたいな資格が得られるけど慶應は指定校じゃないと進学できないから、かなりハードル高いなと思いながらやっていましたね。
◆志村亮(しむら・りょう)
桐蔭学園高校時代には2度甲子園に出場すると、その後慶大に進学。1年春季から開幕戦に先発すると、2安打完封で56年ぶりに新人投手の初登板初勝利を記録した。秋季には5勝を挙げ慶大の26季ぶりの優勝に貢献。ベストナインにも選出されると、3年春季も7勝を挙げ自身2度目のリーグ優勝を達成。その後の全国大会でもエースとして2度の日本一に導いた。4年には春季早大戦から秋季立大戦にかけ5試合連続完封を達成し53イニング連続無失点など前人未到の記録を樹立。4年間で通算31勝17敗、防御率1.82、295奪三振。
――1991年に慶大野球部主将として中軸を担い、春秋連覇を達成されました。当時を振り返って強く印象に残っている試合はございますか。
相当前だしその後のストーリーもめちゃくちゃあるから、当時のことって意外と覚えていなくて。ただその3年の春の時に勝ち点4同士でワセダと対戦して、負けちゃったんですよね。めちゃくちゃ盛り上がって月曜日でも満員みたいな、今では考えられないくらい人が入って盛り上がって。僕は最後のバッターになって負けちゃったんですけど、高校の時もダントツの優勝候補だったけど甲子園行けなくて。だから“優勝”に縁がないのかなって当時はちょっとそういうことを思っていたけど、4年生になった時にその優勝のチャンスが回ってきて、早慶戦で(優勝を)決めたっていう。だからこの試合っていうのはないんですけど、法政に勝てばチャンスがあるかなみたいな。当時その髙村(祐、現法大野球部助監督)と高校の同級生の萩原(康)の2人がめちゃくちゃいい投手だったので。こっちも小桧山(雅仁)と若松(幸司)がいて、投手戦で2試合とも競るんですけど「法政に勝てばチャンスがある」って上手く勝ったんですよね。それで早慶戦で優勝決まって、凄く嬉しかった。野球を継続するつもりではいたんですけど、「もう野球やめてもいいかな」って思うくらい達成感というのがあって。もう日本石油(現ENEOS)に決まっていたけど、当時の前田監督に「野球続けなきゃダメなんですか?断ってもらうことはできませんか?」みたいなことを言ったのもなんとなく覚えていますね。それぐらい感激というか、達成感のある優勝でした。
◆小桧山雅仁(こひやま・まさひと)
右投右打。桐蔭学園高校卒業後は慶大に進学。1年春からベンチ入りを果たすと、若松とともに左右のエースとして4年次の春秋連覇に貢献し、ベストナインに選出された。また若松らと第20回日米大学野球選手権大会の全日本メンバーに入った。通算53試合に登板し19勝11敗、防御率2.08、225奪三振。大学卒業後はバルセロナ五輪の野球日本代表選手に選抜され、完封勝利を挙げるなど日本の銅メダルに貢献。
◆若松幸司(わかまつ・こうじ)
左投左打。丸亀高校卒業後は慶大に進学し、2年秋の東大2回戦で史上17人目(慶大では6人目)となるノーヒットノーランを達成。3年次の第19回日米大学野球選手権大会、4年次の第20回大会の全日本メンバーに選出された。同期の小桧山と左右のエースとして、4年次の春秋連覇に大きく貢献。大学卒業後は川崎製鉄千葉(現JFE東日本)に入部。
――神宮球場での応援、学生の熱気など六大学野球ならではの雰囲気をどう感じていらっしゃいましたか。
やっている時は凄く恵まれているなっていうのはわかるんですけど、他のリーグの話題ってあまり入ってこないじゃないですか。卒業してからの方がその六大学の特別感とか、歴史と伝統があるっていうのをより強く感じるようになったかな。東都の話を聞くと「六大の日程で火曜日準備していたら水曜日になった」とか、「中止でまた1日延びた」とか。そんな状況で準備するのと、もう必ず土曜日開幕で日程が決まっていて、神宮で当たり前のようにプレーできる。こんなに恵まれた環境ないなって、当時はそこまで感じることなく生意気にやっていたのかなって思いますね。
――ポジションが捕手ということで、リード面や配球面で大切にしていることは何かございましたか
高校の監督がキャッチャー出身の土屋(恵三郎)さんっていう厳しい方で、本当にキャッチャーのいろはを叩き込まれたので。大学1年の春から開幕マスクを被らせてもらうんですけど、当時の監督に配球のことうぃ言われた記憶はほとんどないし、その時4年生の志村さんがめちゃくちゃいいピッチャーでコントロールも良くて。ほとんど首を振らないで投げてくれたので、高校の時の学びが大学でも生かされたみたいな。基本はピッチャーのいいところをどんどん引き出して最終的に勝っていればいいみたいな感じでやっていました。今も採用するところだったり、現場でいる時はやっぱりそういう“勝てるキャッチャー”っていうところの視点から、捕手のレギュラーみたいなのは決めていましたけどね。
