【競走】「10年越しの共走、最後の箱根へ」島田亘×渡辺諒(前編)箱根駅伝予選会直前特集⑦

競走

箱根駅伝予選会まであと3日!慶スポでは本番を直前に控えた選手方・スタッフにインタビューを行いました。特集7日目の本日は、中学時代の大会で出会い、互いを意識し合ってきた“さいたま市”コンビ!別々の高校を経て、慶大競走部で初めてチームメイトとなった2人が、10年の時を経て挑む最後の箱根予選会への思いを語ります。これを読んで是非当日も声援を送りましょう!

プロフィール

”さいたま市トレイン”

(写真左)渡辺諒(法4・慶應)

(写真右)島田亘(法4・慶應志木)

――他己紹介をお願いします

島田選手→渡辺選手

渡辺くん、普段はりょうって呼んでいます。知り合ったきっかけは中学1年の1番最初の陸上大会でした。よく喋る人だなというのが第一印象でした。とても賑やかなのですが、気持ちが揺れ動くような弱い部分もありつつ、やる時はやる、決める時は決める。気持ちが入った時の集中力はピカイチな選手だという印象です。

「気持ちが入った時の集中力はピカイチ」(島田)

渡辺選手→島田選手

僕はその大会の時は島田のことは全然知らなくて、その後の県大会で初めて島田のことを知りました。手足が長い選手だなというのが第一印象でした。島田の特徴としては、みんなには浅いと言われているのですが、頑固なところやこだわりを持っているところがあると思っています。自分の中の曲げない部分はこの4年間ぶれていなかったことがとても印象に残っています。

 

――陸上を始めたきっかけは?

渡辺昔から走ることが好きでした。幼稚園児ぐらいの時から親戚の家に集まった時でも1人で走りに行くような、意味のわからないことするぐらい走ることが好きでした。また、元々はサッカーをやっていたのですが、チームスポーツでのコミュニケーションや負けた時の責任が自分以外にも及ぶことが少し嫌だなと感じていて、個人スポーツをやりたいと思っていました。母の勧めもあって陸上競技を始めました。

「昔から走ることが好きでした」(渡辺)

島田:陸上を始めたきっかけは小学校の駅伝大会でした。小学6年の時に学校代表としてエース区間を走らせていただいて、楽しく走ることができました。その後、中学生になった時に幼馴染に陸上をやらないかと誘われ、一緒に陸上部に入部しました。

――慶大競走部に入部した経緯を教えてください

渡辺:僕は慶應義塾高校出身なので、高校に入学した時点で7年間陸上競技を続けるというビジョンはある程度ありました。その中で駅伝をやるのか中距離をやるのか多少迷いました。高3の時に大学のコーチと面談する機会があって、そこで塾高のコーチも引き受けてもらうことになり、縁のようなものを感じたので、「駅伝やるか!」みたいなノリで長距離を選びました。

島田:自分は慶應義塾志木高校出身なのですが、高校の競走部に入部した当初は大学まで陸上競技を7年間続けるというビジョンは正直見えていませんでした。高校での競技を通じて徐々に、大学でも競走部に入部して競技を続けて極めていきたいという思いが強くなっていき、大学でも競走部に入部しました。

「競技を続けて極めていきたいという思いが強くなって」(島田)

――高校と大学の部活動における違いは何かありましたか?

渡辺:コーチがいなかったので、どういった練習するか、どの試合にピーキングを合わせるかっていうのも、全部自分たちでメニューを組み立てながらやってました。でも、大学は監督がいて、監督が出したメニューを信じてやるっていうのが、自分にとっては大きな違いだったと思います。あとは、走る距離も違いましたね。高校生だと長くても10kmまでですが、今はハーフマラソンで倍の距離になるので、練習の強度が1番変わったように思います。

島田:自分は生活を全ベットするかどうかが大きな違いだと思います。高校時代は、普段の学生生活の中に少し陸上が組み込まれている形で、大学では(競走部の)寮に入って、朝5時に起きて、6時から朝練に取り組んで、学校行って、また帰ってきたら競技に取り組んでいるみたいに、勉強だけではなくて走ることに注力していることが1番大きな違いだと思います。だから、競技にかける時間の長さが圧倒的に長くなりましたね。

「(違いは)生活を全ベットするかどうか」(島田)

――競技時間が圧倒的に増えたことは、ご自身にとってプラスになりましたか?