――対戦して凄かったと感じる他大学の選手はいらっしゃいましたか。
下級生の時はやっぱり先輩、小宮山(悟)さん(現早大野球部監督)も当然いいピッチャーだったし、さっき言った髙村とか萩原とかもそうですしね。プロにいっぱい行ってるメンバーと試合やってるので、特に誰っていうとちょっと難しいかな。ただ稲葉くん(=稲葉篤紀、現北海道日本ハムファイターズ二軍監督)が法政の1年生として出てきた時に、「これはちょっとモノが違うかな」っていう風に感じたのはありますかね。
――慶大野球部の魅力
カッコイイ。存在から、ユニフォームから、歴史から全てがカッコイイ。でもそのカッコよさが鼻につくというか、勘違いすると多分他大学や他の人から見るとちょっとカチンとくるようなところはあるのかもしれないですけど。僕は単純にカッコイイと思います。
――大学野球の中でご自身の野球観・人間観に大きな影響を受けた人物
これはもう亡くなられたもう僕の一番の恩師の前田祐吉さん(昭28卒)。「エンジョイ・ベースボール」を提唱して広めた方ですけど、もう僕は前田さんとの出会いが僕の野球人生を豊かにしてくれたっていうのは間違いないのかなとは思っています。高校の土谷監督も恩師ですし、中学校の時のシニアの監督も恩師なんですけど、そこの基礎があった上で、前田さんは日本の管理野球とかスモールベースボールよりアメリカのメジャーリーグのようなダイナミックな野球とか、そういうベースボールを好んでいらっしゃった方なので。そういうところに触れられた世界を見るきっかけ、意識するきっかけを作っていただいたのが前田さんと当時日本野球連盟にいらっしゃって今は殿堂入りされている山本英一郎さん(昭17卒)。こういう監督と連盟協会のトップにいらっしゃるOBの方、そういう方たちとの出会いが大きかったかなと思います。
――慶大野球部での4年間がその後の現役生活、指導者としての基盤になった部分は
「自ら考えて動く」っていうことを強く叩き込まれたというか、自然と身についていくっていうようなところでは一番大きかったのかな。命令型で動くっていうことではなくて、独創性みたいな。だからその常識にとらわれないとか、そういうのも含めてまずはトライしてみる。そういうのはすごく充実して学べたかな。あとは今も同期含めて仲のいい先輩や後輩、近い先輩、後輩もそうですし、ちょっと歳が離れてても、先輩と深くお付き合いさせていただいたり。それが野球部だけじゃなくて、他の体育会の方だったり、一般の人だったりも含めてなんですけど。そういう縦横のつながりが充実して、その後も続いているのかなっていう。そういうところも慶應の良さなのかなとは思いますけどね。
――大学卒業後は社会人野球に進み、都市対抗野球2度の優勝、ベストナインを4度受賞。その後はプロの世界に進まれていますが、各ステージでの「野球の質」「プレースタイル」の違いは
学生野球はリーグ戦方式で、同世代じゃないですか。社会人になると、上は30超える人までいて、今度はトーナメント式になって、もう負けたら終わりっていうような。それも1年に1回、都市対抗っていう大会があってその次に日本選手権というのがあるんですけど、その2大大会のために日々過ごすみたいな。それももう負けたらその試合で終わりだから、リーグ戦みたいに「10試合必ずやります」みたいなそういう状況じゃない中でやっていく野球。この“一球にかける”思い、“一球の大切さ”っていうのが、またより濃く出るのが社会人野球。それでプロはその得意なものを職業、自分の仕事にしている人たちだから。超一流というか、生活をかけてやってるのがプロ野球です。アマチュアは優勝を目指して、自分の成績が悪くても優勝すれば報われるみたいなところがありますけど、プロは自分の生活だから、自分が活躍しなくて優勝しても優勝は嬉しいですけど、自分がクビになっちゃう可能性もあるから。自分の結果と優勝がくっついてこなければいけない世界なので、一球の厳しさを学ぶトーナメントから、今度は一球で人生が変わるというか、一つのミスでもしかしたら野球引退って言われるかもしれないとか、そこがより色濃く出るのがプロ野球の世界。でも、やればやるほどお金が入って裕福になるという「夢」はありますけど、でもそれをつかめるのはほんの一握りで。引退って言われた後に、社会人は会社でサラリーマンとして、企業人として働いていけるけど、プロ野球はそのセカンドキャリアが大変で。野球界に残れる人はいいけど、それ以外の人はまた自分で仕事を探さなきゃいけないっていう世界なので、より人生の厳しさを感じるのはプロ野球で、自由にわがままにやれてるのがまだ大学野球だと思います。(後編に続く)
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(取材、記事:加藤由衣、工藤佑太)