島田:今まで一部練1回しか練習してこなかったし、なかなか競技にうち込める環境に居続けるっていうのがなかったので、慣れるのは大変だったと思います。人によると思うんですけど、自分としては、特に朝は正直あんまり得意なタイプじゃないので、今は体に鞭を打って「絶対寝坊しないぞ」と思ってやってます。それがプラスになってるとは思いますが、始めた当初はやっぱりなかなかキツくて。

渡辺:島田は1年の時は3回寝坊してます。

島田:でもでも、その1年の時以降はもう1回も寝坊してない。

――平均は皆さん0回?

渡辺:いやいや、バケモンは(笑)。

島田:ずば抜けているやつもいるし(笑)。でも大体みんな2、3回は絶対するんですよ!多分するんですけど。

渡辺:学習しないやつもいますね(笑)。

島田:多分、それを経て多分強くなると思う。

――中学時代からの仲であるお二人。大学で同じチームになって関係性に変化はありましたか?

島田:中学の時は大会とかで一緒になってよく話す感じでした。高校の時も地区は違えど、主要な大会があった時とかは連絡とったりとか、練習を一緒にやったりとかもしていたので、その延長線上で一緒に生活をするっていう点では、より今まで以上に仲良くなった感じはあるんですけど、特に大きな変化はないと思います。

渡辺:僕もないですね。それこそ生活一緒にするようになったぐらいの違いで、物理的な距離が近くなった分、ご飯行く回数増えたぐらいの変化でした。

「今まで以上に仲良くなった感じはある」(島田)

――普段はどんな方法でリフレッシュをしていますか?

島田:自分は音楽聞いたり、アイドルが好きなので、アイドルのライブに行って盛り上がったりすることもありますが、それは本当にごく一部で実際はずっと寝てます。自分は寝ることがとても好きなので。

渡辺:午前中部屋を覗きに行って寝てて、午後覗きに行っても寝てる。

島田:ホントに、そんな感じだと思います。

渡辺:僕は、その時その時にやりたいことやっていますね。夏だと海が好きなので海入ったりとか、あと絵を描くことも好きなので絵を描いたりとかしてます。本当にその時その時にやりたいこととりあえずやってリフレッシュすることが多いですかね。今はダーツです。

――大学4年間で自分自身に感じる変化はありますか?

渡辺間違いなく痩せました。走る距離に応じてどんどん顔がこけちゃって、久しぶりに会う友達には体調を心配されるのがお決まりになっています。メンタル面だと、僕は人のことが好きですけど、共同生活をずっとし続けるのが結構きつい場面はあって、ストレスの捌け口がないんで、上手く見つけられない時はしんどくて、自分自身の苦手なものみたいなのはよくわかるようになった4年間だったかなという感じですかね。生活習慣でいうと、休みの日でも6時前に目が覚めるようになってしまったのは、個人的にはちょっと悲しいなって思っています。

島田:走りに関しては、中高と比較すると圧倒的に長い距離走れるようになったなというのは1番感じるところです。元々中学の時は400mも走ってたんで、それから50倍の距離を走っていると考えると、長くなったなというのは改めて感じますね。

メンタル面では、より慎重に、平常心で取り組むことがより強くなったというのがあります。競技に全ベットするからこそ、逆にそこで外すと無くなってしまうものも大きいので、だからこそより慎重に、安全に地道にコツコツやっていこうというメンタルになったかなと思います。あと個人的に、自分は完全に夜型の人間だったのが、朝5時とか早い時では3時台に起きるようになって、完全に逆転現象が起きているのが、変わったと思う部分です。早めに起きて、エクササイズとかやってるので。

――渡辺選手は、中学生の陸上指導を長くされていましたが、生徒たちの姿を見てご自身の原点を思い出すような瞬間などはありましたか?

走ることを純粋に楽しめるのが中学生ならではなのかなって思っていて。高校、大学に進むにつれて体が成長しきるタイミングで伸び悩む中で、中学生ってやればやるほど速くなる、そういった純粋な競争の楽しさだったりとか、自分が成長していく実感持てている楽しさというのが、中学生が1番僕らと違って持っているものだと思いましたね。

――陸上をやる側から教える側に回ったことで、得た気づきはありましたか?

渡辺:ガッツあるやつが強いですね(笑)。間違いなくここ1番での爆発力がある選手が結局伸びるということを中学生見ていて思いましたね。中には飄々と全然パッションが顔に出なくて、するっと走ってる子達もいますけど、中学1年から見てて、3年生の時に早くなってる子たちってのはガッツある子たちが大半だったなというような印象ですかね。それが1番の気づきかもしれないですね。スポーツやる上でガッツが大事です!

 

(取材:吾妻志穂、片山春佳、竹腰環 編集:山口和紀

 

最後までお読みいただきありがとうございます。後編記事では今シーズンの振り返り、そして予選会にかける意気込みなどを記載しております。

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